〜近畿☆瀬戸内☆うまうま交響楽団 ♪

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zoom RSS 手の平の鉛筆

<<   作成日時 : 2008/01/13 00:29   >>

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 もう時間がない・・・ きっとこの記事を書き終えて投稿するころには、日付が変わっている頃だと思う。昭仁くんのラジオもまだ録音予約していないし、兎に角一時までには書き終わらないといけないんだけど。

 ポルノグラフィティは札幌での4日間を終えて、福岡へ向けて充電中ですね 丁度東京にも寄れる日程だし、スゴちゃんもやっと晴一くんとご対面できているかな?スゴちゃんの喜びようを、我が家の愛犬に重ねて目を細めているうまうまです。
 うちのわんこの出迎え、凄いです 100年会っていないかのような喜びようです。最近とみに酷くなりました。昔は結構あっけらかんとしていた気がするけど。
 胸に抱きしめてあつーーーい抱擁を交わしている毎日です。

 しかしね、最近思うんだけど、札幌や大阪では4日間の開催で、広島は2日間のみって、どう言う事なんだろう?ZEPPだけ4日間って・・・・どうして?クアトロ4日間は何故ないの?
 ・・・・ちょっと、嫉妬?みたいなものを書いちゃいました

                           

 今日、うまうまは研修の為、に行って来ました。

 実は、呉初上陸 JR呉線、初乗り これが鉄道マニアなら、かなり喜ばしいことなんだけど、全くそうじゃない上、広島から呉まで結構かかる 呉線全線普通で乗ったら3時間近くかかるという鈍足電車。しかも、今日は朝から天気が悪い 海沿いをのんびり走る電車なので、天気が良かったらきらきら水面の光る海を見ながら行けた筈なんだけど、それも叶わず。帰りは帰りで真っ暗だし
 
 呉に何の用事かというと、そうです、研修です。呉大学看護学部に用事だったので、詳しくは呉の隣の安芸阿賀というところが目的地。呉大学阿賀キャンパスというところです。
 広島大学も岡山大学もそうだけど、呉大学も、【大学】という本拠地の他に電車で移動しないといけないところに違うキャンパスがあって、阿賀キャンパスには看護学部とサテライト講座があるのみ。他学部を有していながら、単科大学のような雰囲気です。
 私が通っていた大学は、同じ敷地に歯学部・薬学部があったので、単科とはいえないけれど規模の小さな大学でした。ので、別キャンパスというものはなく、皆が一堂に会する大学だったもんで、こういった形式の大学には馴染みがないんです。

 その看護学部で行われた研修会へ、先輩二人とともに参加しました。

 研修会の内容は、看護という枠組み以上のものなんですが、習ってきたことを言葉にするなといわれたので、詳しくは書きません。その講師の先生曰く、メモを取ると言う事で【習った】気になっていたり、後々に思い出すとき、メモの言葉しか思い出せなくなるので、メモを取るなといわれました。
 言語化することで単一の考え方しか出来なくなるという考えの持ち主で、

「習ったことは今日全て忘れなさい。」

 と、研修初っ端に言われました。・・・研修代はどこへ蓄積されるのであろうか・・?
 必要な時にぽつりとが思い出すのがいいのだと言われ、そうやって思い出せた事を今その状況に当てはめて考えを巡らせることが出来るのだと。
 確かに、私達は言葉に頼りすぎるのだなと思いました。
 
 研修の内容も、「非言語的コミュニケーション」と言えるもの。私達看護婦は、コミュニケーションもプロ技術の一つとして習います。その中で、コミュニケーションとは

 言語的コミュニケーション

 非言語的コミュニケーション


 の二つがあると習います。(私の時はそうだったの。今はどうかな?)
 「言語的〜」では、文字どおり言葉を使ってのコミュニケーション。所謂私達が「声掛け」と呼ぶもの。「大丈夫ですか?」「お元気ですか?」「調子は如何ですか?」という問いかけから、励まし、共感などを言葉で受け止め、言葉で返すものです。勿論、私たちの日常の中で重要な役割を果たしているものです。
 もう一つも、日常の中で使っているものです。誰しもが言葉の他に「非言語的コミュニケーション」も使います。看護師だけの特殊技術ではなく、きっと普段の私たちの人との接し方においての方が、これを使うことが多いかと思います。この能力の差で、『KY』なーんて言葉が出てきたりするんでしょうかね?

 それは、五感を使ったもの。言葉にしないもの。 ・・・文字通りって事なんだけど。
 触れる、感じる、察するといったものです。

 看護師の中では、「触れる」と言う事がとっても重要視されます。触れなければ相手を看る事が出来ないというほど、大切な事。「触れる」が為に看護師の職業が低級のものとされてきた時代もありますが、現在、手のひらで触れたり感覚を使って相手を感じる事の大切さを再度大きく説いている説もあります。これは私も納得できること。

 今日の研修は言葉には上手く出来ないのでたとえ話で表現するのですが・・・子供の頃に画用紙の下にでこぼこの板を置いて、上から斜めに寝かした鉛筆でしゃかしゃかやると、絵が浮き出てくるっていう遊びをしたことありませんか?よく子供雑誌にそういった下絵の版が付録で付いてきたりしていましたよね。

 画用紙の下にどんな絵柄が入っているのか分からないけど、鉛筆でこすることで絵が浮かび上がってくる。

 それを、人間に置き換えて来ました。

 鉛筆は私の手のひら、画用紙は皮膚だったり、服だったり。
 下絵はその人自身、自分自身。

 人の身体をしっかり触りながら、自分の身体をしっかり感じる研修です。頭の重みを感じたり、足の裏にかかる自分の体重を感じたり、手のひらで相手を感じる勉強です。
 私達看護師が患者さんと関わる時、患者さんに触れるとき、その手のひらに「緊張」があれば相手も「緊張」するんです。「力」が入れば向こうも「力」が入る。
 
 そういう話を聞きながら、恋人に触れてもらう心地よさの意味を、ふと感じました。彼氏もいないのにさ・・・

 大切な相手に触れるとき、指先は緊張しますよね。震えたり、冷たかったりすることもあるかと思います。その緊張で相手の肌も緊張する。けれど、患者と看護婦と言う関係と違うので、その「緊張」にときめきやくすぐったさ、果ては相手を思う優しさを感じて人はどきどきするんだなと。
 これぞ、非言語的コミュニケーション「触れる」だけで相手がどれだけ大切かを伝えるんだから、まさしくそう 逆に乱暴に扱われれば乱暴さを感じる、それも非言語的コミュニケーション 伝える気はないのに伝わったりもします。私たちの感覚は、お互いの気持ちまで伝えることの出来る優秀なものなんですなぁ〜。

 どきどきの意味を解釈するのはとってもナンセンスなんだろうけどね。

 ま、そういう研修でしたのよ。
 ゆっくり歩きながら、自分の体重の移動を感じ、横になって床と接する自分の体の部分を感じてください・・・・そういう研修でした。
 感じることで自分の体を感じ、自分の身体を認識出来ました。

 あなたの身体は、頭の先からつま先までそこに「在る」、大切なもの

 ということです

                          

 その研修の最後の最後には、講師の先生によるミニリサイタル。次から次へ木管・金管楽器が出てきてはの、演奏会
 
 音楽なんだなーって、思いました。

 最終的に「音楽」に心を求めていくものなんだなと思いましたね。うまうまの脳裏に、ふっと過ぎるチーム・ポルノグラフィティの面々。

 結局、「音楽」へ回帰していくんだな。
 「言葉」を捨てても、「音楽」は捨てられないのだな、
と思いながら、

 昭仁くんと、
 晴一くんの、

 ライブの姿を思い出していました。
 皆が帰っていく場所へ、「音楽」はあるんだな。
 そこへ、ポルノグラフィティがあるんだな。

               ・・・・全く個人的な感覚ですがね
                   

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