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<<   作成日時 : 2008/06/08 21:53   >>

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 日曜日。本来なら乗馬話題が主なんだけれど、ちょっと考えるところがあって「ナースのお仕事」話です。

 緩和ケア

 という言葉、ご存知ですよね?最近の診療報酬改訂により、今まで緩和ケア風として行ってきた医療が、「緩和ケア」という名義で算定可能となりました。これは緩和ケアが医療の一環として重要視されていると言う事の表れ。その裏、病院にとって利益に転じることが出来るというものです。←ここのところの考えは私如きぺーぺーにはどうでもいいんだけど

 画して、私たちの病院にも、もともとあった緩和ケア勉強会が「緩和ケア委員会」として立ち上がりました。立ち上がったと言う事は、病院全体の「基盤」として動くと言う事で、各部署からの委員の選出そして活動の開始と合いなります。
 病院の機能評価では「急性期病院」として判定のあったうちの病院が、緩和ケアに力を入れるのは病院の機能と真裏のような気もしますが、逆に切っても切れないところでもあります。ここのところをうちの師長に「緩和ケア病棟がないのにどーやって動かすんですか?」と聞いたら、「分からんけど。」と言われました

 しかし、例え急性期が主流という病院の考えが合ったとしても、内科・外科病棟などで死を看取ることが減っているわけではありません。病院で亡くなる患者さんは多いものです。しかも、急激に抗えない死ではなく、徐々に進む本当の終末期の死のことです。
 そんな内科病棟から立ち上がった緩和ケア委員会。病院の一つの委員会として機能することになりました。

 さて、私が以前から「ターミナルケア」に興味があることを何度か書いてきました。救急よりも「安らかな死」であり、「看取り」であり、最後の間際に穏かな笑顔で逝ける死があれば、それが私の理想だと何度か書いた覚えがあります。家族で満足できる、本人主体の死、看取り、最後。すべての事にありがとうといえる、そして一人ではない死・・・
 
 そんな状態の私、正確に言えば「緩和ケア」に興味があるのではなく、「ホスピスケア」に興味があると言う事です。けれども、現在の日本の中では、ホスピスも緩和ケアも同義上の事として扱われています。別に絶対分けて考えて欲しいとか、そういう風に思っているわけではないのですよ・・・ 勿論私だってはっきりとはよく分からないけれど、私の目指したい「死の看護」に一番近いのは緩和ケアではなくホスピスのような気がするんです。ただそういう感覚的なものなんです

 看護の専門化も医療と同様に進んでいて、認定看護師制度も発達してきました。病院に何らかの認定看護師がいるのが当たり前に成ってくる世の中がやってくると思います当然、緩和ケアの認定看護師制度もあり、この間の医療ドキュメントでは大きく扱われていたのを思い出します。

 そこで私、ふと思ったんです。

 ホスピスでないと、私の目指す「死の看護」は出来ないのかな?

 緩和ケア認定看護師でないと緩和の看護が出来ないのかな?


 ・・・・勿論、違いますよね。私が望む「死のあり方」は、ホスピス・緩和ケア病棟にしかないわけではないはずです。その人しか出来ないことではないはずです

 認定制度が出来て、所謂看護師のキャリアアップとして目指す人達はいっぱいいます。そして専門的な知識のもと、ぐんぐん看護の質が上がっているのも事実 認定看護師さんの活躍と実績には頭が下がります。
 そんな中、「認定看護師を目指さないといけない」風潮が、どこかにありませんか?

 私、それは可笑しいと思うんです。

 死の看取りがどこの病棟でも同じように出来ること、そして痛みに対するケアがどこでも出来ること、どこでもやってもらえること・・・それには認定看護師の数だけではないはずです。

 そして思うこと。

 ケアとキュアが欲しい人達は、何も対象が限られているわけではない

 と言う事です。

 今日先輩と話をしていて思いました。人は誰でも痛みを抱えていて、その「緩和」を望んでいます。出来るなら楽になりたい心理は、何も癌患者さんに限ったことではないはず。そして、ホスピスの精神は「死」に対するものだけではないはず。
 今とっても悩んでいることがあったとしたら、それを和らげてくれるものを探しませんか?拠り所を見つけようとしませんか?その痛みは、癌患者さんの身体の痛み・心の痛みと同じではないでしょうか?骨折した足が痛むことも、身体の痛み。頭痛も、腹痛も、手術後の傷の痛みも、同じ「痛み」であるはず。

 緩和ケアなら出来てそうでないと出来ないことはないはずなんです

 何だか考えがあっちへコッチへ飛んでしまっていますが・・・目指すべき専門的な何かを持たないと看護師として駄目・・・そう言った風潮がとても嫌 何気なく、日常の一つ一つを大事にする看護師さんはいっぱいいますし、そういう方でこそ出来る「緩和ケア」もあるんです。緩和ケア病棟ではそれが日常と言う事なのかもしれませんけどね

 逆に考えると、患者さんの方です。

 自分の死期が近いと知った時、緩和ケア病棟やホスピス病棟に入れるならそれは心の平安に繋がるかと思います。けれどまだまだ全ての病院にそう言った病棟があるはずもなく、一般病棟に入ることもあると思います。そこで生まれる「ケアの違い」。医療に地域格差があるように、看護にも格差が出てくるんです。それは病院のスタッフの士気や教育にも関わることですけど・・・ 
 もともと看護に「差」が出てくるなんてありえない私はそう思うし、そう思いたいです。けれど、認定看護師制度の使い方によっては、そう言う事もなくはない・・・・かな・・・悲観的?認定看護師さんが自身の看護ケアに重点を置いた活動をしている限り「差」が開く、と私は思うんです。
 認定看護師さんは、次の認定看護師さんを育てる現場の先生とした位置づけで働いて欲しいなと思うんです。確かに、その人が学んできた技術を看護の現場で生かすことも大事 その方自身の看護の向上でもありますしね。けど、もっともっと「広める活動」も必要じゃないかと思うんです。講演会などでは引っ張りだこですが、現場で、同じ職場で働くスタッフに、「認定」の真髄を教えて欲しいと思うんです。ここ、伝わりづらいと思うんですけど・・・

 興味のある「緩和ケア」に対してちょっと引いたのは、何となくそう言った「個人のステイタス」要素が大きいからでしょうか とくにうちの病院が・・・・かな?銘打って看護に線引きをしなくったって、ホスピスケアは出来る。まぁ、緩和ケアは除痛があるので専門的な知識が必要なんだと思うんだけど。

 「緩和ケア」「ホスピスケア」の精神は、死期が近い患者さんだけでなく、痛みを持つ全ての人に共通していると私は思うんです。引いては病院にかかる全ての人に共通します。そして、最後には病気になるかもしれない人間全てに共通します。

 「痛み」とは、そういうものじゃないでしょうか。ついて回るもので、発生には逃れられないもの。痛みのない人間なんていません。「無痛症」と言う病気があったとしても、「痛みを知らない痛み」というのが存在するんです。「介護」も同様。結局、対象を限定するのが引っかかる、ということなんかな けれど、医療ってそう言う考え方なのかもしれません(看護もか・・・)それぞれに専門家がいればいいんだけど

 看護師をしていれば付いて回る「死」と「痛み」。
 生きていれば付いて回る「痛み」。
 

 私、それを緩和できる人間になりたいです。看護技術ではなく、人間対人間の関わりで、痛みを包める人間になりたいな・・・それは「緩和ケア」という言葉を越えて、マザー・テレサの思い。
 


 あなたを、たった一人で逝かせない。

 あなたを、たった一人で悩ませない。

 あなたを、愛しているから。

    あなたが、大事だから・・・。



 そういう人間になりたいです。

 生涯でたった一人でも構いません。
 私の存在で誰かを救うことが出来ますように。

 どうかどうか、私の存在が誰かの生を輝かせることが出来ますように。
 それは何も病気の人に限ったことではなく、全ての、私に関わる人達が対象。

 「拠り所」になれる人間になりたいな。マザー・テレサの様に目の前の人を抱きしめて、「あなたは大事な人だから。」と言ってあげられる人間になりたいな。

 結局、私の理想は彼女。
 マザー・テレサは「緩和ケア」なんて考えてなかったと思います。
 根本の精神はホスピスと同じだったとしても。

 認定という言葉に頭が絡まってないかな?

                          

  別に認定看護師精度が悪いって言うわけじゃないんだよ。私だって出来ればとりたい位です緩和ケアでも、手術室看護師でも。ただ、精神科の領域では認定看護師制度がないというのがネック。領域が少なすぎるんですよ。なんでこう偏ってるかなぁ・・・。日本人の考えの悪いところです。

 にしても、私、ホスピスケアには以前から興味があります(知ってるって?)。自分が務まるかどうかは分からないけど、出来るならその人の最後を看取る看護がしたいです。看護師人生の中で、最後はホスピスにいたいなーと思う次第。人間は死に向かって生きている生き物。最後の最後に笑顔で逝ける、それが理想ですから
 こんな私が何を出来るって言うわけではないし、今の手術室で関われることでもないんだけど、今の経験は大事にしたいです。手術だって「背水の陣」という方もいますし、「死」ではないけれど、「痛み」の一つ。

 難しいんだけど、先輩の悩み事を色々聞いていると思ったんです、こう言う事色々と この先輩も以前から緩和ケアに興味があって、手術室の緩和ケア委員会の委員になったんです。自身、「こんな私が勤まるかどうか分からない」と言われてますが、私から見たら沢山の悩みを一杯経験してクリアしてきた先輩だからこそ分かる「痛み」も沢山あるんじゃないかとも思います。
 話を聞いてもらっているだけで安心する、そういう先輩なんです。病床で、一番居て欲しい存在ですよね

 ・・・・うーん、私はどうなんだろう・・・

 けれど、誰しも悩みを持っていて、普通に生きていても苦悩を隠しているものなんだと、改めて気付きます。元気そうにはしゃぐ後輩も、笑顔で仕事をする先輩も、考えてる事が分からない医師も、手を繋いで歩く高校生のカップルも、男同士で騒いでいる中学生も、済ました顔してるOLさんも、難しい顔したサラリーマンも、みんな程度こそ違うけれど「痛み」を抱えて生きてます。
 
 自分の中の「痛み」に気付けていますか?

 「痛み」があるからこそ、気付く、分かるものもあるんです。

 その「痛み」に寄り添うことが出来たら、そして緩和してあげられたら・・・

 一人ひとりの傍には、きっとそうした「看護師さん」がいるものです。
 「救い」って、こう言う事なんでしょうね

 


 ・・・・何だか難しいことになってきたけど・・・・

 何となく、看護の専門化にイヤ〜な感じがしてきているうまうまなのでした



 本当の看護って、

 本物の看護って、

 専門なんて関係ないはずなんだけどなぁ・・・

 母親が子供を看るのと同じことだと思うんだけどなぁ・・・

 

  違うの?
 
   看護は科学

  だというからねぇ・・・。

  私のように


    看護は人情


  と考えちゃいけないんかなぁ。勿論、人情の基礎の知識は必要だけどね。
  それは込み込みってことで!

  そうそう、知識は本気で必要だから!
  日々勉強!!!




 私的見解ばりばりの今日の記事でした。
 世の看護師さん、どーだろう?でもやっぱり「認定看護師」には憧れるよね
    ↑あはは〜、矛盾

 重ねて言うけど、「知識」の部分は在ることを前提に書いてるからね!

 文字ばっかりになったーーー!!!

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