〜近畿☆瀬戸内☆うまうま交響楽団 ♪

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<<   作成日時 : 2008/08/07 22:21   >>

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 今年に入って、振り返れば色んな事があったなぁ〜と思う次第。最近、過ぎていった「昔」のことを振り返る事が多くなってきています 振り返れば、ちょっと恥ずかしくなるような思い出や、あんな事やこんな事や・・・ 私の場合、大概ブログを読んでいたら「こんなことがあったなぁ〜」と思い出せるんですが、記事が多くなりすぎてしまった為、整理するにも面倒(?)。
 して8月の今、1月からの私の波乱の日々を思い返せば、本当にいろんな事があったなぁ〜と思える日々です。そしてこれから過ごす日々にも、怒涛の勢いで何かが起きていくんでしょうね

 何故こんなことを思うかと言えば、矢張り大きい一つの理由は、新人さんの事かなぁ。

 私が勢いよく指導した先々週から、ちょっとずつ変化してきたかなと思っていましたが、私の関わらないところで何個かのインシデントが起きた様で(患者さんには差しさわりのない、スタッフ間でのちょっとした行き違いみたいなもの?)、気分的に凹み気味
 それでも関わりのないスタッフに対してはいつもどおり接する様子を見ていると、何だか気の毒と言うか・・・強い子だけどそれ以上に繊細なんだろうなーと感じます。強く見えるのは、逆に弱い証拠のような気がしています。「弱さ」を見せられない位強がって踏ん張ろうとしてるんじゃないのかな

 そして、その堤防が決壊しつつある兆しを、後輩が聞きつけました。

「うまうまさん、話を聞いてください。」

 朝の忙しい時間に引き止められて、「ん?何?」と曖昧に返事を返したら、

「新人さんの事なんですけど。」

「どーしたの?」

「・・・・・辞めたいって・・・

「・・・・・・えっ!?」

「・・・・そんな風に言うんです・・・」

「それってもしかして、私が激しく指導したのがいけなかったのかな?」

「いえいえ!!!! そんなことじゃないんです

 後輩は一生懸命首を振りながら、ちらりと周りを確認して小声で言いました。

「最近続いたインシデントでの『事故報告書』が原因のようです。」

「あぁ・・・・あれね・・・。でもあれ、本当だったら必要のない報告書だよ。」

「そうなんです。正式文書じゃなく、ちょっと報告って感じで別の紙に書けばよかったんですが・・・・」

 後輩はちらりと回りをもう一度確認。

「・・・・師長と主任に迫られて、私もかばってあげられなくて・・・・

 ・・・・申し訳ないけれど、何枚か続いた新人さんの事故報告書に、私は関わりを持たせてもらえなかったんです。一つの件は本当にその患者さんに対して関わりがなかったのと、もう一つの件は私が外回り新人さんが器械出しで付いた手術だったので、私にも関係があると思っていたんですが、どう考えても私が外された感じなんです。
 私には一切状況の確認もされないまま、新人さんにだけ報告書の事を言われたようです。私が関われば、「報告書は必要ない」と突っぱねられると思ったんでしょう。(だって実際に必要のない報告書ですから、絶対反論すると思う。)

 朝の時間は忙しかったので、後輩ともそれっきりになっちゃいましたが、夕方の仕事が落ち着いた時間、別の先輩からも同じ事を言われました。

「うまうまちゃん、聞いた?新人さんの事。」

「えぇ、まぁ・・」

「やっぱり私、事故報告書って言うのがネックだとおもうんよ。」

「・・・・だと思います。だって書く必要のないものを何枚も書かされるなんて。」

「師長さんは、『意識を持ってもらわないといけないから』って言ってたけど、アレは本当に傷として残るようなもんだとおもうんよ、私。」

 スタッフの教育係を勤める教育委員の先輩は、うちの病院のアクシデント・インシデント報告書の使い方に問題があると指摘し続けている一人。

「・・・私、二件目の事まで報告書を書かされているとは思いませんでした。」

「うまうまちゃんが患者さんのケアをしている間に、師長さんがスタッフ集めて色々言ってたよ。」

「えっ!?」

「私も聞いてないんだけど・・・」

 ・・・・・何だか、複雑
 新しくスタッフを迎えて意気揚々と始まった今年度4月から、まだ4ヶ月。そろそろ頑張って上へ伸びて欲しいと思って指導にも熱が入る私たちとは逆に、足を引っ張るのは同僚どころか上司だなんて
 確かに、私の考えるちょっと複雑な教育方針の意図を汲んでくれたのは嬉しいところだけど、一番大切なところでのフォローが一々抜けていたりするのが心配ではあったんです。スタッフの伸びる力を守って貰うのが上司の力じゃないんでしょうか いつもいつも新人さんが凹む原因は上からの圧力のような気がします←気のせいだと良いんですけど。
 私も確かに厳しく言って来ました。けれど、それは臨床の事なので、上手くすれば「やれる!」という自信に繋がる指導(のはず・・・の、つもり・・・)
 外科の器械出しでも、言った後に何だか楽そうに出来ているのを見ていると、私の言った事が新人さんの中で消化されて栄養になったんだなぁと感慨深く思えたところだったのになぁ・・・

 他のスタッフは言い合ってストレスを発散したり、きちんと意見を言って判断を仰いだり是非を問うたり出来ますが、新人さんは言われるがままされるがまま。誰も「どうなの?」とか「どう思う?」とか聞いてくれないんだよなぁ。かといって自分から意見を言う事も出来ず、きっと予想以上のストレスに違いない
 私という厳しい先輩もいるし・・・????? 出来たことは褒める、出来なかったことは指導する、私はそれだけなんだけどなぁ・・・。

 プリセプターをしている後輩に、

「ローテーションして手術室に来た時、そういう気持ちにならなかった?」

 と聞いたら、

「なりました。『もう看護婦を辞めたい!』って。」

「成ったよね。私もそうだったもん。誰しもそう思うもんなんだと思うな。」

「そうですね・・・・。」

「で、どうやって立ち直った?」

 後輩はちょっと考えて言いました。

「それが、不思議なんですけど突然『あ、大丈夫だ!』って思えたんです。」

「やっぱり?」

「何が切っ掛けって言うわけでもないんですけど、本当に突然・・・。『大丈夫、やっていける。』って思えたんです。」

「そーだね、私もそうだった。」

 手術室が特殊だと言われる所以は、その仕事の複雑さ特殊さや煩雑さなどにあるかもしれませんが、もう一つは、緩やかな右肩上がりでの気持ちの向上がないというところです。
 登ったり降りたり、登山をするような緩やかな斜面を上がる成長ではなく、ロッククライミングのように突然出てきた壁をよじ登ると言った成長具合。それは技術だけじゃなく、やりがい「出来る」感にも言えること。壁の前で延々と悩み、苦しみ、泣いていたりするんですけど、ある日突然「よく見たら低い段差だったんだ。」と思えてきて、ひょいと登ることが出来る。登ってしまえば壁かと思っていたものは一つ上のステージで、一つ上へ登ったことで周りが良く見えるようになると言った感じなんです。

 その「登る瞬間」の高揚感は、手術室ならではのもの。昨日できなかったことが今日出来るという単純なことではなく、昨日出来た事が今日出来なくても崩れない自信が生まれると言う事なんです。出来なくても、たまたまの巡り会わせで出来なかっただけで「分かっている」という自信は崩れない。
 だって人間だからね。どうしても体調とか気分とか、バイオリズムなんかで出来ることも上手く行かない時だってあるじゃないですか。

 完璧な人間なんかいないんです

 けど、壁を登ろうとしない人間はいます。私はそれに腹が立つだけ。適当に仕事をしていれば、いつになっても上れません。けど、一生懸命していれば、登ろうとおもわなくったって登れることがあるんです。突然、本当に突然天から降ってくるような「自信」が生まれるんです。それは今まで新人さんが持っていた根拠のないふわふわした自信ではなく、気持ちに根付く「もう大丈夫だ!」という不思議な安心感です。

 辞めたいと思うのは、頑張っている証拠なんでしょうね。壁の前で一生懸命打破しようと頑張っているからこそのもの。泣いて喚いてそれでもぶつかり続けてくれているんです。看護師には、そういう時に限って出てくる神様がいます。自分がそこにいる意味を教えてくれる神様は、きっともうすぐ出てくるんです。頑張っているからこそ出会えるんです。気持ちや体力で頑張っていると感じなくても、悩んだり凹んだりしていることがなにより仕事に向き合っている証ですからね。

 出来ないことばかりに目が行きがちですが、出来ないことが多いから駄目だというのではなく、出来ないことがあるからこそ関われるんです。けど、当たり前の事が当たり前に出来ることも、時として褒めて欲しいものですね。

                        

 それに加えて、矢張り今年は私の周りの恋愛模様がくるくると色を変えています。

 私自身の事も然り、先輩の事、後輩の事、果てはそれを取り巻く様々な事・・・。

 8月なのにまるで一年を振り返るような忙しさです。

 メールを待っていたり、電話を待っていたり、会いたいと思ったり、会えないと泣いたり、やっぱり好きだと感じたり、でも駄目だと戒めたり、気持ちは忙しく変動します。自分の事も去る事ながら、周りの恋愛にも一喜一憂している自分。

 思うたび、幸せになってほしい人が私の周りには本当に沢山いるんだなと感じます。

 先輩が私の話を聞くたび、

「うまうまちゃんの恋、出来るなら何をしてでも叶えてあげたいわ・・・・」

 そういってくれるように、先輩の切ない話を聞くたび、

「こんなに素敵な先輩が、どうして幸せになれないんだろう。」

 と切なく成ります。相手の行動の一つ一つ、相手のメールの言葉一つ一つ、電話の長さや内容の一つ一つに喜んだり哀しんだり、女の子ってつくづく大変な生き物だと感じます

 ただ大好きな人に好かれたいだけ、

 大好きなその人が一人いればいいだけ、

 他に何もいらないのに、その一つがかなえられない。

 仲良くさせてもらっている先輩が、知り合った男性と中々上手く進展しない様子を聞くたび、そう思います。自分の事はこの際さて置き、お互い恋人もいない結婚もしていない男女が惹かれあいながらも何故か上手くいかない現状の歯がゆさに、思わず涙が零れます。
 
 「その人」だけなのにね。振り向いて欲しいのはただ一人なのに。

 傍にいたいのは、傍にいて欲しいのはたった一人。

 どうしてその人なんだろう・・・その人でなければいけないんだろう・・
 

 槙原敬之さんの歌で「星の数ほどいる人の中で、どうして君が好きなんだろう。」と歌う曲があります。友達で始まった3人が、次第に友達と彼の恋人と僕という3人へ関係を変えていく様子を歌った歌で、「彼女の恋人」という曲です。
 大好きな人は、大事な友達の恋人・・・その切なさとやるせなさがジーンとくる、それでもかなりポップな曲調の歌ですが、「大好き」という言葉と「大切」という言葉と「大事」という言葉の意味を教えてくれる歌でもあります。

 大好きだから、君を連れ去りはしない。

 どんなに僕が君を連れ去るロケットを持っていたとしても、

 君を連れ去る事はしない。君と出合った事を不幸と思いたくない。

 君と友達がとっても似合うのは、僕の大事な人達だから。

 君は僕のものじゃないけれど、僕は君が好きだから・・・・。

 
 好きだという言葉の中に、その人の幸せを一番に考えあげる優しさが滲みます。その人が不幸になる為に諦めるんじゃない、その人の幸せを願うからこそ、自分は身を引くのだという思いです。弱いようで、実はとっても強い決断・・・。先輩の話を聞いたり、自分の恋愛を思い返したりすると、そうしたい気持ちとそれでも縋りたい気持ちが交錯します。
 

 私の周りの恋バナは、切なく咲いています。

 切なくてもいいんです。

 咲き続けて欲しいんです。

 いつか喜びの色に変わるまで


              ねぇ、先輩・・・
 


 
 どうか皆が、幸せでいられますように

 毎日を笑顔で終われますように


 私も、後輩も、先輩も、先輩の大好きなあの人も、


 私の大好きなあの人も・・・


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