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zoom RSS 人生の名脇役に・・・

<<   作成日時 : 2008/09/04 22:12   >>

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この記事にも書いた、当直で一緒になることの多い小児科の先生。彼に以前から「先生の診察は安心」という事を伝えていた私。確かに病院の中でもここまで安心しきって診療を見守れる先生はいないんです。言い訳もしない、とにかくすべての事に心を傾けていく先生なんですが、だから疲れるだろうなーという感じではなく、もともと誰しもにそういう人格の先生なんだろうとも思うんですが・・・。

 その先生とは、普段全然会うこともなく、廊下で偶然すれ違って

「元気してる〜!?

 というくらい。だって、手術室と小児科は縁がないもんね。
 いつも『最近どーですかー?』みたいなノリです。お互い仕事の話に終始して、実はプライベートの事は何にも知らんのじゃけど、それでも一緒に話をしているとこっちの気持ちがホッとする先生です。(何度かブログで書いたけどね。)

 その先生と、少し言葉を交わす機会があって。何気ないメールの事なんですが・・・。

『救急搬送があって・・・何も出来ない自分を痛感した。』

 ぽつりとそんな事が書いてあったんです。

 先日救急車で患者さんが運ばれた時、残念ながら助けることが出来なかった方がいらしたそうです。そういう方は救急外来に搬送されるので、救急場面が大好きなうちの師長さんなら知ってるかな?と思ったんですが、全く知らない様子。私もいつのどんな患者さんの事か分からないので、先生がどなたの事を言っているのかわからない上、それが子供なのか(小児科医なので)、大人なのか分からないんです。

 私が全然状況を知らないからこそ私に言えた弱音のようなものなんでしょう。どんなに素晴らしい人でも、時にこうして零したい弱さもあるものです。

 このメールを頂いて、私は変な意味だけど、ホッとしました。先生はまだまだ先へ向かおうとしているんだなと、感心もしました。いつ話しかけても話させてもらっても前向きな発言をされ、自分に出来ることは何かないかっていうことばかり考えていらっしゃる先生なので(少なくとも私との会話の中ではね・・・)、こうした『どうしようもなく抗えない』場面で、先生はどれ程傷つくんだろうって、僭越ながら心配していたんです。
 うちの病院で子供の死に立ち会うことは中々ないと思っていたんですが、子供でも大人でも『死』のある場所が病院。どんなに平和な診療科の先生でも、避けて通れないんですよね・・・

 私も新人の頃、内科病棟で働いていて、凄い時には一日一件の割合で亡くなられた方の死後処置をしていた経験もあり、夜勤をする度最期を看取った経験もあります。静かな夜の夜勤で、最後の灯火が消えようとしているその音を聞きながら、間隔のあいていく心電図のモニターをただ見つめるしかない自分の歯がゆさは、例えようのないものです。患者さんの身体から『生命』の存在が薄れていくのを見続けるのは、何より思い責任を背負った気分にさせてくれます。しっかりと看取る、何も出来ないからこそ、見守らなければならない・・・
 看護師の私がそう思うのですから、先生の歯がゆさと『無力感』は計り知れないことでしょう。治療の為にいる自分が、治療も出来ず『死』をただ待つだけしかないというのは、ほかにどんな例えでその気持ちを表現していいのか分かりません。

 緩やかな『死』に対してそう思うならば、急激に襲ってくる『死』に、その小児科の先生が自分の未熟さを痛感したのは当然の事。

 けれど、医者はそうした『死』を何度か体験するうち、『死』に対して鈍感になります。医師だけに限らず、看護師も同じ。私たち手術室の中でも、ベテランと言われる人達はインオペの宣言すら普通に受け取ります。それは卓越した看護師としての経験に裏打ちされた、感情を抑え仕事を全うするプロ意識なのかもしれませんが、そこに一点の感情も見られないとき、ふと疑いたくも成ります。

 生命に対する畏怖を忘れているんじゃないかと。

 人の生死が当たり前のようにあり、痛い事や辛い事が当然の事のようにある病院。けれど、それを当たり前のように思っていては、駄目なんです
 死を経験することの多い内科医や外科医の中には、『死』に対して自分が無力であることを痛感することがあるのかどうか、疑問に思ってしまう先生もいます。確かに、表面にださず、どんな状況でも自分が全ての人に対して「医師」であることを心得ている方もいらっしゃいます。それは尊敬すべき素晴らしいことの一つとも思います。『鈍感』なわけではなく、自分の無力感をもしっかり胸に抱えて、それでも医師である自分を全うしようとする姿です。多くの経験に対処して、それ故に得られる別世界のようなもの・・・。
 そんな強さを得る前に、「まぁいいか。」と、感情を諦めてしまう人が多いのも確かです。向き合うのが恐いから、感情が入っては面倒だから、そういう悪い意味での割り切りをする医師の多いことも否めません

 医師が『死』に対して無力だと言う事を、患者さんはどう思うのか確かめたことはありませんが、患者の前では言うべきできないという人もいると思います。患者の前での医師は、頼れるべき存在であって欲しいといわれれば確かです。そして逆に、素直に吐露できる先生でも良いと言ってくださる方もいるかもしれません。出来ないことに期待させられるよりはましかな、と・・・。 
 けれど、医師も人間です。急激に向かってくる抗えない死に対しては無力の事もあります。それほど、人の死は凄いエネルギーの塊。凄い出来事なんです。そうしたとき、私たち看護師は医師の葛藤をも思います。

 この先生がぽつりと零した自分の弱さに対して、私は思います。自分の医師としての弱さを顧みれ、またこうして誰かに暴露出来るのは、まだまだ先生が医師として健全な証拠なのかなと 何の流れにも染まらず、感情を固まらせることもなく、一緒に喜び、ともに憂える医療者なんだろうなと思いました。だからこそ、人を思い、心を沿わせた医療が出来るんだなと・・・

 医師としての長い時間を過ごしながら、医療に付いて回る人の生死に目を背けずに対峙してきた証拠です。私たち看護師だって、人の死に出会った時「もっといい看護が出来たんじゃないか、もっとしてあげられることがあったんじゃないか。」と、精一杯看護してきたつもりなのに後悔ばかり考えてしまうように、先生だって、幾つもの死にかかわりながら、そのどの人に対しても「もっと何か出来たはず」と必ず思うものだと思います。
 医療者は、関わった死の全てに対して、納得のいくケアが出来たとは言いません。だって必ず悩むんものなんです。逆に全てをやりつくして見送ってあげられたという『納得のいく死』の経験を持つ人の方が疑わしい・・・・ そんな人、よほど自信がある人か、きっと神さまみたいな人なんだろうな・・・

 とある内科医は、患者さんを亡くす度、その日一日私たち看護師の前へ姿を見せません。何も出来なかった自分が悔しくて、そして患者さんが亡くなられたことを自分の咎のように感じながら過ごすそうです。それは決して若い医師の動転ではなく、巷では名医と呼ばれるベテランの医師の姿。何処までも生死に謙虚な先生です。

 だからこそ、その先生に看取られながら死にたいと思えるのかも知れません。

 小児科の先生の言葉に対して、特別素敵な言葉を思い浮かべることが出来ず、ありきたりのメールを返してしまいました。

 けれど、その状況で「頑張ってとは言えません。

 「頑張る」事が時に先生の負担になること、そう声を掛けることで肩を落とすほどの苦しみがあることも知っています。これ以上、先生の何を頑張れば、患者さんが還ってくるんでしょう?

 先生が見送られた患者さんに、今日は祈ります。

 貴方の生命に対して真摯に向き合い、それでも助けられなかったと悔いる医師がいること、
 貴方に対して何も出来なかったと憂える医師が、これからも医師として誰かを救うこと、

 それが貴方への手向けの華になることを願います。



 出来ないこととは思います。分かっているんです。

 けれど神さま、

 その方を最後に、

 先生からもう、患者さんの命を奪わないで下さい。



 全ての人に、納得の出来る死を与えてください。

 全ての人に、穏かで満ち足りた最後を与えてください。

 最後の瞬間まで、人生の主役として輝かせて下さい。



 どうか私たちに、

 その素晴らしい舞台で輝く主役を彩る、名脇役でいさせて下さい。
 
 
  

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