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zoom RSS 今日の君は、明日いない。

<<   作成日時 : 2008/11/03 21:53   >>

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 今日は乗馬クラブで開かれたカドリール発表会の日。私が所属するチームも、新しいメンバーと新しい指導員での発進です。私は今までよりもずーっとのんびりしていて、実は経路も覚えていなかったほど。一番後ろをトコトコ付いていくだけなので、何だか気分的に楽だったんです
 その代わり、メンバーさんたちは結構緊張していたようで、音楽を聞いてる暇もないくらいのようでした。兎に角楽しんでいきましょう!という指導員の言葉に返す笑顔も引きつってるし・・・

 発表会自体は、まぁ色々ハプニング続きでした私が出場する時のカドリールは大抵何かが起こります。今回は私ではなかったのですが、その煽りを食らったのは事実。

 落馬がね、多かったのですよ。ころころころころ・・・・おむすびころりん

 私のチームのメンバーさんが始まる前に落馬され、出場しなかったんです。私のひとつ前の方だったので、一人空く訳です。前へ詰めようか一騎あけたままにしようか、ずーっと悩みました カドリールは奇数・偶数で演技内容が対照的。一つ前へ詰めると演技の右と左が逆になるんです。右へ回るところが左回りになったり、左に回るところが右回りになる。それくらいは別にいいんだけど、今回経路を覚えていない身としてはちょっと冒険 仕方ないので一騎あけたままの状態で演技しました。けど、どうしても経路がだらだらと長くなるので、直線などでは前へすこーし詰めさせていただき、臨機応変のカドリール。私一人のんびりしてました。
 演技を横から見ていた指導員と

「ちょっと遅いね。」

「そうですね。」

 と、演技中にもかかわらず会話してました。
 全ての演技終了後、やっぱり落馬が多かった話になり、

「自分の前であんな派手な落馬を見て、平然とそのまま乗ってるうまうまさんの方が凄いと思う。」

 と言われ、複雑
 まぁ、馬も平然としてたし。

 落馬でばたばたした後に待機馬場に移動し、メンバーさんたちがわらわらと「どーなるの!?」とパニくってる間、私はあーさんとてくてく歩いていたら、馬場の入退場の手伝いに借り出されていた会員さんが

「それでもあーさんは何事も無かったかのように一人冷静だし。」

 とぽつり。

「あはは〜、そうです。」
 
 はい、助かってます あーさん、落馬のその瞬間はドビックリして飛び上がったんですが、一頻り走ったら落ち着いて、

『こんなことしてる場合ちゃうやん?』

 ってな感じで落ち着いてくれました。パニくったままだったらどうしようかと思ったけど、そこは年の功。 『若いもんは若いもんで・・』といって隠居するかのごとく我関せずでした。
 馬に助けられました

 あーさんは今回のカドリールで全チームに借り出されていて、ありがとうを言う暇もなく次から次へと乗り手が変わる。人気者です。

 結果はまぁまぁ・・?

 またビデオ見て自分の至らなさに肩を落とすことでしょう。

 でも、楽しかったから良いや〜〜〜                      

 カドリールは、乗馬スポーツの中でも団体競技。馬場馬術自体は個人競技なので、団体競技が好きな私としては楽しくやれてます。みんなで揃って演技するのも楽しいし、演技に音楽が付いてくるのも楽しいし、衣装だって凝ったところが出てくる。 (今回の私たちは普通の正装だったけど) お祭り騒ぎみたいにわいわい出来るのが良い所。ギャラリーもそこそこ多くて、やがいもあり!

 良い一日でした

                     ♪

 普段テレビを余り見ない私。夕方から夜にかけてのテレビは、余程の事がない限り殆ど目にしません。ポルノグラフィティが出演する音楽番組も、大概録画派です。お陰で消えたりするんだけどさ
 今日たまたま、両親がつけていたテレビを、夕ご飯の準備中から眺めていたんです。疲れて何にもする気がせず、ボーっと座っていたんですけど。

 初めて見る番組で、長門裕之さんと南田洋子さん夫妻のドキュメントをしていました。観た方もおられると思います。

 これが、日本の現状なんだなと思いました。そして、彼ら夫妻は『幸せなほう』なのだと言う事を痛感します。そこに愛が在るから幸せだというのではなく、もっともっとリアルな部分で、彼らは良い方なのです。

 介護の現状、それは75歳の妻を74歳の夫が介護するということに尽きます。長門さんはVTR中に言いました。

「洋子の面倒は俺しかみれない。だから絶対今は死ねない。」

 それは、深い深い愛と懺悔に裏打ちされた別の意味での献身ですが、今の日本、この言葉を違う意味で使う方もいっぱいいらっしゃるのです。自分しか看る人がいない、そう言う事だったりするんです。

 認知症、介護・・・複雑な問題です。

 認知症には様々な症状があります。普段私たちは医療の中で「可愛い認知」「恐い認知」などと言い分けたりしますが、認知症の中で一番対処しにくいと感じるのが、「怒り」ではないでしょうか。南田さんの記憶はまだまだ繋がっているところも多く、怒りを笑顔に変える二人にしか分らない「慣れ」もあります。
 どうにも成らない感情を、怒りで表現するしかない認知という症状。私はこの場面に当たるたび、自分の無力をどうしようもなく感じます。

 このご夫婦のドキュメントは、ただ美しいだけでなく、ただ献身的で感動的というのではなく、行き着く現実のリアルさを醸し出しています。

「洋子の指の間から、記憶が零れ落ちていく。僕たちはそれを一生懸命拾い集めて洋子の手の平に返してあげるんだけれど・・」

 長門さんの言葉一つ一つは、今までの介護のドキュメントにないほど、素の不安を伝えてきます。妻の記憶が次第に薄れていくことの恐さ、不安・・・・それは言い表せないほどのものであはずです。壮絶な役者人生を共に生きてきた夫婦だからこそ持つ「愛」故なのかもしれません。
 
 70歳を越えて、介護という言葉で言い表すしかない日常生活を送りながら、夫婦はこんな会話をしていました。

「愛してるよ。」

「洋子もだよ。」

「だいすきだよ。」


 おやすみの後の何気なく交わされた会話でした。
 けれどここに、長門さんの介護の報いが全て詰っているのでしょう。

 「愛」だけでは介護は語れません。今までの人生の中で、長門さんは南田さんにかけてきた全ての苦労を、今になって返してあげているのだと言います。今まで彼女がしてくれた献身が、今は自分の献身につながっているというのです。
 ギブアンドテイクという事だといえば、なんとも学問的で資本主義的です。やっぱり、私はそこに二人が40年以上も育んできた絆の力を感ぜずにはいられません。

 そしてその絆を綻ばせてしまうほどの「何事」も彼らにはないと言う事、それがこのご夫婦が「良い方」だという所以です。

 生活にかかる他のどんなことにも煩わされることがないからこそ、その愛と絆の力だけで介護を続けられるんです。確かに、長門さん夫妻にも様々な問題が降りかかってきている様子は、VTRをみていれば良く分かります。インタビューの中の長門さん自身の言葉を聞いていたら、激しい葛藤と苦悩に苦しんでいる様子もみられます。役者だからと言って何でもなく、一人の人間であり、一組の夫婦であるのだと感じます。

 けれど、彼らにはお手伝いさんもいます。現状をこうしてドキュメントして伝えてくれるマスコミもついていますし、仕事だってあります。経済的にも問題がなく、家だって設備だって食べ物だって困ることはありません。南田さんはまだ記憶を繋ぎとめる時間も多く、排泄の問題も寝たきりの状態でもありません。
 同じ介護の現状を持つ方々は沢山いるかと思いますが、ここまで恵まれた方は他におられないのではないかとも思います。だからこそこうして日本中に伝える役目を負うのでしょう。日本にこんな現実がある事を、自分をタイトルにして伝えていくという役目。
 
 一番の問題は、経済的なもの。介護の問題はそこから始まっています。
 その支援すら、満足に出来ない今の社会福祉。
 
 ドキュメントを見て、凄いと感動したりするのではなく、色んなことを考えました。社会福祉のあり方、介護、医療・・・未来の自分、未来の誰か・・・。

 そして、ここまで出来る相手との出会いの素晴らしさ

 どんな状況に陥っても、お互いの手を離さず、どんな相手でも愛を持って受け入れる姿に、私たちは涙が溢れるのかも知れません。認知症という「病」と戦いながらも、南田さんは夫の名前を忘れていません。自分の芸名を忘れても、夫の芸名は覚えています。
 「愛してるよ。」という夫の言葉を覚えています。どんなに苦労させられた人生でも、そう言ってもらうことの嬉しさを覚えていて、「私も。」と素直に返すんです。

 居間のテーブルで二人でふさげ合う姿の無邪気さの中に、南田さんの美しさがそのまままだ残っていました。少女のような笑顔を見せる彼女に、スクリーンで見たあの輝きが残っていました。それはきっと、傍に長門さんがいるからこそ・・・。
 その光は、零れ行く両手の中の記憶の、一番深いところにひっかかっているんです。決して零れ落ちることのない輝きです。他のどんなことが彼女の両手から砂のように零れて砕けても、おそらくこの輝きは指に残ったままでいるんでしょう。指輪のように、その両手の中に残り続ける記憶を光らせているものです。

 今日の洋子は明日はいない

 ドキュメントVTRにつけられた、それは切ないタイトルです。けれど、私たち医療者は別の角度からその現実を見つめます。

 明日の彼女は、今日とは違う。

 違うけれど、そこにいるんです。確かにそこにいて、昨日よりは何かを無くしたかもしれないけれど、明日という一日に得るものが「明日の彼女」の姿なんです。それは、私たち社会生活を何気なく行っている人間も同じです。
 変わっていくかもしれない。それを受け入れるのは辛い事かもしれない。重い現状にさらされるかもしれない。けれど、その人はそこにいて、昨日と違う今日を生きているんです。
  
 そういうことなんです。

 「今日の彼女」を明日の彼女に追い求めるのではなく、「明日の彼女」の変化を受け入れていくんです。人間関係の、一番根本はそれではないですか?
 そしてそこに確かに育んできた愛からあるからこそ、「明日の彼女」にも「愛してるよ」と言えるんです。

 同時に、確かな愛があるからこそ、誰よりも深く、誰よりも強く、苦悩するんです。

                       

 不躾ですが、晴一くんを思いました。昭仁くんを思いました。そして、大好きな彼の人を思いました。これから長い時間を共にする相手に、こんな風に愛を囁くのかなと

 いつかは巡り来る未来です。男が先か女が先か、それだけです。
 「介護」が未来ではなく、「老い」は誰にでも訪れる未来。

 最後の時より前の時間に、どんな愛を奏でるでしょう?

 それは、晴一くんの言う両側の愛になっているでしょうか?

 薄れ行く記憶の中で、零れていく記憶を繋ぎとめながら、おそらく晴一くんならば、この出会いに感謝するんでしょう。きっとそれさえも、美しいラブソングに変えるのかもしれません。愛ゆえに頑張れる自分を、いつものように「ロマンチックだなんて言って微笑むのかもしれません。そして、そんな彼に優しく微笑みかえす京子さんでいるのでしょうか・・・

 その姿を見たときに、切なさよりも喜びに胸がいっぱいになる、そんな夫婦でいて欲しいものです。



 私も、そんな誰かに出会いたいものです。


 色んなことを感じたけれど、胸につっかえてなんだか上手く言葉に出来ません。考える以上に長門さんの生活は辛いのかもしれません。なのに何故か、私にはそれでも幸せそうに映りました。南田さんを思い、考え、口に出す言葉の端々に、幸せの響きを感じたりしました。

 だからこそ、こんな夫婦になれるなら・・・と思うのでしょう。



 昨日友人から、大好きな彼の人の奥さんの話をちらりと耳にしました。
 こんな人で、こんな風で・・・・
 分っているのに、切なさで涙が零れました。

 愛しているという感情で許せる全ての事が、何だか羨ましくて泣けてきました。

 
 複雑な気持ちで終える、3連休です。


 

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