〜近畿☆瀬戸内☆うまうま交響楽団 ♪

アクセスカウンタ

zoom RSS 禍と福

<<   作成日時 : 2009/03/23 00:14   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 この連休、皆様は如何お過ごしでしたか?しまなみ海道が1000円になってからというもの、今までにない観光客でにぎわっているそう。新聞記事にもなっていましたっけ。確かに四国にはいっぱいの観光があったり、しまなみ海道の道々にも沢山の特産品があったり、島独自の雰囲気もあったりしますしね。高いイメージのあった海道、これで少しは元気になるのかな。

 けれどそれは昼間の話。

 夜は、相変わらず静かです

                       

 この連休、私はと言えば、一日目が当直明けだったせいもあるのかないのか、スタートダッシュして連休を楽しむという感じではなく、ブログに書くに申し訳ないほどどんより過ごしました。

 土曜日の真夜中や日曜日のお昼、ともに当所もなくふらふらと車を飛ばして、ガソリンのメーターと相談しながらどこへ行くでもない、目的地のないドライブに勤しんでいました。眠れなくて一晩中ふらふら・・・。
 道々に写る光景も、雨も日の光も、夜の暗闇もライトの明かりも、何だか全てがどうでもいい感じに成っていて、綺麗だなという思い以外に感じない気持ちを抱えてふらふらしていた訳です。

 別に何があったわけでもないのですが・・・

 どこか遠くへ行きたいですね・・・

 別に自分の過去に、遠ざかりたい何かがあるわけではないのですが、ここではないどこかへ行ってしまいたくなる気分です。連休に、なんて勿体無い気分の私でしょうね
 ここではないどこかなら、別にあっちの世界でも良いかなぁなんて、小雨の降る暗闇に浮かぶ瀬戸内海を眺めながら、どこか海岸へ降りる道を探していたり、今すぐ癌にでもなんにでもなって、この世から惜しまれながら(←ここがポイント?)身辺整理して旅立っていくのもいいかなぁとか・・・

 色々考えながら、そう言う事をつらつらと考えられるほど、結局自分は何にも持っていないんだなぁと分って切なくなったりするのです。

 前にも書いたけれど、私がいなくなって何かが困る訳でもないのですからね。仕事が滞って困るわ!とか、そういうのは逆に「死んでもらって迷惑!」という感じなのでちょっと別の意味の気がしますけど。

 毎日どこかで惜しまれながら誰かが死んだり、あるいはどこかで誰かが救いようのない絶望に自死を選んでいたり、果てはどこかで誰かが自らの意思とは関係なく生を奪われていたりする訳で、そんな世間で言う「一般的な不幸という言葉」の中から見たら、私はとっても「お嬢様」なんだろうけど。

 一生懸命生きているつもりなのに、踏みしめて自分の後ろに道を作ってきたはずなのに、この世に自分の生を引き止められるほど、自分の持っている全ては意味のないことだなと感じたりする毎日です。それは当直中の親子の中の絆を感じたり、家族の愛情とかを見たり、そうした世間の姿を眺めながら感じる、喜びと綺麗だなという気持ちと、そして少しの淋しさを感じて毎度毎度内省することだったりします。
 もっているのに持っていないと思ってしまう自分の浅はかさもそうだけれど・・・

 いやぁ、本気で今日はブルーです。すいません

 なんでこんなに気分が落ち込んでいるのか、多分それは分っているんですが言葉にすることは出来ません。ただ、自分が誰かに必要とされていたいと思うのかな。

  

 もう、恋なんてしない・・・
 こんなにどうしようもない気持ちで死にたくなる自分と、これ以上折り合っていくのはしんどいな。
 こんなに誰かを好きになる気持ちがあるなら、どかっと押し寄せてこなくてもいいのに。

 自分の気持ちと向き合おうとすると、どんどん溢れて止まらない涙と、まず格闘する羽目になる。そのあとのボーっとした頭で、ぼーっと考える。

 何で哀しいのかな?
 何で涙が出るのかな?
 何で泣きたいのかな?

 ついこの間発売になったドリカムのアルバムが、こんなにも泣けるからかな?
 何を聞いても彼女の声が、「頑張れ」と言う言葉以上に

 「解るよ」って言ってくれてるようで哀しいのかな。

 彼女が歌う「強さ」のように、前向きになれない自分がとっても哀しいのは悲しいけど。

 10001回目が来るなんて笑いながら思うけれど・・・。
 それが明日かもしれないって思うと、笑顔になれるけれど・・・。

 結局、何が哀しいのかわからなくて、涙と笑顔がどんどん零れて行くんだな

 笑顔は、辛くても出来る。
 同じように、涙も、哀しいだけで流れるものじゃないんだな。

 ただ好きだと思うだけで零れる涙があって・・・
 よく解らないけど・・・難しいけど・・・

 でも何度もこんな気持ちを経験するのは辛いから、
 もう恋なんてすまいと思う。

 今は、未来を描く力がないからなぁ・・・

                          

 私達、淋しいとか悲しいとか辛いとか、不幸とか、そういうネガティブな感覚を必死で避けようとするものですよね。頑張ってでも幸せなほうがいいし、平凡でも普通の方がいい。出来るならもっと喜びがあって、幸せが合って、誰からも羨まれるような人生でありたいと願ったりする。
 物質的にももっと豊かになりたいと思ったり、精神的にも煩わせるものが何もないことを願ったり、順風満帆でいることを願ったりする。

 幸せになることが、結局どう言う事なのか、ふと立ち止まって考える本に出会いました。やっぱり、本との出会いって不思議なものです。何気なく買った以前の本を、今この時期に手にとって読み遂げる意味があるんだなと思ったり。
 深く感銘に残ったり、印象に残ったりしなくても、読み終えて一瞬でも「あ、どうなのかな?」って考える自分に行き着くと、このときに読んだ意味があるんだなと思っています。

「さよなら渓谷」
          吉田修一:著 新潮社

 いつの間にか、伏線が主線になっている物語。初めから終わりまで誰もが傷を持っていて、その傷から流れる血液を必死で押さえながら生きている物語です。
 自分の出血を止める為に誰かに刃を向けたり、自分の血を流すために、瘡蓋をはいでみたりする物語。

 誰かが結果的に「幸せ」になったのか、ハッピーエンドなのか、物語の言葉だけでは言う事は出来ませんが、そこに確かに在る「救い」。救われることがイコール幸せではないのだなと思ったりします。

 そして、「幸せ」ってなんだろうって感じます。幸せになりたくない人は居ないかもしれないけれど、不幸でなくてはならないと思っている人はいるんだろうなと感じて、幸せが恐い人もいるんだろうと思ったりします。
 
 自分の目の前に、捉えたい、手にしたいものの存在をはっきり認めると頑張れる反面、頑張って手にしてもまたすり抜けて行ってしまうのではないかと不安に思う。その時の喪失感が恐くて、ならばいっそ背を向けたほうがいいのかもしれないと思ってしまう。私の恋心と同じなのかな。

 そんな感じを思いました。

 ふわふわと浮き草のような日々の喜びや幸せを掴むのは容易いことかもしれません。けれど、いざ眼前に「自分のものにしたい、確固たるもの」を見つけたとき、手にした喜びの大きさよりも、もしかしてなくなってしまうのではないかという恐怖の方が大きくなる・・・。この気持ちも、誰もが解るものですよね。

 それが人間関係で描かれているのが、この本なのかな。自分が手にしたい人はこの人なのに、この人を得る喜びの反面、いつかまたその人が去っていくことがあるのではないかという恐れが、その一歩を踏み出させない。その辛さを味わうくらいなら、初めから会わないほうがいい、知らない振りをしていたほうがいい。

 けど、そうは行かないものなんだなと思ったりしますが。
 「運命の人」って、そういうものです
     なーんてね

 本と「運命」については全然絡みがないのでご了承を。本当に、面白いという表現以上に、人間がただ生きているだけで持つ何かしらの罪の匂いを感じたりします。その罪が赦される時が、本当の至福といわれるときなのかもしれません。
 
 幸せって、なんだろう?

 物をたくさん持つことでもなく、お金を沢山得ることでもなく、愛する人と共にいることでもなく・・・。その手触りの心地よさにうっとりなってしまうけれど、その正体を何にも知らないまま何だと感じる、今日の私です。

 


        ドリカムのNewアルバムは、凄いです

にほんブログ村 犬ブログ 犬 闘病生活へ
にほんブログ村

にほんブログ村 病気ブログ 看護・ナースへ
にほんブログ村

2011.10.21より参加しています。ぽちっと応援よろしくお願いします。

初心者なので、どの記事にもどちらも載りますです。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
禍と福 〜近畿☆瀬戸内☆うまうま交響楽団 ♪/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる