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<<   作成日時 : 2009/03/08 20:52   >>

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 最近のうちのわんこ、ちょっと異常な位小言が多いんです

 前からくしゃみや咳をしたら、文句のようにワンワン言っていたんですが、ここのところそれがエスカレート
 座って居るのを立ち上がったり、足を組み替えたりするだけでもわふわふ 席を立って部屋を出ようとするもんなら、噛みつかんばかりに吠えまくる。トイレに立つにも一苦労です
 しかも、パソコンをこうして弄っている時も耳をそばだてていて、マウスを使っているうちは大人しくしているのに、キーボードを打とうとすると近くに寄ってきてワンワン!!!

 一体何が気に食わないのか、おしゃべりなことこの上ないんです 窓から外を眺め、人が通るたびにワンワン 自転車でもワンワン 原付でもワンワン 訪問者が来ようもんなら、敵襲!とばかりに毛が逆立つし

 ・・・・それがまぁ・・・・内弁慶って言うものの典型のようで

 散歩に出ると、不安そうに私の顔を見上げながら歩いていくんです。寄る年波には勝てず、ちょっとばかり歩く勢いも落ちてきたわんこ。長い散歩には「しぶしぶ」といった感じが否めない。「まだ行くの?」「もう帰ろうよ」といいたげに、逐一私の顔を見上げる。それが何だかヘタレでおかしくて!
 
 今日も天神さんまで歩こうと勢い込んでいたのに、その手前の梅林まででストップをかけるわんこ。梃子でも動かないつもりで、引っ張る私に対抗して足を突っ張る 引っ張っていたらそろそろ観念するかなぁとおもっていたのに、一向に力を抜かないわんこ。


 絶対嫌!!!! もう帰りたいの!!!!


 という意思表示。小心者なのに頑固なのは前からです。何時まで続くかと思ってずーっとそうしていたら、何時まででもそうしているつもりのようで、段々わんこの短い足がプルプル震えてくるんですよ

 可笑しくて

 根負けです。目を合わせないように俯いて必死で4本の足を突っ張っているのに、足元はがくがくしてきている姿が面白くて これを歳だといわれればちょっと淋しいけど。あんなに家でワンワン鳴く元気があるんなら、散歩で発散させようと思っていたのに、これじゃ駄目ですね
 
 コーギーって、見てて何考えてるのか分るところが面白いです。

                        

 そのわんこにも、白髪が目立ってきました。まだ今年で9歳なんだけど、めっきり「歳」だなぁと感じる最近です。食べる量とか元気さとか、いつも寝ているとか、そういうことではなく、何となく・・・時間が流れているんだなと感じてしまいます。
 とうの本人は自分が歳をとることも、体が言う事を聞かなくなることも、そしてやってくるだろう「死」も、なーんにも考えていないでしょうけど。それがいい所なんですけどね。

 「死」繋がりではないんですが、そんな感じの本を読みました。待機当番の一日で、やっと一冊です。

 実は、ちょっとした意味があって読もうと思って手にとった本です。

 家族ってなんだろう
 家族の中で自分ってなんだろう


 そう考えていた時に手に取った本です。

「もう一日  for one more day」
     ミッチ・アルボム:著 
           小田島則子・小田島恒志:訳 NHK出版


 という題名の本です。アメリカではベストセラーになり、今だ売り上げを伸ばしているという一冊。けれど日本では、海外文学の棚にひっそりと並べられていました。
 見つけた瞬間は「読みたい」と思って手に取ったんですが、それでも今は読むべきじゃないかと思って一旦は手放したんです。でもやっぱり考えれば考えるほど読みたくなり、一週間近くたってから探し回った一冊です。

 「家族」をテーマにした物語です。もう会えない人と、人生の最後にもう一度であったその一日を描いた物語。それはファンタジーとかゴースト・ストーリーとかいう、実際にはありえないとたかをくくられてしまう類の設定と話の流れです。
 けれど、物語の読み手は言います。「これは本当にあったことなんだ」と。
 
 自分が母の宝物だったあの日へ戻れるなら・・・

 母の無償の無限の愛、家族のあり方、親のあり方、子供のあり方、それぞれの苦悩と成長、お互いに優しさゆえにすれ違っていた数々の出来事、親と子でぐちゃぐちゃだったストーリーが、ようやくその「一日」を迎えて一つになる、家族の物語です。

 家族と言っても、主に出てくるのは母と息子。自分の人生を諦めて投げ出そうとしていた息子の前に、8年前に亡くなった筈の母が現れる。物語はそこが入り口です。その息子の口で、ストーリーは語られていきます。
 彼の苦悩と、息子であるが故の戸惑いや恥ずかしさや「愛」に対する偏見と猜疑と、それでも「愛」を求める純粋な思いが、きっと形や表現こそ違うものの、誰もが考えているだろう身近な悩みとして描かれます。
 私は娘で、息子ではないので分らないことあるんですが、男性はこんな風に考えてるんだろうなと思うことは仕切り。男性だからこそ、父の愛に対しては貪欲でも、母の愛にぶっきらぼうであったりするのかもしれません。


 私がこれを読もうと思った理由・・・・それは、彼の人の一言でした。

 「家族」って?

 今でも、心に残って眠れません。何故私に?という思いと共に、何故?何故?と言う、質問の内容すら曖昧な問いかけだけがぐるぐる回ります。その真意は、どこにあるの?
 彼にとって「家族」って、なんだろう?
 「父親」とは? 「母親」とは?「妻」とは?「子供」とは?

 そして、家族の中の自分とは?

 「家族」の意味は、どんな人にも共通に同じものであるはず。どんなに酷い家庭でも、どんなにばらばらの家庭でも、母子家庭でも父子家庭でも、「家族」と言う言葉に与えられた意味は、同じなはずです。
 自分が生まれてきたのは両親があったから。こうして自分が居ること、存在することがすでに「家族」の意味する所の一つのような気がするんです。

 勢いで、色んな家族の物語を読みましたが、そこに共通する「家族」の意味。言葉には出来ない感覚的なところで、どの物語にも同じ意味が込められています。それは、自分が存在する為にまがりなりに、それがどんな人であったとしても、両親が必要であったと言う事に繋がるもの。自分が生きているのは、父と母がいたから。それを理解しろと、彼に迫ることは出来ません。彼自体それはよく分っているはず。
 世の中には、どんなに頑張ってもどうしようも出来ない理由で「家族」を放棄するしかないこともあります。家族の意味を感じられないまま育つ子供もいます。それは、マザー・テレサの言う「心の飢え」のようなもの。

 この「もう一日」の中の主人公も、人生に自暴自棄になり自分の必要性を全く見出せなくなります。それも、「心の飢え」。
 そして願うのです。

 自分が母の宝物だったあの時期から、もう一度やり直したいと。

 物語を読んでいて、誰しもが「家族」の宝物であるのだと気づきます。夫婦は他人かもしれませんが、何億と言う人の中でめぐり合い、愛し合い、その思いを実らせて一緒になるその奇跡は、「家族」の始まりのドラマに成る程煌きのある出来事。そしてその他人であるはずの夫婦から、どらちもにも共通する子供が生まれてくる。考えれば不思議なことです・・・・。
 だからこそ、「宝物」なんです

 本文の中にあります。

 結婚後、中々子供が出来ずに苦悩していた母親が、どうしても子供が欲しくて、当時苦し紛れに湖畔の木に彫った「お願い」と言う言葉を息子と見つけて笑いながら、

「わかったでしょ。こんなにもあなたを待ち望んでいた人がいたって事。
 子供って、時々その事を忘れちゃうのよね。自分の事を『宝物』じゃなくて『お荷物』だとかんがえちゃって。」


 何故木に彫ったの?と聞く息子に、母は「木は一日中神さまを仰ぎ見ているから。」と応える母も凄いですけどね。

 この話が何故彼の人に通ずるかは、物語を読んで尚且つ彼の話を聞いた人で無いと分らないかもしれませんが、兎に角兎に角彼の人は置いといて、『家族』の意味するものは誰しも同じだと感じた私です。
 読み終えて分ったのは、この本が家族を扱っているにもかかわらず、母の無償の無上の、限りない愛の物語でもあるということです。

 出てくる家族は確かにぐちゃぐちゃです。主人公の息子も、子供時代の「苦労」を恥ずかしいと思いながら、傷の一つとして考えながら生きていました。その全てが、その与えられた「もう一日」で解決されるのです。その後、主人公の彼が豊かで笑顔の溢れる日々を送ったことは言うまでもなく、晩年の自分を誇らしく思っていたことが伺えます。

 全ての罪は、浄化されるのです。心を開けば、受け入れられる事があるんです。心を閉ざしたまま人のせいにしてしまう人間の愚かな習性を、私はよく分ってしまって苦笑いです。

 物語の中に、「やるべき仕事」と章題の付いた項目があります。病院で看護師として働いていた母親が、ある理由で仕事場をくびになってしまいます。病院は街に一軒だけで、そこを辞めさせられると言う事は、看護師の仕事には付けないと言う事を意味していて、美容師や掃除婦を兼務しながら子供達を育てていくんです。子供達はまだ小さくて、そんな大人の理由なんて全然分らない。大人になった息子は、母親に

「母さんは自分の一番大切な仕事に戻れなかったんだ。」

 と言ってしまいます。それは大人になった今ようやく、母が掃除婦という当時はあまり良い仕事とは言えない定評のある仕事までしていたと言う事を知ったから。自分達子供の為に、世間に蔑まれるような仕事をせざるを得なかったんだと言う負い目・・・・。
 けれど、それを聞いた母親は言います。

「一番大事な仕事はしていたわ。」

 この時の母親の誇らしげな表情まで思い浮かべる事が出来そうな場面です。

「母親だったって事。」

 私も母に(なれるなら)成った時、こう思うんだろうか?
 子供の中に、零れても惜しくないほどの愛を注いで育てられるのだろうか?

 物語なら微笑ましく読むことが出来ます。そして、物語にもあるように、子供のときの主人公の心は救えなかったかもしれないけれど、大人になった主人公の中にある子供の頃の心を、母はその言葉で救ってくれます。
 ならば、時間などいつでも構わないのです。どんな傷も、関わる人が居る限り、癒すことが出来るんだと感じました。現実にも、リアルにありうる救いです。

 恥ずかしくて口に出せなかった言葉が、ちゃんと言えるようになったときに感じる癒しがあるように、子供の頃に受けた傷は、大人になった今でもたった一言で癒すことが出来る。背を向けていなければ、そっぽを向いていなければいいのです。

 告げることは、出来ないかもしれません。彼の人に、もう一度「家族」と向き合って欲しいと告げるのは、私ではないのかもしれません。けれど、治療できる傷なんです。完治できる病なんです。満たすことの出来る、「飢え」なんです。

 私がどんなにあなたが必要だと、あなたが大事だと囁いても、
 最愛の人がどんなに愛していると心を砕いても、言葉にしても、抱きしめても、
 共に歩く友人がどんなにあなたを頼りにして縋っても、
 「飢え」は続くのかもしれません。 

 常に求めても与えられないものがあることは、人生の中で何度もあること。けれど、求めるべきものを求めないで居ることは、淋しいこと。ただ欲しいと言うだけで与えられるものがあることに、気づけて居ないこともあるんです。それはその人だけでなく、私でもあなたでも・・・・。
 
 欲しいと願って欲しいものがあります。

 得る為に私の力が要るなら、どんなことでもする。

 だから、考えて。
 そして、教えて。



 あなたの中の「家族」の意味を・・・・

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