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zoom RSS 金曜日の夜には

<<   作成日時 : 2009/05/30 01:02   >>

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 金曜日です。何もすることがない金曜日です。いつもはお琴のお稽古の日なのですが、今日はお師匠さんの都合でお休み。仕事も早くに終わり、スタッフもめいめいの週末へ笑顔で帰っていくのに、私ときたらちょっとどんより。

 週末が苦手なのは、相変わらずです。特に何の予定もない週末は、一番嫌い・・・。やることがあるけど手に付かず、やることがないともっとどんよりしちゃう。悪循環というのでしょうか。
 
 一週間のお仕事の終りに、今日も瀬戸内の海を見に行って来ました。最近は滅法日の入りが遅くなっているので、19時でもまだ明るい。久しぶりに少し日の高い「夕陽」を見ました。しまなみ海道を走りながら見る夕陽は、島ごとに違うんです。尾道で見る夕陽と今治で見る夕陽は、表現力が違います。

 因島で見る海と、来島海峡で見る海も、違います。

 静かな海面に風と夕陽が描く自然の光景は、とても綺麗でとても穏かで、とても大らかです。

 どうしてこんな風に人間も、誰も彼もを包み込むような、誰に対しても平等な、確かにそこにあると思える優しさを持てないんだろう?

 後輩から来る、後輩の職場の芳しくない報告メールが、思わず車の足を止めます。メールを返しながら、どうしてどうして?って思います。
 ほんの少しの優しさがあれば、ほんの少しの思いやりがあれば、ほんの少しの情があれば、変われるものは一杯あるのに、自分の事しか見てない人の多いことに驚かされます。私は人間関係に恵まれていて、職場にも恵まれているので、後輩から聞く全てに「本当!?」と聞き返しながらのアドバイスに成ってしまいます。
 
 人に優しくしないで自分に優しくしてもらおうとか、相手の事を考えないのに自分の事は考えて欲しいとか考えるべきだとか、人のペースは顧みないのに自分のペースを守ってほしいだとか、自分は出来るから相手は知らないとか・・・

 自己中心的な人の多いことに気付きます。そして同時に、そんな人達が何も見えていないことにも気付きます。周りで戸惑っている人の事も、泣いてる人の事も、平気そうにしてるけど泣きたいくらい辛い人の事も。

 昔々、言われたことがあります。

「人の悪口をいう人は、かわいそうな人だと思って哀れんであげなさい。」

 聖書の言葉だったか、先生の言葉だったか忘れましたが。
 そして同時に、

「そんな嫌な人も、気に食わない人も、文句を言う人も、結局最後には死んでいなくなるのだから。そう思うと楽になれるはず。」

 と。

 流石に私は当時そこまで理解できなかったです。だってその人が死ぬ頃には私も死ぬ頃だろうし、その人が死ぬまでは嫌な思いをしなきゃいけない訳だし、それまで時間はいっぱいあるし!!!と思っていました。

 けれど、最近はその言葉をよく思い出します。哀れむべき人の多い事といったら、両手を何度折って戻しても足りないくらい。私一人が深く深くその人の事を可哀相な人だから救ってあげてほしいと願っても、その人は痛くも痒くもないんですけどね。私がその人を哀れんでいる事も知らないでしょうし、私に哀れまれても、可哀相ねと同情されても、たいしたことないんでしょうけど。

 最後には皆死んでいくんだからと、未だにそこまで達観は出来ないけれど、死ぬまでこんな人格で、死ぬまでこうまで人に嫌な思いをさせ続けるのかと思うと、逆に本当に本当に可哀相な人に思えてきて、切なく成ります。生きていれば確かに誰かに悪気はなくとも嫌な思いはさせていくものです。愛称とかそりがあわないとかありますし、タイミングとか価値観の違いとかありますし。

 そうした避けられない事以外で、故意に人を傷つけるのをなんとも思っていないのはどうかと思います。それが悪い事と感じていないだろうし、「傷つけている」とも思っていないんでしょう・・・。

 それは、ヒトとしてとても哀しい事です。
 
 人以外の動物は、絶対にしないことです。

 生態系の頂点に立つという事がこんなに切なくて悲しい事なら、人間は心を無くすか、生態系のトップをなにものかに譲るべきだったのかもしれません。
 犬はお互いに傷つけません。異種間でも、心を傷つけられることはあっても、傷つけることはしません。猫もそうですし、うさぎも、ハムスターも。昆虫だって、ゴキブリだって、相手の心を傷つける行為は遺伝子という本能に刻まれていません。
 人間だって、遺伝子に「人を傷つける」情報などないはずです。「優しさ」もないのかもしれません。どちらも、生きて行きながら得る後天的なものなんでしょう。取捨選択をして、必要なものだけを残すもの。

 色んな人に関わっていて思います。

 「優しさ」を捨てた人と、「攻撃」を捨てた人、どちらをどれだけ捨てたかで、人は変わります。

 「優しさ」を与え続けた人と、「人を傷付け」続けた人と、手放さなかったものが何かで、人は変わります。

 こんにちはと挨拶を一言交わすだけで、そこに浮かべられた笑顔を見るだけで、相手がどちらか分ります。これという人格がはっきりするのではなく、心の中に大事に持っている「優しさ」の割合が、感覚的に分ります。それは、私達がよく言う「接しやすい人」とか「いい人」というようなもの。

 自分がどう見られているかは分らないけれど、自分が発する言葉にどれだけ心を込めているかは分ります。分るはず。心が寄り添っている言葉は響くものだし、心ある行動はそれが厳しいものであっても相手に届くものです。

 物事は何を成したかではなく、どれだけ心を込めたか・・・

 マザー・テレサの言葉がよく分ります。成功とか評価とか、そんなモノばかり追いかけても仕方ないこと。何を成したかを評価するのは、人間の作り上げた企業や会社という組織だけ。その組織でしか通用しない、狭い狭い通行手形。
 社会において、全世界の繋がりにおいて必要なのは、成したことにどれだけ心を寄り添わせたかということ。


 後輩の病棟の人間関係の酷さや自己中な上司の言動に、色んな事を考えます。憂えるだけしか出来ない私も淋しいですが、放って耳を塞いで目を閉じておくのも悔しい。
 
 だから、思わず書いちゃうんでしょうね、私・・・。あんまり愚痴かいちゃ、いい思いしないんだけどね。

 

 金曜日、何も成せず、だから心も使えない私。寄り添わせるなにものもない、金曜日の私。
 やりきれないこの気持ちに心を寄り添わせたら、我慢できないいろんな事が溢れちゃうから、じっと一人で膝を抱えてみようと思う。

 何も成せない週末・・・だから苦手です。



 「故意」と「恋」 


 同じ音でこんなにも別の心を表すのも、日本語の不思議です。

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聖書の倫理
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