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zoom RSS 命に標された力

<<   作成日時 : 2009/06/04 00:10   >>

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 2009年度に入ってからというもの、科によってオペ日の変更などがあり、週の半ばの水曜日は兎に角忙しい一日になっています 忙しいというか、一杯一杯 誰しもが何らかの仕事を請け負っていて、手術についていると、手を離せないときに物事を頼んだりフリーとして一緒に外回りに入ってくれたりという、ありがたい『手』がなくなります。全てが一杯一杯で、ぎちぎち 個人の時間と能力ぎりぎりまで仕事をしている感があるのが水曜日です。

 かく言う私も、皆が取りこぼしている仕事を一つ一つ片付けながら(それが私の仕事みたいなもの)、自分の請け負っている手術の準備と対応を平行して作業です。

 今日の私が付いていたのは、帝王切開術。私が思い入れ深く対応している出産の手術です。今日も入念にベッド調整し、インファントウォーマーの位置を前よりにセットし、なるべくお母さんの枕元を広くして

 考えながら部屋を作っているところへ、師長さん・・・

「この間テレビで、カンガルーケアは良くないんじゃないかって言う報道をしてたね。」

 ががーーーーーーーんっ!!!!!

「うちの病院で3年目が研究したケアは短い時間の触れ合いだったけど、他の病院は一時間くらい長く抱っこするんだってね。で、急変に気付かなくて死亡例もあったりするんだって。」

 まぁ、一番考えられるリスクではありますけど

「言っちゃ悪いですがね、それは管理が良くないってことじゃないんですか?」

 後輩に研究を勧めた手前、そこは反論したいところ。きちんとした手順と環境を整えるべきだとは私、ずーっと言ってるじゃん!
 カンガルーケアって言う言葉の狭義の意味で言えば、うちの研究はカンガルーじゃないもんな。

「まぁ、言ってみればそれに尽きるんだろうけど、死亡例があるっていのがネックみたいだけどね。」

 師長さんはあまり詳しくそのテレビ番組を見ていないらしく、はっきりとは分からないけど・・・と言われておしまい。
 しかし、一事が万事って言葉のとおり、一つの不幸な症例で全てが否定されてしまうのは哀しいものです。

 うちではまだ定着に向けての活動が出来ていなくて、結局一例か2例の症例で終わっています。けれど、アレから変わったところは、助産師さんの対応です。
 以前は早く病棟へ引き揚げてしまっていたけれど、最近はお母さんのすぐ近くまで寄ってくれ、お母さんがスキンシップの為に赤ちゃんに触れるのを待って、以前より大分長くその時間を裂いてくれています。嬉しい事です

 今日の帝王切開もそうでした。
 お母さんが横目で赤ちゃんの処置が見える位置へインファントウォーマーを設置していたんですが、残念ながら助産師さんの影に隠れてしまい、あーあ・・・と残念に思っていたら、処置を終えた赤ちゃんを、顔が見える位置まで近づけてくれ、手を出して触るのを手助けしてくれました
 
 目を開けないかなぁ〜と期待したんですが、流石にその時はまだ胎脂が顔にこびりついている状態で、瞼が開く様子もなかったんです。駄目かなぁと残念に思っていたその時、


 にこっ


 と、赤ちゃんが閉じた瞼のまま笑ったんです。

「にひゃ

 何故か私、そんな変な声が出ちゃいました
 口元をむにゃむにゃしていたのが、丁度笑っているように見えただけなのかもしれませんが、歪んだというよりもはっきりと、病状が左右対称で笑顔になっていたんです。それも、差し出したお母さんの指を握り締めた後に!

 あぁ、凄いなぁ〜 って、毎回の事思います。命の凄さとか強かさとかそういうもの以上に、何だかそこにある「絆」っていうものが、目に見えないけれどしっかり結ばれているんだなと。
 赤ちゃんとお母さんを繋ぐ臍の緒は、確かに私にも確認できるほど太くて、命の神秘の体言かという程、くるくると螺旋を描いてビックリするほどの臍帯。
 その「緒」を切られた後も、お母さんと赤ちゃんはどこかで繋がっているんだなと感じるものです。言葉では言い表せない感覚的な部分が、ただもうぼんやりと「凄いな」と思わせてくれるものです。

 そんな「緒」を、断ち切ることが出来るんでしょうか?知らず知らずに結ばれている「緒」だからこそ、自分の意思では切れないし、相手の意思でも切れないし、逆にたとえ切りたくても切れないものなんじゃないかと思うんです。

 誰しもが一人で生きているのではないという格言に似て、「緒」が繋がっている限り、誰だって一人ではないという事にも思えます。生きていく上で色んなものを得て、体験して、私達は知識とか常識とかを身につけるにしたがって、そう言った目に見えないつながりだったり、当たり前に在るものを忘れてしまっていたりするんですね。
 空気は目に見えないけれど生きていくのに大切というのに似ていて・・・。
 空気があることに感謝する事もなければ、ありがたいと感じることもないのに似ていて・・・。

 血のつながりって、そういう事なんだな。特に母と子の繋がりって、きっと永遠に解読できない人間の神秘なんだろうな。これを学問で解読する人の情のほうを疑ってしまうだろうな

 小さな小さな、この世に生まれて10分しかたっていない赤ちゃんが笑うのをみて、それはとても当たり前の事なんだけれども、凄く神秘的なことに思えます。

 生まれて10分の世界。

 まだ幾ばくも呼吸していない世界。

 お母さんから貰った血液でみたされている身体。

 10分前まで水の中にいた命が、たった10分で水の中では生きていけない命に変わる。

 数分前に聞いた「ほぎゃぁ〜」の一言で、その子の世界が一瞬で変わる。


 人はどうして、こんな命の始まりを運命付けられているんだろう・・・


 思わず哲学に浸る私。
 小さな赤ちゃんを見つめながら、差し出されたお母さんの指先をしっかりと握る力強さを見守りながら、重なるのは彼の人の笑顔だったりします。こんな風に、見えないけれど確固たる結び目で繋がった「緒」が、私のも彼にもあるんですね

 あなたが今ここに生きているということに、感謝せずにはいられません。

 そう書き綴ったメールを思い出します。命の誕生にめぐり合うたび、偶然関わる事になったその命に元気に生まれてほしいと願うのは、誕生という事柄の全てが感謝以外のなにものでもないからなのかもしれません。
 自分に関わりがなくとも、すれ違うだけの命でも、その誕生に立会い見守るだけでも、心に満ちる「ありがとう」という思い。「おめでとう」という気持ちと共に浮かぶ、誰に対するでもない感謝の気持ち。

 生まれてくれて、ありがとう。

 何という事もなく、不思議と浮かぶ思いです。それが大切な人であっても、全くの他人であっても、知り合いであっても、きっと大嫌いな人でも・・・きっとそう思うんでしょう。

 最後へと向かう人生の中で身につけてしまう色んなモノで、私達は時々視界を曇らせてしまうことがあるけれど、始まりのスタートラインのテープは、ただ一本の「緒」。ただ一つの、「感謝」。

 人と人との出会いに感謝するように、誕生も出会い


 本当に本当に、生まれてくれて、
 生きていてくれて、出会ってくれて、

 ありがとう。


 言葉を交わし、笑い合い、優しさを交わしてくれて、

 ありがとう


 今日生まれた、その命の君、
 私を瞬間の立会人に選んでくれたその命の君、

 あなたは生まれて10分の間に、どれ程の人を幸せにしただろう。
 
 あなたには、人を幸せにする力が確かにある。
 人を救い、助け、笑顔に出来る力が眠っている。

 
  だから、自信を持って生きていい・・・


    

 この命を、彼の人にも見せてあげたい。

 人を幸せにする命、絆を結ぶ力を持つ命、そこにあるだけで人に笑顔をくれる命だと、語ってあげたい。

 なんと言うだろう?
 どう微笑むだろう?



 そして言ってあげたい。


 同じ力が、あなたにもあるんだと・・・
 
 人がどこかへ置き忘れてしまう事もあるその力を、
       あなたは確実に今その両手に持っているんだと


 

 

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