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zoom RSS 汲み上げる奇跡

<<   作成日時 : 2009/08/18 23:37   >>

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 盆というのが病院に関係あるのかないのか・・・・ 例年関係ないのですが、今年は結構関係ありあり。
 整形外科医がようやく勢ぞろいした、今日のオペ場。それに加え緊急手術がごろごろ入ってくるので、6部屋在るモグラーず巣穴は、常時どの時間帯でも4部屋が稼働中という具合 もっと大きな大学病院や公立の病院では、それも当たり前かもしれないけれど、16人しかいないスタッフ、しかも上3人は手術に関与しないので、実質「手術」と言う流れに入るのは13人しかいないわが巣穴で4部屋手術してたら、残ってる人が居ないんです!!! (しかも一人は産休中・・・)

 つまりは、

 自分の事は自分でしろ。
 人に頼るな。


 という事です。
 人生の痛い教訓を詰め込んだ、わがモグラーず巣穴の一日でした

                      

 忙し過ぎて、人に頼ろうもんなら中途半端でほおりだされるのがオチなんです。 皆、なんて責任感がないの!!!と嘆きたくも成るけど、結局は皆が何個も仕事を掛け持ちしているので、それ以上の頼み事は後回しになるというか、既に出来ないんです 出来ないから曖昧に返事をしていても、頼む方も必死な訳だから、結局穴に落ちちゃう。

 今日一緒に手術に付く後輩とは、

「誰も信用できんけぇ、自分でやろうや!」

 が合言葉でした。こんな時に差し出される愛の手には、猫でも犬でも縋るんだけど

 と言う具合に、忙しかったのです。私は午後からの手術についていたのですが、あわや隣同士の部屋の手術を掛け持ちさせられるんじゃないかと言うくらい。次の手術の時間までに、前の手術が終わらない。終わらないのでスタッフの変更をすると、もう自転車操業 その時そこに居た人が捕まえられる訳です。というか、そういう具合にしか回らないくらい忙しいんです。

 指の怪我をしてからと言うもの、まだ器械だしには復帰していない私。一人欠けたとはいえ、一人の存在って今は大きいもので、同じ人が器械だしばかりしている羽目に陥ってます。器械だしのほうが好きだって言う人が多いのが嬉しいところではあるんですが、やっぱり先生の手癖についていかなければ成らない器械だしについていると、怒られる事も当然多くて・・・・。

 最近の先生達は、看護師のえり好みをするんです 手術室看護師全体のレベルが右肩下がり気味という所に否定は出来ない感があるのでなんとも言えませんが、なかなか先生の流れについていく事が出来ず、お叱りを受けることしばしば。何度か怒られていると(別に同じ事で怒られているわけじゃないんだけど・・・)

「あの看護師はこの手術にはつけるな!」

 と言われてしまう。こんな事なかったのになぁ こんな事言う先生じゃなかったのに!という思いと共に、こんなこと言われるスタッフではなかったのに!と思うところも。

 医療技術の進歩って、私が生きている緩慢な速度でもちゃんと感じられるほど、目覚しいんです。医療技術の進歩って、目新しい治療方針が開発されると言うだけではなく、同じ治療をよりよく行うものも含まれて居ます。とかく整形外科などの、「モノ」が力を発揮する部署では、新しい「モノ」がどんどん開発され、同じ「モノ」でもどんどん新しくなる。今までやっていたことはなんだったの?という感じですらあります。
 嬉しい反面、その技術を習得するのに先生達は大変な労力を使います。新しい技術が入ってくるたび、長い時間かけて技術を身につける。その修練期間の手間と量といったら、本当に大変の一言。

 初めは4時間かかっていた手術が、次第に慣れて2時間で出来るようになる。それが、人間の出来る「医療技術の進歩」だったりします。その4時間をいかに安全に患者さんを守るかという事が、外回りの大変さでもありますけど。

 ひっくり返して、自分も新しい技術を身につけようと頑張っている時期に、自分のペースを乱すような看護師と一緒に仕事は出来ないという事になってしまうんです。

 確かに、言ってる事は分かります。
 医師の技術を引き出してこその器械だし看護。
 手術場で、器械だしに看護があるのかと問われれば、そう答えます。
 というか、そう習ったし。

 医師の手を通して、器械だしは自分の看護を患者さんに提供しているんです。医師の力を120パーセント引き出す器械だしが、素晴らしい看護である事には頷けます。

 後輩達にそう指導してきて、ン年。

 けれどもレベルは上がるどころか斜め下降ぎみ それはスタッフが悪いのではなく、個人の能力の差でもなく、なんでもない、環境の変化だったりするんだと思います。仕事に遣り甲斐をもてない環境だったり、忙しすぎたり、ただ漫然と覚えるだけだったり。
 個人の考え方の変化も顕著ではあるんですが、そこは私の力では如何ともしがたいところ。いくら「全人性」を教えたところで、結局後輩達の関心は「手順」だったりするわけですから。

 先生達はそう言った変化を、器械出しを通して感じているのかも・・・ 私達がいつも一緒に居て何となく感じる「視点の違い」を、瞬時に読み取ってしまうのかも。そう思うと器械だしは、思った以上に自分や自分の看護を問われる仕事なのかも・・・?

 残った事務仕事を片付けている間、苦情処理係になってしまった主任さんが、キレた先生に対して逆切れしてました。それを聞いていると、「器械だしは誰でもいい」って言えていた昔はやっぱり凄かったんだと思うし、「誰でも良くない!」と先生達が言ってくるのも、時代の流れなのかなぁと思ったり。
 自分の指導力のなさに辟易です

 あーあ、完璧な人間になりたいなぁ・・・・

                       

 一日の仕事が終わったのが夜の20時を過ぎていて、そこから明日の手術の為に術前訪問に出かけていった私。ナースステーションに入るなり、

「今頃オペ前訪問なの!?」

 と、嫌味でもなくビックリされてしまいました。

「はぁ・・・今やっと手術から開放されたんです。」

 先に自分の手術を終えてオペ場を出ていた整形外科医が近くに居て、

「じゃ、手術全部終わったの?」

 と聞いてくる。

「いいえ。HTOが始まったばかりです。」

「え?」

「始まったばかり。」

「・・・・・そう・・・」

 大御所が手術してるって言うのに、若手の君は手伝わないのか?
 って嫌味の一つも言いたくなるけど、そこはぐっと我慢。うちの整形外科医は、そこらの救急センターの医師より忙しいものなのです。早く帰れるときには帰ってくれって、大御所の先生も言ってるし。(って言ってる先生は、いつも12時近くまで病院に居るけど)

 明日の大きな手術の為に、情報収集と患者さんへの面接を行う術前訪問。

 外来カルテの内容で外来フォロー中の様子を知ったり、入院カルテでアナムネを見たり、検査データを検討したり、フィルムで状態を確認したり・・・。
 
 そんな中、初めにかかった医院からの紹介状がありました。病院間での紹介患者のやり取りはごく普通。当たり前のようにあって、うちの病院でも近隣の開業医から紹介されてやってくる患者さんは半数以上になるんじゃないかと言うほどです。
 状態が良くなってまたもとの紹介先の開業医にもどる、というやり取りは「かかり付け医」という制度にも貢献できます。いつもは近くの知った病院、何かあったら紹介先の大きな病院という感じ。どちらにも信頼の置ける先がいいですが、たまーーーーに、近所の医院で紹介された病院がとっても気に食わないって言うのも聞きますね

 その「紹介」の中、医師同士で交わされるのが、「紹介状」

 たまにレントゲンフィルムや検査データと一緒に「持っていってください」と言われるものです。紹介された医師は、患者さんを診察した後、持ってこられた紹介状に対して、診察後の所見とこれからの治療方針を、紹介してくれた開業医さんに返すんです。それが私達の病院でいう所の「返書」
 この一連の文書は、外来カルテや入院カルテに挟まれ、患者さんに関連する記録として残ります。

 いつもは大概「○○と言った風な患者のAさんを紹介しますので、御高診、加療のほどお願いします」みたいな感じであっけなく、返書も「○月○日に検査をして、△△と診断、治療はこうしていきます。いつもお世話様です」と言った定型文のようなやり取りが普通で、読んでいても「またこれか・・」みたいなところはあるんです。医師も毎日何枚も書類を書いているわけなので、書くだけでも大変ちゃ大変ですが。

 あれば目を通すその紹介状。
 今日訪問に行った患者さんにもありました。

 私の知らない開業医さんからのものでしたが、驚くほど経過が簡潔明瞭 この人は医者という理系でありながら、言葉使いの素晴らしく上手な常識人で、理系の才能をフルに利用した解析名人だと思う位、とても分かりやすく、無駄なところの一切ない、それで居て短くまとめられた紹介状でした。パソコンで打ってあったのでとても読みやすかったですし、医師特有の横文字羅列の文でも、主語述語滅茶苦茶でもなく!!!全て凛とした丁寧な日本語でした。
 患者さんをきちんと診察して、真っ直ぐに向き合い、状態を余すところなく把握したという、その心意気まで見えるような紹介状。ビックリするほど分かりやすく、まるで患者さんの身体の中が透けて見えるような一枚でした。こんな紹介状、とんと読んだ覚えがない!

 それに対するうちの医師の返書もまた、泣けてくるほど名文でした
 病気というそのものを取り除く事が出来る己の能力を過不足なく評価し、治療可能な範囲をきちんと説明しながら、患者さんの背景にまで心を砕き、これから予想される「闘病」を支える意気込みまで読み取れる返書。

 確かに、患者さんには配慮すべきいろんな事が山積みでした。けれどそれは、どの医者も置き忘れがちになることばかりだったんです。見てみぬフリを決め込むことが多い種類の事ばかりで、このやりとりをみるまで、私は「医療」以上に、心をかけてあげる「看護」の必要性をいっぱい感じていました。

 医師ができない「看護」こそ、この患者さんに必要な事・・・・そんな風に思っていたけれど、この返書を見て、

 「看護」って誰にでも出来るもの・・・

 そう思いました。ただ少しだけ、こんな風に患者さんの「全部」に心を向けて上げられる、それだけで一つの「看護」だったりする。患者さんだったら、自分を診てもらう医師がこんな風に心を傾けてくれているなんて、とてもとても安心できることなんじゃないかと思うし、一緒に頑張れる気持ちも生まれるんじゃないかな。
 
 世の中、患者さんとしてしか相手を見ない医師も居ます。けれど、患者さんという以前に「○○さん」と相手をあらわす医師も居ます。忙しくて忙しくて大変な勤務の毎日の中で、それでもその人の心にまで気を配れる医師も居るんです。自分の力が及ぶ限り、決して諦めず、尚且つその人らしさもその人の背景まで気遣いながら「闘病」を支える医師も居ます。

 ふと思い出します。

 夜、2時間として続けて眠れない日々が続いている中で大きなオペをこなしている毎日、ふと空いた時間に患者さんを車椅子に乗せ、病室の外に咲く鮮やかで満開の桜をどうしても見せてあげたいと、自らその車椅子を押しながら、桜並木の散歩を一緒に楽しんでいた医師がいました。
 どんなに状況が厳しくても、自分にはその先の未来が見えていたとしても、「○○さんは良く頑張ってるんだよ」と、労をねぎらう様に話してくれた医師がいました。そこに自分の多大な努力と自己犠牲があったとしても、それを患者さんの頑張りに比べたら大したことないと言って笑う医師が居ました。「こんなにしてるのに・・・」と嘆く看護師に、「そういう考え方はよくない」と叱る医師も居ました。

 思えば、あの「返書」を書いた医師もまた、そんな全人的な医師の一人。

 医療が起こせる奇跡は、技術の中にではなく、こんな所に眠っているのかもしれません。
 一杯の水では凌げない渇きを癒す力が、技術を扱う人間の中に確かにあるんですね。

 

 明日も頑張ろう・・・


 
 その「奇跡」を医師から引き出す力を、モグラーずに
 

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
理系、製造業者ですがー
なるほど、看護の現場も大忙しですね。
(姉が看護師です)
完璧な人間に…とあまり気を張り詰めすぎない方が
いいかもしれないですね。
むしろ、患者や社会がそういった看護・医療の現場
を理解するといったことが必要な時代になってきて
いるのだと思います。
完璧でない自分を認めてくれる社会ってどうでしょうか?気持ちがぐっと軽くなりませんか?
ジロウ
2009/08/19 00:47
 完璧でない自分を認めてくれる社会…確かに素敵な事ではありますね♪ただ、『今』でないことが残念なだけで。
 医療現場は、私が働いているたった10年の間でも随分変わりました。働く人間も変わって来ているんだなと最近は感じます。
 今まで感じなかったことを今感じてくるという事は、自分が立ち止まっているのかもしれないと思えて、ちょっと変な気分。
 でも、ジロウさんの言うとおり、気持ちが軽くなるのはそうですね!
うまうま
2009/08/19 23:18

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