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<<   作成日時 : 2010/01/03 22:50   >>

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 明けたからと言って、何が変わるわけでもない!
 と言うのは逆切れです。毎年、今年こそは!と思うものですが、12月31日には大概「今年も駄目だった」というのが最近のオチです。

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 新年の初売りで福袋を探しに出かけ、姉にねだって和菓子を買ってもらいました。9個の箱詰めのうち、半分は私が食べたかも まぁ、この寅さんに惹かれたのが理由です。普段なかなか食べる機会がない和菓子。ケーキのようにすぐに買って帰るというにはいかないのはなぜかしら?単に買って帰れるところに和菓子屋さんが無いというのもあるんでしょうけれど
 お正月の食卓には、和菓子の繊細な華やかさがお似合いです


 今年は曜日の並びがイマイチで、明日から早速仕事です 新年早々早速ブログをサボった私としては、仕事ぐらいはしっかりやらなければなりません! いえ、昨日ブログをサボったのは、単に本を読んでいてそのまま寝てしまったというだけなんですけどね。床で寝てしまったので、背中と首が痛いです。自業自得

 年末年始、何冊の本を読んだかという程読み漁っています。それだけ暇なんです 病院の待機当番が年明けから夜に偏っていて、昼間外へ出ていても夜には何もすることが無くなり、そのまま読書へ突入してしまいます。お陰で、新年早々本屋通いが続いています。何もすることがないのでコーヒー飲みながら本を読んでいたら、何だかホッペの辺りがぷよぷよになってきた感じ・・・。ひぃえーーーっっっ!!!!

 けど、面白かった本は?といわれて思いつくのは、今読んでいる本。随分前から好評を博していて、今でも本屋で平積みになってポップがゆれているほどです。発刊当初から気に成っていたのですが、なかなか手に取ることができなくて。続編みたいな一冊も出てしまい、ますます遠のいていたけれど、丁度興味を惹かれるものが無かった本屋で手にとってそのまま買ってしまったのです。

 けど、面白い

 というか、「人って色んな事を考えるんだな」という気分に成ります。本に限らず、日常生活でもそう思うことは一杯ありますよね。
 そして、その「いろんな事」を考えすぎてすれ違い、行き違い、思いやりだったはずが喧嘩の原因になったりするんだという、淋しくも切ない現実にぶち当たってしまいます。そして、全く同じ経験ではないものの、「こういうこと、よく起っているよな、世の中・・」という気分になるほど身近でリアルです。喧嘩するつもりないのにしていたり、我侭言うつもりないのに行っていたり、赦したいのに赦せなかったり

 よく聞く色んな言葉の中に、思いもかけない心が宿ることもあり、言葉どおりの事もあり、裏をかいたらこんなこともあり・・・私を含め(含んで申し訳ないですけど)、人は考えすぎて幸せを逃がしていることも一杯あるんだと感じます。不幸な物語ばかりではないのに、何故か泣けてきて

 人を振り回すのも人間のエゴ、我侭もエゴ。
 だけど、人を思いやることも、こちらのエゴ。
 深く深く思いやりすぎてしまうのも、エゴになったりする。


 エゴというより、哀しさ・・・・なのかな

「アナタの為。」

 という一見優しく、厳しい思いやりの言葉の裏に、私達はどれだけの嫌味と怒りと憎しみを込められるか、分からないとは言えないでしょう?

 本を読んでいると、人間不信に成ります。言葉がどんどん色んな事を私に教えてくれ、登場人物の色んな気持ちがどっと押し寄せて、顔を上げて周りを見渡すと誰もが「本当」を話していないのではないかと思う。いえ、疑ってしまう

 確かにそうなんですよね。裏で人は何を言ってるかなんて分からない。分からないから、いい事もある。私だって言ってるんだから、言われて当たり前 (開き直ることじゃないよな) 
 100パーセント善人の事はありえない。マザー・テレサだって全員に愛された訳ではなく、この世の人間の一部には、彼女を徹底して否定した人も居るはず。けれどそんなことはマザーには関係なくて。彼女にとっては、神にさえ愛されていればそれで全てがOKなのだし

 ・・・・話が飛びましたが

 そんなことを含めて、人間の全部全部を理解していて「受け入れる」事が必要なんだと思いながら、それってどういう事だろう?なんてまず頭で考えてしまう私。行動を起せば私って結構楽観主義で単細胞なので、途中で何か考えることはないんです。情けないほど単純馬鹿ですけど。

 よく「言葉を喋る前に一息ついて噛み砕いて。」とかいうアドバイスがありますが、そんなん無理なんですよ、私 話していたらどんどん本音を話していて、醜い部分もどんどん出てきて、「変な事言うけど・・」とかいう前置きで和らげながら、かなり醜い毒舌まで喋ってしまう
 きっと、長く話せば初対面の人にだってそうです。「何考えてるか分からない」と言われがちな私ですが、いえいえ、全部喋ってるんですって 裏がありそうでなさそうなんですって。←自分で言うのもなぁ・・・・

 何の話してたんだっけ?

                      


 休日は家族以外にすれ違う人とか店員さんとかしか接点がなかったので、頭でばかり考えてしまいます。

 そうそう、1日に姉と一緒に行ったショッピングモールでの事。姉がお気に入りのブランドでコートを見ていたんです。セール中で、少しだけ安くなっていたアンゴラのコートです。
 姉はコートに夢中だったのでどう感じたか分からないのですが、その時対応してくれた店員さん、私はとても苦手でした。というか、私の思う店員さんとしては最悪でした 買い物をするのは私ではなく姉なので、姉に対しての対応と言えば、極普通なんでしょう。言葉遣いも丁寧で、仕草も丁寧で、ちょっとした気遣いもありました。

 けれど、何か違う たまに「売ればいい」という感じの人が居るのも確かですが、そんな人ではなかったにも関わらず気持ちよく買うことが出来ない人だったんです。いや、気持ちよく応対することが出来ない人だったんです。
 なんか上手いこと言えませんが、気分が悪い感じがして。

 私も好きなブランドだったので、そのショッピングモールに行くときは大概覗く所ですが、きっともう行かないとおもいます。ブランドは好きなので別のお店には行くかと思いますが、あの店はもういいかな・・・ 顔を覚えていないので、その人でなければいいんでしょうけど。
 気持ちよく買い物が出来ない店は、私は嫌です。しかも、安い買い物じゃないし。

 で、本の話でしたっけ?読んでいる本は、

 「家族の言い訳」   森浩美:著   双葉文庫

 です。複雑な気持ちと複雑な哀しさと切なさで、ホロリとくる短編集です。で、人間不信に成りそう・・・?
 「言い訳」って言うタイトルの割には、誰も言い訳をせずに頑張っている所が素敵です。

                  

 何だか、話があっちへ行ったりこっちへ行ったりしてるようですけど。

 人間の話で思い出したことがあります。このブログの存在を彼の人に言おうかどうしようか迷っているので、これを書いたらきっと絶対教えたくなくなりそうなんですが。

 彼の人が以前私に、

「人の評価は気に成らないけれど、人の目は気に成る。」

 と言ったことがあります。自分自身の事について何かしらを話していたときの事だったか、友達の事を話していたときだったのか、その辺は誤魔化させていただきますが、自分の正義を貫く為に周りの人と衝突していた彼の事を心配していたので、その話を聞いて「やっぱり・・・」と思ったのを思い出します。
 やっぱりとおもいつつ、一瞬は

「どういう事?」

 と思ったりもしました。人の評価と、人の目。結局行き着くところは同じじゃないのか?と思ったりしましたが、説明できないけれどよくよく考えると、なるほど、ちょっと違うのかもしれないと思ったりします。

 「人の目」は「評価」に繋がるけれど、全てが「評価」になるわけでもないし、「評価」って人の一部一部のものもあれば全部の事もあるし、それに全部だったとしても100パーセントが埋まる訳でもなし・・・なんか私はその話の後、そんな風におぼろげに考えていたりしたことがあります。結論が曖昧なままですけどね。

 彼は本当に周りの「評価」に対して疎いんですよね。低い評価に疎いのは、たまにはいいことだと思います。自分が思うよりも低い評価を貰った時は、苛立ちとか悲しみとか切なさとか失望感とか、そんな感情が綯い交ぜになった気分に成りますよね。彼は大概「人の自分に対する評価は低いものだ」なんていう考え方をして、大概は自虐的であったりするんです。
 
 それに対して私、「あなたの評価は低く無い。」と言った事があります。惚れた弱みではなく、そういうところに疎くて、嬉しがったり感謝したりすることがないのは勿体無いと思ったんです。周りの言動や周りに対する影響や、私が実際見聞きしたことや、彼の言動で変わっていくことを目の当たりにして、

「これはこういう事だし、これはこういう事で、それは結局あなたが認められていることで、評価されていることで、凄いことなんだ!」

 と、ちょくちょく言っていた気がします。人の目よりも評価を気にしろというわけではないんですが、人の目は個人のやりたい放題なところがあるけれど、評価の中には客観的なものも含まれているものです。
 評価が人の目を変えることもあるし、人の目が評価を左右することもある。結局どちらも程ほどに・・・という事なんでしょうね

 何を書いているか分からなくなったけど、私、この彼とのやり取りがあったから、周りの「期待」などに敏感になれたと思います。仕事オンリーなのかもしれないけど、上司が望んでること、言葉にはしないけれど押し付けてくる仕事で何を期待されているのか何となく分かる。だから今は、それに気付けないでいる後輩達と上司とのパイプ役、なんだなと思ったりします。

 人って、それぞれですね。こんなことを言っていた彼は実際自分の評価が低くって、私が何か言うたび「そんなことはないよ」って言い返されたりしてました。
 
 これが、自分自身になるとまた臆病に成るので、私もなんとなーくぼんやりしてて自分自身を見失いそうに成る時、もう一人の私見たいなヤツが、私の背中を押してからからと無責任に笑ってくれればいいのになって思ったりします。

 こういう事が私の存在価値・・・・・とはっきり言えればいいんだけど、それで誰かを変えられた事も、成長させたこともないので、そこではないのかもしれません。ある意味、この楽観的で直情的なお口が、思ったことをすぐ口にしてしまう一直線思考が、探し物のプラス材料かな。

 人の評価。

 人の目。

 自分が自分で居られるのは他人が居るからなんですが、その自分を自分が分からなくなる。周りが大きすぎて、自分を見失う。自分が居なくても周りは変わらず世界は回っているのを目の当たりにしたり、自分が立ち止まっていても誰も立ち止まって振り返ってくれやしないことに呆然としたり、人が自分自身の幸せを貪欲に追い求めている背中を冷めた目で見ながら、その実自分が一番幸せから遠いのに気付いて投げやりに成ったり、それでも「評価」が付いてきて、それでも「期待」という名の雑用を押し付けられて、それでも誰かが躓いた時に振り返ってあげないといけない。(実際は、私も振り返って立ち止まったりしてないものかもしれない・・・)


 何の為に生きてるんだろう?って、馬鹿みたいに空中に疑問符を浮かべていて・・・。


 私は目も評価も気にしぃですから。誰よりも、きっと人からの評価を欲しがっているのかもしれません。情けは人のためならずで、自分がして欲しいことを一生懸命人にして、見返りがないからと凹んでぐずっているのかもしれません。

 今年の目標 


    一人で立つ


 これって、人生の課題じゃない?「脱・孤独死」に似てる。
 おまけに、今日は何を書いたかぐちゃぐちゃだ  
 辻褄が合ってない気がするわ



 明日から仕事なのが、そんなにショックなのか!?

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