〜近畿☆瀬戸内☆うまうま交響楽団 ♪

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zoom RSS 目指すものは、何?

<<   作成日時 : 2010/03/16 23:58   >>

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 時間がなーーーいっ!!!

 っていってるのに、全然やる気がしなーーーい

 ナニガ?

 週末に迫ったカドリールの音楽編集です。今まで使っていた編集ソフトが何だか壊れちゃったみたいで、フリーソフトというものをダウンロードして使おうと思ったらヘルプが一緒についてこず、結局時間だけたって何の効果もなし。ヘルプがあったらすごーく使い易そうなんですが、何分画面の見方も分らない

 音楽編集がイマイチ上手くいかないので、今回は音楽を切らずに使おうと思い長めの曲を用意して行ったら、なんだか転調が無いのでのんべんだらりとした感じ。

「ここから音楽の調子が変わるといいんだけど。」

 と思った瞬間、

「2曲繋いだほうが良くない?」

 うぉーーーっ!!!! 
 お仲間さんからもいわれたーーー!!!!

 という訳で必死で繋いでいる途中なんですが、フェードイン・アウトを使うだけじゃ何だかへろっとした感じになってしまうのが悩みどころです。音楽編集が簡単に出来るソフト、無いかなぁ〜〜〜

 始めると5.6時間平気でたってしまうのに、週末は当直なので今週はしっかり睡眠がとりたいのだーー!!!でも中々そうはいかず、私はいつも何かに追われている感じで過ごしています。
 サバンナのシマウマ状態

                    

 そんな私ですが、しっかり本を読む時間は取っています。てへっ というか、何だか気が付いたら本を読んでいるという感じでして。

 前回書いた「太郎が恋をする頃までには・・」と同時期に読み終えたもう一冊は、重松清さんの

 「幼な子われらに生まれ」    幻冬社文庫

 です。
 家族をテーマにした、重松さんならではの目線と捉え方。けれどもとてもそれがリアルで、フィクションでありながらも人間の心の残酷さまでも描き出していく物語。
 重松さんの紡ぐ物語は不思議です。人間の持つとても醜い部分、いやらしくてきたない部分であったとしても、それを誰しもが抱えて悩んでいるんだといわんばかり。実際は全然綺麗じゃないんだけど、とても美しく描いてくれます。だから現実のような小説、在りそうでない物語です。上手く伝えたいことが言えないんですが、簡単に言えば「こんな風なこと、現実にもある。けどこんなに綺麗じゃないよね。」という感じ。なのに共感ありです。

 人の持つ醜さも、見方や描き方、そこから這い上がっていく力があればこそ、綺麗な物語にもなるんです。

 重松さんの人に対する目線って、いつもそう思わされます。現実に起こればそれは決して美しくもなく、ただどろどろとしたものであったりするんだけれど、現実には後からその存在に気付く「その先の希望」がいつも仄かに燈っている物語を紡ぎます。現実ではそのどろどろに巻き込まれて、人は視界を潰されてしまうもの。必死になって下ばかり向いて、気付かないもの。
 小説のいいところは、『その先』を行間に灯すことが出来ることなのかもしれません。どんなに辛い場面でも、どんなに叫びたい場面でも、本に向かって『そうじゃないんだよって苛立っていても、その先にきっと、きちんと結ばれた結末があるんだと思わせてくれます。

 現実で沼にはまってずぶずぶと沈んでいく毎日だからこそ、物語の行間の、ほんの少しの希望を見つけたくなるのかもしれません。

 さて、この『幼な子われらに生まれ』ですが、前述のとおり家族を描いた物語です。重松さんの十八番といっても過言ではないくらい、「家族」がテーマの物語。
 家族が『人』の集まりであり、家族でありながら『人』という「個」であることに嫌という程気づきます。そして同時に「分かり合うことの凄さ」だったり「分かり合えないことの哀しさ」だったり、人が「感情」を得たことで亡くしてしまった色んなことさえ考えてしまいます。

 好きなもの同士、愛し合う同士、大切なもの同士・・・どんな間柄であれ、すれ違う時は大抵「思いすぎ」なんですね。

 愛しすぎ、気にしすぎ、心配しすぎ・・・

 何もかも、過ぎてしまってすれ違う。人間って難しい生き物です。人と人で上限も下限も違い、程ほども過剰も違う。愛の形も、幸せの形も、それを作り上げる手段も理論も違う。

 けれど皆同じゴールに向かいたがっている。

 そのゴールに向かうのに、家族でありながら同じ道を通ることが出来ない事だってある。手を繋いでいけない事だってある。手をつなげないなら、別の方法で、寄り添う事だってある。けれど、寄り添うことも出来ないこともある。ゴールに辿り着いた時、同じようにそこに辿り着いた家族と喜びを分かち合うだけの事もある。無理やり手を繋いで別の道を行こうとするから、痛みを伴ってしまう。「諦め」という気持ちを味わってしまう。

 求めるものは、同じ。
 けれど方法が違うから、すれ違ってしまう。
 思いが過ぎて、傷つけあう。

 人間はどうしてこんなに難しく生きているんだろう?

                       

 そんな思いをもながらも、一番難しく人生を考えて泥沼にはまってうじうじしているのはもしかして自分だったりするのかもしれない、と思う毎日。

 私が何でこんなことを考えているんだろう?

 理想ばかり追い求めすぎなんだろうか?

 じゃあ皆はどうやって毎日生きているんだろう?


 そんな思いがぐるぐる回る、3月のちょっと暇な毎日です。そーです。プライベートはパソコンを前にバタバタと忙しくても、仕事はちょっぴり暇なんです。暇って言ったら怒られそうだけど、いつものバタバタとした感じがなくなり、手術件数も落ち着いているのでのんびり、といったほうが適切かもしれません。3月はいつもこんな調子。

 お昼ごはんを食べていたら何故か連続ドラマの話になり、普段あまりテレビを見ない私はチンプンカンプン。そんな中、後輩の一人が

「そういえばあのポルノの曲、私凄く好きです!」

 と声をあげてきました。

 ポルノの曲?

 新曲?


 ちょっと目が点できょとんとしていたら、

「あのドラマはちらちらと見てたんですよね。時間の最後の辺りになるとポルノの曲が流れてきて。」

「政治家のはなしですよね?」

 別の後輩が乗ってきました。




 政治家の話でポルノの曲?


 似合わなさ過ぎ




 ・・・・・・・・・って・・・・・・・・






 新曲の事かっ!!!!!!




 既に新曲というには遅いか!?




『瞳の奥〜』のこと!?」

「そうですよっ!」

「はいはいはいはい!そー言えばドラマの主題歌だったっけ!?」

「そーですってば!」

「いいよねー、あの曲

「私、あれ凄く言いと思います〜!」




 後輩、キミは可愛い




                   

 ・・・・なんて話を書きたかったんだっけ?





 突然ここからシリアスに成りますが、お付き合いください。





 今日、コーヒー飲みながら本読みながら、父が見ていたテレビをチラ見ていたんです。どんだけ「ながら」モノ何だかって感じですけど、見ていたテレビはニュースだったんです。番組と番組の間のような時間のニュースで、全国版の放送をしていたんです。

 私、新聞をじっくりとは読まないぱらぱら人間なので、大きなニュースは知っていますが小さな記事はあまり眼にしません。 (地方版はけっこう読みますけど) 
 このニュースが新聞に載ったのか、はたまたこれから大きく取り上げられるのかは定かではありません。しかも私もながら作業のように聞いていて、最後まで聞いてはっとしたようなニュースだったので、ここに書くことが確かに全部確実なこととは言えずうろ覚えです。
 一つの死亡事故のニュースです。それが何故私の耳に大きく止まったのか、その理由は誰にも言えない、文字では語れない複雑な思いにあります。

 それは、お母さんが小さなわが子を殺してしまったニュースでした。

 暴力で子供を殺してしまったニュースは連日のように報道されます。けれど、この事件は一風変わった感じで私の中に落ちてきました。事件は、お母さんが乳児の頭を激しく揺さぶり、その衝撃で死んでしまったというものでした。調べれば簡単に事件の全容は報道されています。

 この事件の背景にあるのは、育児ストレス

 そう思いながら、そうではないものがあるような気がしてならないのは、私だけでしょうか?このお母さんは衝動的にそうしてしまったと言っているそうです。育児ストレスがどれほど大きなものか、私にだって自分が抱えるストレス以上のものであることは頭で考えることが出来ます。でもそれ以上に、私が考え付かないほどの「愛情」が「母」の中に在ることも知っています。

 それでも、起ってしまう。

 いえ、事件自体がどうだとか、お母さんがどうだとかではないんです。

 お母さんは、専門機関に相談しているんです。

 育児に悩み、疲れていることを、訴えているんです。
 他人に助けを求めていたのに、助けてあげられなかった。



 こんな例が、一体どれだけ降り積もれば、いいのですか?
 どれだけのお母さんが、衝動でわが子を殺してしまう罪を背負えば、誰かが誰かを助けてくれるのですか?

 病人や産婦さんのたらいまわしも同じです。
 



 一体どれだけの弱者が虐げられれば、権力者は気付いてくれるのですか?




 子供が可哀相・・・



 いいえ、お母さんもまた、可哀相ではないのでしょうか?
 わが子を殺すほどの衝動が、わが子への愛を超える時・・・それがどれほどの絶望か、きっと誰も知ることは出来ないんです。

 ニュースでは、相談を受けた機関のインタビューが流れていました。相談を受けて家庭訪問をしていたにもかかわらず、事件は起きてしまう。お母さんを救ってあげられない。

 以前にも、ありましたよね?
 これが初めてではないですよね?

 助けた数を数えて有頂天になり、助けられなかった数を「仕方なかった」と切り捨てていませんか?


 虐待の末の死亡事故・・・
 最近特に切なく感じます。

 どこかの本で読みました。
 虐待を受けて、それでもいま生きている子供達に対して書かれた言葉。


「あなたたちは、サバイバー。

 よく生き残ってくれた。」

 

 そんな言葉をかけてあげるしか、子供達の「生」を喜んであげられないのでしょうか?その子がその子として生きていることが、とても当たり前なことなのに、その当たり前が既に当たり前でなくなる。当たり前の事が当たり前でなくなることの怖さ・・・。

 虐待を受けた子供達も、時が経ち、親になるでしょう。その時に「記憶」がどれほどか障害として立ちはだかることがあるかもしれません。そこにまた苦悩と葛藤が生まれ、苦しむことがあるかもしれません。
 けれど、自信を持って親になってください。子供を愛し、それでも手を挙げたくなる衝動の存在に気付いてください。「愛」と「衝動」の間で揺れる人の心を、誰よりも理解できるのではないでしょうか。誰よりも誰よりも、「親としての傷」に気付く事が出来るでしょう。それが人を救い、自分を救い、自分の過去も救ってくれるのかもしれません。

 そこにどんな「愛」があるかで、人はどの道へも進んでしまう。



 衝動で手を挙げてしまう気持ち、手を挙げた後の後悔、絶望、悲しみ
 わが子を傷つけずに居られない葛藤、

 絶対にあるんです。傷つけながら、それ以上に傷ついている親がそこにいるんです。
 子供が傷つく以上に、親もまた傷を負い、血を流しているんです。

 自分の中の、どうしようもない衝動・・・・。
 誰かに止めてもらいたい、自分では止められない感情。

 「助けて」と訴える魂を、私達は責めすぎているのではないでしょうか?

 
 虐待を肯定するつもりはありません。寧ろあってはならないことだと思います。虐待について、何より可哀相なのは矢張り子供なのです。けれど親も傷つき、親自体も虐待の経験を持っているかもしれないんです。中には、ただ単なるゲームのような状況の事だってあります。そこに何苦悩も葛藤も、愛情すら存在しない虐待のニュースもあります。
 
 子供を殺してしまうことに、死なせてしまうほどの暴力に、良いも悪いも無いのかもしれません。けれど、そうしてしまった行動の裏にある、計り知れない思いに、私達は厳しすぎる気がします。
 助けを求めている声に、うと過ぎる気がします。

 声を上げなければ気付けない、
 助けてといわれなければ気づけない、
 何か起らなければ気付けない、

 起きた後にしか、対策を講じられない・・・。


 失った「愛」は、もう永遠に帰って来ません。
 純粋すぎるが故に起きてしまう。



 そう・・・何もかも、「過ぎて」しまって人はすれ違い、傷つけあってしまう。



 手を挙げられる恐怖と、手を挙げてしまう恐怖は、きっと同じほどの強さで人を襲う。
 止めたくても止められない。

 自分でどうにも出来ないから、誰かにどうにかして欲しくなる。




 それは、弱さですか?
 愚かさですか?



 当然の、想いではないのでしょうか?
 それでも、駄目な人間でしょうか?
 私には答えが見出せません。
 
 止められなくても、分って欲しいと、誰でもいいからただ寄り添って欲しいというそれだけが、
 今の世の中で一番難しい欲求なのでしょうか?

 

 どうか、許してください。
 怒らないでください。
 責めないでください。
 



 子供を救うように、親も救ってください。
 大人だからと我慢できるほど、「虐待」の衝動は簡単じゃないはずです。

 どうか、虐待の死亡事故が減りますように。
 新聞でもう二度と、そんな記事を見ませんように。

 華やかなニュースキャスターが、他人事のように報道しませんように。
 ありきたりの悼み事を並べて居ませんように。

 親が子供に手を挙げるよりも、
 冷たい言葉で暴力をふるうよりも、
 子供を抱きしめる時間が増えますように。
 

 
 連鎖が起きませんように。

 

 
 お母さん。

 何も出来ないで、ごめんね・・・・
 分ってあげられなくてごめんね・・・
 「どうしようもない」気持ちに共感できても、

 あなたを救ってあげられなくて、ごめんね・・・・




 あなたの子供を、こんな形で逝かせてしまって、ごめんね・・・・

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
それは・・
http://www.youtube.com/watch?v=KCHKnOZJEdk&feature=related
ゴリ
2010/03/18 00:05
吉野家ですが
その経営方法や歴史には学ぶべき点が多いんですよ。例えば、なぜ吉野家の牛丼にはしらたき、ネギ、豆腐などが入っていないのか?BSE問題の時になぜオージービーフを使用しなかったのでしょうか?その答えは我々の仕事にも通じる有用なものなんです。あと、B級グルメに興味があるのも理由です。バイト経験が豊富なので。
目指すものは・・
今の翻訳仕事にテクニカルライティングのエッセンスを注入すること。また、ドイツ語翻訳のレベルアップです。扱う技術内容は医薬バイオに限定しますが。
ゴリ
2010/03/19 00:31

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