〜近畿☆瀬戸内☆うまうま交響楽団 ♪

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<<   作成日時 : 2010/04/13 22:41   >>

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 遅くなった仕事帰り、いつも通る帰り道で信号待ちをしている時に、何気なく見やったところに、中古車屋さんがありました。

 いつもそこにあって(というか、ずーっとそこに店を開いているんだけど)、当たり前のようにいつもいつも前を通り過ぎていたところなんですが、今日はたまたま何気なく目をやったところに、見かけたものに、何故だか暫く見入っていました。

 それは、車でも店員さんでも客でもなく、店先にはためく、幟。

 よくお店で見かける、縦型の旗の事です。今日は夕方から気温が下がり、その上風が強くなっていたので体感温度は結構なものです。寒い寒いと言いながら病院を出てきたほど。冷たい風が幟を大きくはためかせている様子を何気に目にして、風に揺らめいている姿を見ていたら、何だか目が離せなくなって、何故だかすごくすごく泣けてきまして。

 良く分らないんですが、何だかとても哀しくて。何の為に生きているんだろうって思ったり、会いたい人に会えない寂しさとか、伝えたい言葉を飲み込むしかない苦しさとか、叫びたい葛藤を押さえ込むしかない辛さだったり、意味の無い怒りの矛先になってる自分とか、誰も気付いてくれない自分という存在の在り方の希薄さとか、何だか色んな気持ちがごちゃ混ぜになって、何故か泣けてきたんです。

 ただ店先で幟が揺ら揺らとゆれているだけなのに。

 そのゆれ方が、なんとも幻想的だったせいなのかもしれません。
 ゆらゆら、ゆらゆら・・・・。

 私達が肌に感じるしかない風の存在を、こんな風に私に教えてくれるんだなと思えたり。手につかみ様が無いもの、目に見えようが無いものを「知る」のに、人間はどれだけ苦労しているんだろうって思えたりしてしまいます。

 まだしも風はいいものです。肌に当たることで冷たさや暖かさ、強さや弱さを感じたり、その中の水分や匂いまで感じることが出来る。

 世の中にはけれども、晴一くんが言うように、つかみ様がないものの方がはるかに多い気がします。感情、優しさ、音だってそうなら、言葉もその一つ。放った一言が形も無いのに心を抉ることだってある。刃の無い刃物。けれどその同じ言葉が、逆の意味を持つことだってある。

 形の無いものが形で見えたら、楽でしょうね。「愛」が形で見えたり量で測れたりするのなら、楽だろうけれどきっと私達はまた愛に怠惰になるんだろうな。
 愛し続ける努力も、愛される努力も、好かれようとすることすら開き直ってしまいそう。そうしないために、今の世の中の摂理があるのかもしれませんね。

 でも辛い恋には、形や手触りが無いからこそ、量で測れないからこそ、言葉がないからこそ、どうしようも出来ない気持ちだって生まれるものです。たった一言が欲しかったという思い、もう一度だけという思いは、どう頑張っても自分以外には理解してもらえるはずの無い、色んな局面をもつ「気持ち」。

 風に逆らうことなくはためく幟に魅入られて、何故か色んな事を考えながら、笑顔でいるのに癒しきれない寂しさを抱えたあの人の背中を思い出していました。不器用な生き方で時に自分を傷つけながら、それでも上手く生きてるだろうと片意地をはるような、背伸びをした横顔。人に刃を向ける以上に、自分を苦しめていたりするのに、誰かを守る自分の正義を振りかざさずにいられない。

 元気ですか?
 楽しく、過ごせていますか?
 生きていく意味を、見出せていますか?
 目指す目標を、見つけましたか?
 あの時心に抱えていた悩みを、解決できていますか?
 信頼できる仲間は、増えましたか?
 自分の両手が届く場所は、広がりましたか?
   
 自分の生き方を全うする為に、あなたが傷つきませんように。
 
                        ♪

 ヘレン・ケラーは、形として触れないものの言葉を覚えるのに、とても苦労したと言います。目が見えないので、「感覚」の無いものも言葉で表現できるという事が理解出来ないで苦しんだと言います。

 「好き」
 「嫌い」

 の二つもそう。嫌だから泣き叫んで抵抗するその感情が、言葉で表現できるものだという事に、そして人はそれを言葉で伝え合っているんだという事を知ったとき、彼女はどんな思いだったのか、想像もつきません。この気持ちを表現し、言葉で言い表せるものなのだと知った思いは、高揚感なのか、絶望感なのか。

 好きな人に好きと伝えることはキラキラとした美しいことのようで、なのに逆の嫌いな人に嫌いという事はなんと惨くて痛いことか。

 何だか今日は、「感情」をどう表現すべきかって考えてしまうことが多いです。大人になるにつれ、経験値で「良い言葉」を選んでしまうけれど、それは「逃げ」のようだったり、「言い訳」のようだったりに聞こえてしまうことが多くなってきています。

 本当はこんなことが言いたいんじゃないのに。

 そう思う自分を必死で取り繕っていたり、相手が違う風に取ってしまったら、伝えきれなかった自分よりも、理解してくれなかった相手を憎んでみたり。自己保身というか、八方美人というか、そんなだから「自分」が何なのか分らなくなる。だから、誰も「私」を見てくれない気がするのかもしれません。

 「私」はどこにいるの?

 「私」の居場所は、どこ?

 「私」は、「誰」?

 こんなことに悩むのは、私の何がいけないんでしょう?私に何が足りないんでしょう?なんて事をまたまた考えていたら、堂々巡りで疲れます。そんな私こそ、何もかもを「見たい」と思う、駄目な思考の持ち主なんでしょうなぁ・・・。

 そこにいなければ忘れられてしまう。
 そこになければ、あったことすら忘れられる。
 
 マザー・テレサは、人生で一番の苦しみを「誰からも必要とされず、愛されていない人の苦しみ」と説きました。 けれど同じ位の苦しみで、忘れ去られることもあるのかもしれません。必要とされずに忘れられる・・・。在った事も忘れ去られる・・・。全てを覚えておけることなんて無理なことで、忘却という自己防衛が人間には必要なのに、「忘れる」ことがどんなに辛い事かは良く分るなんて、人間のアンビバレンスなところです。

 目の前にいるのは私。
 私はココにいるのに。

 ここで、生きているのに・・・・。
 


 助けて欲しいのは、私・・・
 叫んでいるのは、私・・・

 けれど誰も振り向いてくれない。

 笑っている私にも、
 頑張ってる私にも、

 誰も気付いてくれない。




 不意にそんなことを考えた、一日の終り。
 今日は何だか、プルーな終りです。

 誇れるほど完璧に仕事をしても、どんなに正しい行いをしても、「私」だから赦されない事があると、世間の辛辣さを知った一日でした。

 人は仕方ない生き物です。偏見や差別や贔屓から、どうしても抜けきれない生き物です。
 それが逆に「特別」という感情も産んだりするんだろうけど。

 
 リセットしたいなぁ・・・・
 私は、何をしたらいいんだろうなぁ・・・・


 4月初め、自分の中の一番真ん中に空いたどん底に、またまた嵌り込んでいます。



 この落とし穴を掘ったのは、誰だよ!?


 

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内 容 ニックネーム/日時
考え過ぎは体に悪いですよ。
私は昔世話になった教授に言われました。
「K君は枝葉を落とした1本の幹のようだ」
無駄なことをしないためです。
「これをするんだ!」と決めたら猪突猛進です。
この方が精神的に安定します。
「いろいろ考えるな」と言っても難しいでしょうが、逆に「これを考えろ」は有効かも知れません。患者さんのために先端医療をもっと勉強したらいかがでしょうか。
ゴリ
2010/04/14 14:31

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