〜近畿☆瀬戸内☆うまうま交響楽団 ♪

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zoom RSS Always Life,  Someday・・・

<<   作成日時 : 2010/05/02 22:42   >>

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 ゴールデンウィークが、穏かに過ぎていきます。相変わらず休日が苦手な私は待機当番というのも合って、家でごろごろするしかなく、もう一時間おきに時計を眺めてはため息をついているしかないくらいです。こんなことなら、仕事に呼ばれたほうがずーーーっと楽。

 けれども、世間はお天気も良く、とてもとても穏かな休日が続いているようです 私の住む街では、行く人帰る人、それぞれ。県外ナンバーの車もよく見かけます。

 車の中の家族の楽しそうな笑顔、子供を肩車して公園を歩いていくお父さん、何匹も犬を連れて元気良く歩いて行く子供たち、大きなバスケットを持った友達同士・・・

 行きかう人々は本当に平和な様子。暑くもなく寒くも無い日中の穏かさに、皆が幸せそうです。

 これもまた、いい一日ですね。

                  

 うまうま家でも、毎年恒例になってきた両親の遠出で、1.2日は家に私とわんこの2人っきり。誰が訪ねて来るわけでもなく、誰の目にも止まらず、ただ一日を犬と肩寄せ合って過ごしていく町の一角のうまうまさん家です。

 ほんとうに見捨てられたように2人っきり、2人ぼっちで五月の初めを過ごしました。天気が良い日が続いているので、朝早くから狭い庭の玄関先で、わんこは日向ぼっこ。

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 私はその傍らで、のんびりするわんこを写真に収めながら、ガーデニング(?)。

 
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 一日、目が痛くなるほどの燦燦と輝く太陽の下、ベリーちゃんと孫べリーちゃん、新しくようやく鉢に植え替えたコーヒーの木のカフェ〜さんを、何が楽しいのかずーーーーっと眺めていた私です。

 本当に何も考えることがないと、植物が一ミリ成長するのさえ見えるんじゃないかという程、凝視してしまいます。お陰で目が・・・・
 暇なことこの上ないので、余計なことを考えてしまわないように、わんこと玄関先でぼんやり日に当たりながら、本を読んだり、ベリーちゃん眺めたりです。

 と言う訳で、一冊本を読みました。以前からちびちびと読んでいた本なんですが、色んなことを考えさせられるので、片手間に読むには勿体無いような本でして、今日やっと読み上げました。

 発売当初からずーーーっと読みたいと思っていた本で、ようやくアマゾンで見つけて取り寄せたものの一つ。

「逝かない身体  ALS的日常を生きる」 
      川口有美子 著 医学書院

 発売元が医学系の出版社なので、なかなかノンフィクションの棚に並ぶことがなく、医学関係の書物置き場にそっと並べられているんだろうなと思うと、大分勿体無い気がします。
 私達が生きている世の中は、「普通」とか「当たり前」とか、そう言った目に見えないステイタスのようなものでがんじがらめです。生きること一つとっても、当たり前とか普通とか、当然とか、そう言った言葉で締めくくられてしまい、結局生きて行くことって自分にとってどんなことなのかを問う機会もないまま、「差別」や「偏見」を生んでしまうんです。

 人は人と比較して人足りえるものだと言われます。自分は何物かという事を考えた時、他人ではないのが自分だと答えるのが正しいような気がしてしまいます。けれど、「自分」って何でしょう?自分自身を考えたり、「あり方」を考えて行くと、「生き方」に通じて、ひいては「死に方」にも通じて、どう生きるか、何故生きるか、そして何故死ぬか・・・そういったことまでつながって行く気がします。

 たまたま私は五体満足で、それなりの教育を受け、それなりの家庭で暮らし、何不自由なく育ち、社会に出て仕事をしています。けれども、これが「生きている事」かといえば、違う気がします。ただ「定番」と言われる有り触れた皆と同じ事をしているだけで、自分の生を自分で生きているのではなく、数合わせのように生かされているだけなのではないかと思ったりします。

 生かされる・・・それは言葉尻だけを取ればとても崇高なスピリチュアルな考え方なのかもしれませんが、言葉とはまた不思議なもので、相反する別の響きを持って届いたりもします。

 ALSと言う難病を知っているでしょうか?医学系に進む人であれば、入ったばかりの看護学生だって知っている病気の一つです。

 筋萎縮性側索硬化症

 それが、ALSの正しい病名です。インターネットで検索すれば、現在は病気の事からサポートシステム、NPOなど、色んな情報を得ることが出来ます。情報があるという事は、世の中にもどれ程か浸透されてきたのでしょう。
 
 どんな病気もそうですが、情報を発信し、「こんな病気があるのです」「助けて欲しいことが沢山あります」と言い続けることは、決して同情を欲して、共感して欲しいのではないのです。
 看護師の養いたい能力の一つに、共感や傾聴などのコミュニケーション技法があります。大切なことだと習ったし、話を聞くだけでも救われる患者さんも居るのだと習ったこともあり、また何の看護技術も持たない学生では、実習中に一番学ぶことの多い技術の一つです。

 けれど、どんなに共感しても、ただ頷いて去って行くよりは、身体の位置を変える事の方がずっとずっと大事な事もあるのです。情報を発信するという事は、共感や同情ではなく、情報を得、知識を積み重ね、行動へ繋げて欲しいのです。まずは知ることから、まずは伝える事から。そしてその輪が、次の大きなうねりへと変化して行く事が出来れば・・・。

 この本は、家族がALSに罹り介護した著者の体験記です。医師や看護師のものではなく、当事者の家族、しかも濃厚な介護を必要とするALSと言う難病の家族を介護した記録。そこに書かれていることは、看護師として私が学んだ僅かなことをひっくり返すこともあったり、いまだ未体験のさまざまな家族と当事者の葛藤、介護者やサポートメンバーへの希望、要望だったりと、現場にしかない生きた場面の色々です。

 看護師には、介護は出来ません。プライドとか言うのではなく資格の問題でもなく、「介護」は「看護」とは違うのです。より患者の意思を酌み、より患者の傍に立ち、より患者自身の「生」にしがみつき、以心伝心のケアをするのが「介護」なんです。 看護はそう言った意味で、介護に勝ることは出来無いのではないかと思えます。看護に出来るのは、大半が「医療」ケアなのです。在宅療養をしているALSの患者さんの毎日に、看護が必要な場面は殆どありません。いえ、当事者からは看護が出来ることの色々を指摘されると思いますが、家族やサポートメンバーに勝る看護が出来るわけないのです。

 看護師は何でも出来るわけではなく、看護師こそ、医療と言う枠の中でしか天使でいられない、条件付の存在。どんな家族の中にも光と希望を灯すことが出来る介護事業所のメンバーではないのです。そして医療側の考えしか出来ない、そういう考えに染まってしまう。そんな自分もまた淋しく切なく思え、この本に書かれている患者本人の「生」の捉え方、家族や介護者の思いに、改めて自分の小ささを思い知るのです。
 もしも条件付で無い天使であるなら、この本の全てに頷けたはず。何度も読み返しながら、その意図を繰り返し推考することもなかったはず。私は、小さな存在過ぎます。いまだかつて、ALSの患者さんに出会ったことも無いんですから・・・。

 ALSは、全身の筋肉がどんどん衰え、自分の意思では何もかも動かせなくなる病気です。呼吸筋が動かなくなれば呼吸器をつけ、瞼や頬の微かな動きで意思を伝達する。そして最後にはその意思を伝達する術すらなくなってしまう。けれども、自分の身体の重さや痛み、居心地の悪さを感じなくなる訳ではなく、感覚と思考は無くならない。
 
 逆を言えば、どんな状態であっても、喜びと楽しみと幸せすら、生の最後まで感じることが出来る病気です。

 だから、どう生きるかが大切な病。

 死ぬ権利と生きる権利を、医療の介入のたびに選択を迫られる病です。患者本人にも、家族にも、同じ重さでのしかかってくる選択肢。

 この本に出会う少し前、NHKでALSの患者さんの特集をしていました。番組の主旨を私はあまり知らないまま見ていたのですが、生きることに対する問いかけのようなものでした。

「生きて欲しい」

 と思う家族や関係者と裏腹に、

「何故生きろというのか。」

 と問う患者。
 何故生きねばならないのか、何故生きるのか・・・

 それは、きっとALSの患者さんだけでなく、私も同じように考えること。だから、きっとそれはALSという病気だからこそ思い煩う問題ではなく、誰しもが問い続ける疑問。
 
 だからきっと、同じ答えがあるはずです。

 とりあえず今五体満足な私にも、今呼吸器の助けを借りて、一ミリようやく動かせる頬の筋肉の動きで意思伝達を諮るALSの患者さんにも・・・。
 
 あなたに、生きていて欲しい

 そう願うことが傲慢な願いになることもある。それは病気と言う平等に訪れる「残酷」さの前で。
 生きていることが当たり前で、当然で、その意味なんて考えない毎日を過ごす常世の春のような若者達には、「生きていて」と言う願望が笑い話になるでしょう。それを笑い飛ばすだけの若さが、今はとても眩しく、目を背けたくなることもあります。

 必ず来る『死』よりも、もっと過酷で辛いこれからの『生』。

 死に方を考えるよりも、生き方を考えることの方がずっと難しい。死んで行くことよりも、生きて行くことの方がこんなにも辛いとは、この歳で感じるこの世の憂いの一つ。
 
 何故、生きるのか。
 どうして、生きているのか。

 どうやって、生きて行くのか・・・・。

 この本にも、答えはありません。死んでいった人しか分らず、死んでいった人には問いかける術すらないのが世の中です。

 自分が持つ当たり前の感覚が実は当たり前では無いこと、普通と言う物差しはどこにも無いこと、一人ひとりが一つの価値であること、病気・介護・看取りを通してこの本が語ってくれることは、ALSの現状であったり、介護の工夫であったりというもの以上に、そうした『命』への考え方だったりします。


 そんな『命』の支援者でありたいと願う、一看護師の私。
 看護に出来る介護が育っていけばいいのにね・・・。


 

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