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zoom RSS 変わらないもの、変わるもの。

<<   作成日時 : 2010/12/29 22:23   >>

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 人間、差別というか区別というか、区別という差別か、区別と差別ともよばない上下関係とか、そういうものがあるやなしや・・・。

 そんな話を友達としていた今日の休日。

 久しぶりにすっかーんとした快晴で、慌てて洗濯をして出かけました。日中日が射していたせいもあり、夕方からはぐっと冷え込んだ感がありますが、明日からはどんどん冷え込みが厳しくなるらしい・・・とのこと。年末年始は一瞬だけ帰省できる予定が立ったので(ゆっくりできないけど)、温かいところへ帰る気分です。渡り鳥的生活の私!?

 さて、今日の休日は友達とランチに出かけました。とにかく、

 お外で美味しいものガッツリ!

 に飢えている女子連ですので、ランチがたとえ14時30分になろうとも、ランチはランチ!お友達は子供さんがいるので一人前全部を食べられないけど(こどもにあげるので) 、私はその傍ら、めっちゃしっかり食べていましたよ。

 まぁ、ランチしながら愚痴をぐちぐち聞いてもらい、ぶらっとしたという休日です。

 その待ち合わせ場所に向かい電車の中のこと・・・・。

 多分ほとんどの人が仕事納めで、学校も休みという感じにしては人手が少ない感じのする電車内。自分の乗った駅からでも、十分座る席がある位でして、立ち派の私も気兼ねなく座席を確保していたら、隣に座っていたのは女子二人。

 大学生なのか、高校生なのか・・・その辺の年齢は捨てにもうおばちゃんの域に達している私には分からないけれど、とりあえず女の子という世代を少し過ぎて、女性という感じの女子二人でした。
 でも持っているものは結構可愛らしいものを持っていたりしていたし、しゃべっている口調や言葉遣いからはまだ少し幼さが見え隠れ。おぅ!男の子ならぐっとくるぜ!なんてオヤジ化しながら二人の会話を聞くでもなく手持無沙汰にしていたら、

「この間○○くんが友達を紹介してくれてさ。」

 という話題になり、

「うそ!ええやん、どんな人やった?」

「んー、まぁそこそこかな。」

「いいやん、じゃあ!顔は?」

「どう?ってあいつにも聞かれたから、『ゴリラじゃないからいいよ。』って言っといた。」

「ゴリラじゃないんだ?だったら余計ええやん。」

「○子も紹介してもらおっか?」

「えー、ええの?じゃ、顔のいいのがいいな。」

「あー、そっか。○子は端正なのがええんよな。」

「そーそー、見た目のいいのがね。」

 ・・・・世の女子は、電車でこんな話をしいるんだなぁ・・・

 と、おばちゃんは思っていたのであります。女もそうかもしれないけど、男も見た目重視なんだな。
 楽しみだけに集中して、いつも笑っていられる時期の女の子ですから、そういうものなのかもね。そうしているうちに、大切ないろんなことに気づいていくっていう過程なのかも。

 可愛いなぁ…と思っていたら、彼氏を紹介された女の子が、おもむろにカバンを開き、

「ほら、見てみて。」

 と言って、隣の女の子に差し出したものがありました。

「何?チョコレート?」

 ちらっと眼をやると、大判のチョコレートケースのようなものを友達に見せているところでした。

「そう、チョコレートやけど、可愛いやろ、モナ・リザ。」






 え?






「これ、どうしたん?」

「この間見にいってん。美術館。」

「へー、可愛いやん。」

「やろ?可愛いやろ?」







 え?





 おばちゃん、その形容詞についていけんけど??????







 
 チョコレートケースの柄として描かれたモナ・リザは、「可愛い」風にアレンジされたものではなく、超有名なあの形そのままのモナ・リザの絵画。
 変に笑ってもいなければ、ギャル風に飾られてもいない。







 それを見て、今どきの女の子は


「可愛い」

 と言う。








 個人的な意見、




 モナ・リザって「可愛い」のか?

 可愛いって、形容するものなのか?




 芸術を愛するうまうまさんとしては、芸術の伝統の中に「可愛い」があるのかどうか疑問。
 


 可愛い…・?

 可愛いだと?




 まぁ確かに「可愛い」も在るかもしれない。
 ルノアールの少女とか、シャガールの一部とか、10000歩くらい譲って「可愛い」もありかもしれない。



 しかし!!!!!




 モナ・リザを「可愛い」と言うのは、ちょっと痛い。
 美しいものや優雅なもの、確かにそう可愛いもの綺麗なもの、そういった、何というか感嘆のため息をつきたくなったり、賛美したくなったりするもの、それがいくら日常生活上の些細な出来事であれ(たとえば物のデザインとか服のデザインとかでも)、それらを表現する言葉を持たなさすぎるのではないか?

 と、うまうまさんは分析してしまう。

 全てのものが「可愛い」に集約されて、美しいものを見ても上品なものを見ても伝統の優雅さを見ても、全てが「可愛い」に収まってしまう感覚・感性の狭さって、如何なものか?

 知っている人はいろんな表現で(はっきり言って難しすぎるくらいの事も多いが)伝えられるのに、一方で全く言葉を知らない人もいたりする。心の中では同じ「感性」がうごめいているのに、言葉を知らないだけで天と地の差。
 別に心を持ってなくて、心が動かないからすべて「可愛い」と言うわけではないのだろうから(そう思いたい)、せめてもう一つ、もう一ランク上の『美を讃える言葉』を自分の中に植え付けてもいいんじゃないだろうかな、と思ったりする。

 まぁ、最近の「感性」ってよく分からないから、モナ・リザもその中では「可愛い」のかもしれない。

 ダ・ヴィンチはモナ・リザに恋をしていたという話もあるけど、当時の彼が彼女の事を「可愛い」と思いながらあの絵を描いたかどうかは定かではない。
 出来るなら「可愛い」感情ではなく、芸術と「愛」に対する深い情であってほしいものだと思う。


 個人的な感覚だけどね。

                    

 都会を歩いていると、私たちが子供のころ欲しかったけどなかった便利なグッズや、私たちが子供の頃に苦労して自分の力で工夫したり作っていたりしたものが製品になっていて簡単に手に入ったりっていう現象をよく見ます。

「これ、昔は作っていたよねー。」

「これ、昔はなかったから苦労したよねー。」

  と言い合うこと毎回。毎回新しい発見で、そのたび

「最近はモノがあふれて、何も考えなくても手に入るようになったね。」

 と言う事に行きつきます。

 豊かになったということ。それは、歓迎すべきことでありながら、寂しいことでもあったりします。子供時代に苦労したことを「あれはなんだったんだ。」と振り返りながら、けれどもその苦労があったからこそ伸びるものもあったりして。簡単に昔の自分たちのレベルを飛び越してしまえる現在の人たちも羨ましかったりするけど。

 豊かになりすぎてなくしてしまったものが確かにあって、それは35歳の私にもひしひしと半分の寂しさと悲しさを含んで感じられるのだから、きっともっとお年を召した人たちにはありありと痛いほど感じられるのかもしれません。私はそれを「世の中はそうなったんだなぁ。」と俯瞰して受け入れて見れる年ではないので、時代についていきたい自分と、昔の時間を残して居たい自分との間で揺れていたりします。

『昔はね…』

 と言う話がウザい範疇に入りそうな最近。私が子供の頃は、昔話を楽しく聞いていた思い出があったりするのに、今は

「昔の話をされてもわからない。」
 
 と簡単に言われてしまいます。
 私ですらこうですからね。

 田舎から都会に来るって、やっぱり少ししんどいかなぁと思ったりしてます。
 

 世の中は、望むと望まざるとにかかわらず変わっていき、いつの時代もその真ん中。
 『正しい』ものを選択する力より、「自分に都合の良いもの」を選択する力が勝る毎日。




 正義のヒーローがそっぽを向くのも、分かる気がするよ、晴一くん。

 あの歌は、こういうかんじなのかなぁ・・・。

 

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