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zoom RSS fuzzyって言葉の果て?

<<   作成日時 : 2011/02/20 02:09   >>

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 個人的な事なんですが、この間携帯電話で何気なく、晴一くんの『つぶやき』を読んでいたら、大人だと思っていた彼の、分かっていたけど子供のような残酷さのあるつぶやきに、ちょっとカチンと来てだいぶ白けた次第。個人的な事なのであしからず。
 あんまり微妙な気持ちになるので、それ以降あまりその部分は読まないことにした。ツイッターって自分も始めてたけど(更新してない。登録だけ)、宣伝を兼ねたような企業もののつぶやき意外は、殆ど意味分からないものが多いんだというのに気づくのに数か月。
 そういえば、ブログだって日常の話題とかが主体だから、状況がわからなければ単なる自己満足っていうのに変わりないんだよね。ブログの記事を読んでいて「何のことを言ってるんだかわからない。」とおもう記事が多い事に、最近は慣れてしまった感じです。そうやって『曖昧な社会』になって行くんだろうなとふとした事を考える私であります。 (私は気を付けているつもりなんだけど、どうだろう?)

 以前は・・・・と言う話をするとかなりのおばさんじみた言い方ですし、私もそんなに年取ったんだーと変な気持ちになりますが、確かに携帯電話がなかった時代は家にかかってくる電話が大事でしたね。私には経験がないけど、好きな人にかける電話も親の視線が気になっていたりとか、長電話で怒られたりとか。
 考えれば留守番電話機能が世に出たことも、それなりに記憶にある私。そりゃ、500円札知ってる自体ですでにおばさんか。

 そういう、ある意味不便な状態であるからこそ確立したなにかを持っていたような感じがする昔の話。今よりずっとつながりも俊敏ではなくて、人も物もつながらなくて大変だったし、捕まえるのも大変だった。医者なんて白衣脱いだらどこかへ神隠れしちゃうような人種も、いまや携帯電話ですぐに捕まえることができる。便利は便利だけど、そういうものに頼りきって、どこかで「安心」してしまい、どこかで「なんとかなる」と思い、「何か」をしたり「一生懸命になること」をやめてしまっている気がします。ネットで何でも探せるから、辞書も必要ないのと似ています。探し物をするのに最初に『ネット』が来るのが最近。とっても便利な反面、全てをネットに求めてしまいがち。自分で探す、自分で積み重ねることがなくなって、瞬時に答えが出てくるものばかりで上っ面のみ撫でている毎日のようです。

 この感覚、分かって貰えるかどうか分からないけど、この全てが「曖昧」な感じと表現するもの。確固たる繋がりもそこにはちゃんとあって、友情、愛情、絆は変わらないものではあるんだけど、そこへ至るまでの過程と言うものがとかく薄れがちなのかな。私もこの『曖昧さ』が何なのか分からない部分が多いので、中々上手くは言えないけど、ぼんやりした、ふわっとした感じの世の中だなぁと思います。

 そこに置いて、医療業界は数少ない人と人が密接につながる場面のある場所です。中にはネームバリューとか悪徳とか、そりゃ粗悪な犯罪の温床になりやすいけど。 私が感じることは、給料として報酬を得てはいるけれど、何も作らず、何も売らず(看護を売ってるんだろうけど)、何も破壊せず(?)、建設的ではなくて、先進的ではなくて、何というか生活の基本やら自己治癒力を支えているだけで仕事として成り立つのが看護だったりする。(ナイチンゲールの看護論かな。)

 という事は、そこに『曖昧』なんてことは丸でなくて、人と人のやりとりで、気持ちと気持ちのやり取りで、何も生産しないからこそきっちりとした『感覚』があったりして。うーん、うまく言えないけど。職業の中には何かを生産して人とのつながりを密にしたり、それぞれが生きている感覚をとても強く得られるものもあるんだろうけど。

 簡単に言えば、いつまでたってもアナログな世界なのが介護とか看護とかの医療業界だなぁと思うのであります。いくら電子カルテが発達しようが、画像検査が充実しようが、難しい検査が簡単にできようが、デジタルには出来ないものが医療であったりするわけです。まさしく介護ロボットなんて、働いている人間にとってみればありえない世界。 (それを考えて実現しようとしているのはきっと介護士ではなく、デジタルの世界に生きている人だけ。) そして、そういう場所にとっぷり浸って生きているからこそ、仕事を終えてぱーっと世の中の光の中に戻っていったときの『あいまいさ』に戸惑ったりするのであります。大体、ロボットに介護してほしいのだろうか?看護師がロボットでもいいのだろうか?ウェイトレスがロボットでも嫌がるだろう、人っていう生き物は。 日常生活の私は、肉食獣の中のシマウマの気分がなんとなく分かった気分になるのです。


 どこまで何を信じていいのか、ふと分からなくなる・・・

 まだ私は医療業界に生きている人間なので、まだまだ人間の心の暖かい部分や慈愛に触れたりすることがあるので救われていたりするけど、もともそれすら無い世界で生きているとしたら、それはそれは辛いだろうなと感じるのであります。

 変な話から変な話へ流れて行った様相ですが、それを思う切っ掛けになったのが、今の仕事場。昔の仕事場もそれなりに色んな人がいて色んなドラマがあって考えさせられることはいっぱいあったけど、こと都会に出てきた田舎娘としては、都会には本当に「乾き」が多いなと思うのであります。
 それなりに都会で人も多くて、人が多いっていうだけで色んな人がいっぱいいるのは確かなこと。十人十色とはいったものです。

 そんな中で暮らしていれば、何が普通か分からなくなるのは仕方ないのかもしれないですね。そして自分らしさとか個性とかを見出していく。いい方へ働けば色んな可能性があるのです。そういう意味では東京もそういう大都会。皆が上京するっていうのもそういう夢があってのことだもんね。
 んで、やっぱりいろんな人がいるっていう事でいえば、色んな事が起きて色んな人がいるし、人がいっぱいいるからつながりが密になる訳でもあったかくなるわけでもなくて、逆に粗雑な感じになってしまう。受け入れられないものが多くなったり、認めたくないものが多くなったり、比べるものが多くなったり・・・。んー、書いてることがわからなくなってきたけど。

 そして、人はどうなるかと言えば、悩み、葛藤し、心を病む人が増え、体を病む人が増えるのであります。人が多いから一概に比べられないかもしけないけど、私の地元よりもずー――――っと、精神的にアンバランスで、そういった悩み(悩んでるかどうかは本人にしかわからないけど)に振り回されていたりする人が多いです。つまり、心を病む人が多すぎるのであります。スタッフ皆の見解ではあるんだけど、精神的な問題を抱えている人と、生活保護の人が仕事場にはとにかく多い。都会だから人が多いんだし、そういう人も相対的に多くなるのは分かるんだけど、何にせよ多いのよ。何だか悲しくなるほど。
 
 そういう人が、この曖昧な社会で都会の方が放っておかれて生きやすいというのかどうかは分からないけど、私としてはどう見ても放っておかれて悪化している風に見えなくもない。 もっとしっかりしたつながりで友達を作ったり仕事をしたりして社会に入っていけば、ずっと生きやすくなるのにって思う人が多いんです。

 そして、生活保護。別に怠惰で受けている人ばかりではないんだから何と話していいのかはわからないんだけど、生活保護も打ち切られて、保険も切れて、収入の道も日雇いだったり、住民登録もなくてっていう人も結構目にします。
 田舎にいたころは考えられない状況で生きている人の多いことったら!!!! 都会って、そんなんでいいの!?って感じです。

 でも、人間ってどういう状況でもとりあえず生きる意志があれば生きていけるんだなと、妙に思ったりしたりして。

 逞しく生きている人間を、神様は必ずしもいつも激励してくれているわけではなくて。どんな状況であれ、病気っちゅうもんは時と場所と人を選ばずやってきます。勿論、そういった『ぎりぎりの生活』をしている人が健康に気を付けているわけでもないので、リスクは上がるんだろうけど。
 保険がないからって言って病気は待ってくれません。生活保護だからと言って病気しないわけでもないし、精神疾患があるからと言ってもインフルエンザにはかかるんです。

 先日、「サルでも分かるST低下」でやっきた一人の男性。

 こりゃいけんわ!!!!!

 と、ドア・トゥ・ドアで心カテ室へ運んだはいいけど、救急の診療室で問診をしている最中に、胸痛が今までもあったことや、今回も結構な時間我慢していたことが分かったりして、そして実は持病が色々あるという話も出たりして。

「なんでちゃんと病院にかからんのや!?」

 と言う話になった時、

「カネがないねん。カネがないねんから行けんわ。」

 男性はさらりと答えて

「カネがないのは、死ねゆうようなもんや。仕方ないやろ。」

 みたいな話になり、誰もが答える言葉をなくしました。だってそこにいた人は、ちゃんと仕事を持ち、それも専門職で多分同年代のサラリーマンより稼いでいる医者たちや、正社員で毎日の不安なく仕事と日常生活をこなしている看護師たち。低所得者層の生活の状況や、そういう人たちの現状を誰ひとり知らないばかりか想像もできない、加えてそういう人たちとの接点もないような人たち。だからそういう人たちが毎日何を感じて何を思っているのかわからない。

 たぶんその男性はストレートすぎるほど天真爛漫な方で、きっと話をすれば冗談ばかりで周りを笑わせてくれるような人だったので、思ったこともきわどい言葉もすらっと出てきたんでしょうね。そんな風に言われたら、こっちは何にも言えません。多分、答えの正解なんてないだろうし。

 お金がないから病院に行かない。

 それは確かに正しい理論なのか???? まぁ、救急車のタクシー化に対して医療者が「有料にすべき」と思うのとは矛盾するんだろうけど、病院にかかるってもっと底辺の事でいいんじゃないかなと思ったりする。んでも、それでご飯食べてる私たちには辛いかなぁ…・これも矛盾?

 そして次に、

 じゃあ、今この人を助けるべきなのか?

 という事にもつながる。サルでも分かるST低下っちゃ、心筋梗塞だわさ。本気、サルでも分かる心電図変化。これが分からなければあなたは一体医療の何者?というようなもの。

 助けなければ命が危ない。今この場でなくなってもおかしくない。
 ってか、今なら助けられるし、その手段をこれでもかと言うほど私たちは持っている。それこそ、見返りなんか気にしないで、好き放題にばらまけるほど。

 それを、

「カネがない。」

 だけで手放すことはできんのんよ!

 だけど、本人としては

「助かってもカネがない。」

 のだと。

 じゃあ見殺しにしろと!!!!!!?????



 結局、その後の事は何とか考えようという事で、大慌てで手術に向かいましたが、保険がないので100パー自己負担。しかも、心臓系なので確実高額医療です。住民票もなく頼る身内もいない。考えることはいっぱいあります。どうにかなることはほんの少しだってことも、目をつぶれることが少ないってことも。

 だけど助けるなと言われたって無理なんですって!!!!!

 


 という事がありまして。多分、最終的には病院の持ち出し分が大きくなるんだと思いますが・・・。
 この曖昧な社会で、皆よく生きているなぁと思ったわけです。
 
 私が今何かの病気になったとしたら、まだとりあえず元気に働いている親がいて姉がいる。地元に帰れば家もあり、それなりに貯蓄があり、病気の身であっても仕事をしようと思えば条件付きで仕事だってある。(看護師の役得だわ。)心配してくれる友達も、助けてくれる人だっているだろう。話を聞いてくれる人だっているし、ネットも使えるから情報だって得られて、ブログで文句を言ったり想いをこうして発信したり出来る。

 それがもしもすべてなくなったとしたら・・・・
 
 その状況で生きている人がいて、その環境に生きざるを得ない人がいて、それは別に自分で選んだ孤独ではなくて・・・
 物が豊かにあるから、友達がいるから、家庭があるから、それだけで人は幸せとは言えないかもしれないけれど、普通に考えたら、幸せが芽を出す基盤とはなれると思う。安心とか余裕とか、そういうところから生まれる一歩先の幸せ感はあると思う。
 まぁ、何もなくて路上で生活している方が自由で幸せだっていう人もいるし、確かにそう思う事もある。マザー・テレサだって、何もないからこそ与えることができるっていうし。けど、メジャーな固定概念とその「自由」の間に居る、その間の下の方にいる人たちの孤独っていうものは計り知れないなと思うのです。

 保険の期限が切れたとき、多分それは凄い恐怖と言うか喪失感だったんじゃないかなと思うけど、そんなこともさらりと「切れたから」と言ってのけるのです。
 ・・・・こういうやるせなさとか切なさとか。考えて、だからと言って自分は何もしようとしないだろうし、何もできないんだろうけど、そういうものの解決に政府が乗り出してくれればと思うのは、他力本願かなぁ。そういうのを考えていたら、晴一くんのつぶやきに、残酷で自分勝手だなぁと思う事があって、これも私の偏見で我儘な斜に構えたものの見方でいけんなぁと思いつつ、ちょっと色んな事にがっくりした訳であります。

 テレビのニュースを見ていると、何だか私たちの生活とはかけ離れたところで政治家がわらわらいってる気がして、だから何?という気持ちで見るしかないのですよ。替えるべきは首相なのか?誰がなっても同じなんだから、もっとこの底辺を変えてくれればいいのにって思うんだけどなぁ。

 とまぁ、こういう事が多い私の近畿生活です。

 そんな夜勤を過ごした後、帰りにマクドナルドの前にさしかかり、

「朝マック買おうかなぁ。」

 と、幸せな悩みに浸りながら、

「でも200円で食パンが買えるし。食パンだったら2.3日食べつなげるし。」

 と現実を見る自分が、ケチなのか倹約家なのか分からなくなるのであります。
 そして、マックを通り過ぎる。

「でも家にまだ食パン残ってるし。」

 と、スーパーも通り過ぎる、倹約家(?)なワ・タ・シ♪




 寂しいけど、単なるケチか生活困窮中にしか思えん・・・

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