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zoom RSS 誰か、大丈夫と言って…。

<<   作成日時 : 2011/03/17 23:11   >>

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 パソコンを開けたのが何日ぶりかと言うほどです。携帯しかいじれない日々が続いて(地震だけではなく忙しかったのです、仕事の件でもとにかくいろいろと・・・・)、みくしーかツイッターしか見れない日々でした。

 寝る前にテレビでいろいろ情報収集して、でもなんか不透明でよく分からないことが多くて。今はマザー・テレサが言っていたように

「釣りをする道具ではなく、魚を分け与える。」

 時期。復興よりも救援の時期なのに、物資が届かないって・・・。ツイッターでもつぶやいたけど、なんかガソリンだけの問題ではないような気がしてきます。要請がないから、情報がないからって動けないでいる。情報を伝達する手立てがないんだから、情報が来るはずもない。向こうが「情報がない」って言ってるのに、「情報が来ない」ってこっちが言うのも変。途絶えてるんだから。お互いイライラして精神的な苦痛が続いている。避難所にいる人も、体の辛さや空腹は我慢できても、精神的な辛さには耐えられないはず。
 マザーが居たら、きっとどんな手立てを使っても、「神のお導きです!」って言いながら歩いてリヤカーを引いていっただろうなと思ったりする。

 こうしてネットをつなぐことは、少なくなってる回線の使用だからダメだという人もいれば、関西圏、西日本ではちゃんと動いていないと経済的にも危ないという人もいる。被災地以外では色んな情報がとびかってて、本物がどれだか分からなくなる。(ので、ツイッターも公式人をフォローしてみた。)

 逆に今西日本に節約っておふれが回ってきたらどうするかな?と自分で考えてみたら、実は私、節約するところが何もないんだわさ。

 コンセントはちゃんといつも抜いてるし、エアコンつけてないし…。照明も各部屋一つ抜いてるし。買いだめするまでもなく以前実家からもらってきたお米がまだあるし。するとすれば、お風呂をやめること位かな。あとは、ずーっと病院で寝泊まりすればそれなり?とか思うけど。

 地震の話はたくさんあるけど、西日本は何ともいつも通りの日々なんです。ただ、少し私の回りの住宅地では静かかなぁというくらい。飛行機がなんだかとても多くとんでいる気がするだけ。私も病院の仕事をこなしながら、普通に生きています。
 ただ、ガソリンに関してだけは節約できるのかなと思ったりして。

                     

 病院では、支援のために医療品を送ったり、援助チームを出したりと、事務関連の人たちが動いてくれています。医療者の方は仕事で手いっぱいで動けないので、ぎりぎりのところまで事務や上層部で決定してくれてます。それで私たちの診療が滞るわけではなく(それじゃ援助になってないし)、こちらは淡々と過ごしているといった感じです。人は少なくなっているけど夜間の救急外来を訪れる患者さんも減らず。相変わらず先生たちは疲弊していますけどね。

 それも、きっと日本の不安の現れなんだろうなと思ったり。

 誰かに大丈夫だと言ってほしい。

 そういう気持ちが分かる人たちもいます。心配だかけどどうしていいか分からない。それは冷静さが無くなっちゃったのもあるんだろうけど、今まで分からないでいたことに対して急に不安になってしまうって感じです。原発だってあるのが当たり前だと思っていたけど、こんな風な危険を孕んでいるんだと確認するように。

 そんな中、私は転職以降、『優しさ』っていうものを忘れかけているような気がして、自分で自分が嫌になります。「正常な判断」と言うものが(この場合、パニックの時とかではなくて、普通の意味での判断)組織の中での損得に関連しているような気がして、嫌になります。

 先日、被災された方が関西圏の親類を頼ってやってきて、病院に受診された患者さんがいました。関西に着いた直後に体調を崩され、病院へ。

 お子さんを抱えてお二人での受診でしたが、強いなと思いました。強いという意味も、ただ単にしたたかであるとか精神的につよいとかではなく、表現が難しいのですが、こんな状況なのに大きく豊な許容量があると言う感じです。

 理解し、分け合い、寄り添う事って、お互いにそうあってこそ、そこに生まれるものがあるんだと思うんです。優しさに触れて優しくなれて、助けられて助けるっていう感じ?情けは人の為ならずという諺がしっくりくるのか、でもそれじゃ何だか計算高い感じだけど、大変な状況の中、そんな立場だからこそ優しくされるはずなのに、それ以上に自分が優しくなれる人たち…というのか。

 多分、見返りって殆ど計算してないと思うんです。大変な状況の中でこそ、頑張ろうと思う状況だからこそ、人におおらかに優しくなれて、どんなことも許せて「いいんです」と笑っていられて。だからこそ相手も優しくなれて助けられる。ホントに、強いというのはそんな感じです。何も持たず、何もなくなったけれど、体の中にある優しさとか慈愛とか、人を思い許す気持ちだけは枯渇することがない人たち。

 表現は変だけど・・・ 多分、「助けられて当たり前」と傲慢に思っている人は、極限の中にいる人たちにはいないんじゃないかな。確かに助けて欲しいのに助けてもらえないっていう思いはあると思う。もどかしくてイライラする気持ちはあると思う。したいのにできないこっちの気持ちもあるように。
 でも心の奥でそう思ってても、人に会えば物の少ない中で優しさを分け合い、譲り合い助け合う。それがこちらにはとても大きな影響となる。

 被災した患者さんを見ていて、自分がとても小さく感じました。何だか、自分を取り繕っているだけのような。だから、ちゃんと生活するんだって、買い物もするし、今まで通り仕事もするし、冗談言って笑いあうし。

 でも、優しくいようと思いました。

 人に合わせて物差しを変えられる柔軟な、大きく広い器を、もう一度作り治したいと。

 何かを変えたくて転職したのに、私はいつの間にか大きな病院の組織にのまれて、『自分』であることも忘れてしまってたみたい。『自分』を楽な方に変えてしまっていたみたい。損得、苦楽、そういう単純な事に惑わされて、自分の手でできることの一つも忘れてしまっていた。私が持っていたとても大事なものを、押しつぶしていた気がします。と言うか、そうしていかなければならなかった仕事場の状況、そういう考え方に偏っていた職場の環境。人の目を気にしすぎて、忘れてしまっていたものがいっぱいある。

 自分もとても辛くてしんどくて、そういう『優しさ』を手放してしまっていた方がずーっと楽だったから、そのまんまになっていた部分。

 私らしさって、
 私の意味って、
 私のできることって、
 私の存在、今ここに居る意味って・・・

 そういうのを考えてしまいます。
 私、とてもとても冷酷で冷たくて、野蛮で偽善的で、杓子定規な人間になってしまってたんだと気づいた。
 
 あぁ、イヤイヤ・・・。



 私も同じ。

 「誰かに大丈夫って言ってもらいたい」病。

 こんな時にね…。

 

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