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<<   作成日時 : 2011/04/16 01:43   >>

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 夜勤をするとき、日勤からの引き継いで看ることになった患者さんについて申し送りを受けます。日勤は日勤、夜勤は夜勤で患者さんをぴっちり線引きできるわけではないので、看護師の仕事に「申し送り」は必須事項。だからこそ看護師さんの話術と表現力、コミュニケーション能力ってとても大事なものです。

 申し送りとは、勤務帯の交替際に担当看護師から担当看護師へ看護の引継ぎをするものです。まぁ、申し送りっていうだけで最近は、医療従事者でなくても分かってくれるようになりましたね。これは、患者さんのケアが継続的に行われるうえで大切なものです。と、少なくとも私は思っています。前任者がどんな視点でどんな風にケアしていたかという事と、その患者さんに対する個別のケアプランがどのように遂行されているか、また患者さんに提供できるケアの全部が一貫した流れとなって提供できているかというのは、看護の質の問題でもありますし。

 この申し送り、実は医療現場では実に様々なところで行われています。

 看護師さんの休憩のときには、自分の休憩中自分の患者さんを看てくれる看護師に簡単な申し送りをしますし、オペ室では入るときと出る時には必ず状態を送ります。勿論入院をする患者さんについても、外来から病棟へ患者さんのいろいろを送ります。退院時にだって、入院病棟から各科外来へ、申し送り書類だったり口頭伝達だったりで退院時の状態が申し送られます。つまり、理想的なのはその病院にいる限り、患者さんの経過は途切れることなく流れ続けて伝わり続けているという事です。
 そこに、看護師だけでなく医師、リハビリ、検査などの情報が付加され、『カルテ』となって運用されているのです。というわけで、カルテって本当に色んな情報、患者さんの医療情報がぎっしりと詰め込まれているものなんです。勿論、完全口外厳守ですが、プライベートな情報や個人情報も入っていて、まさに健康とは身体的・精神的・社会的なもの、という定義を貫くためのツールであります。

 その申し送り、勿論救急外来でも様々なところで行われます。勤務帯の交替際に行われるのは病棟と同じで、今現在経過観察中の患者さんや検査中の患者さん、受診診察中の患者さんなど、細かく申し送ります。細かくと言っても時間制限はあるもので、大概5分程度で送るようになります。看護師さんの要約能力と察知能力って、凄いなぁと思う次第。

 その交替際の申し送りで、日勤より

「嘔吐の患者さん、ケモ中、採血して点滴、治まったら帰宅方向。」

 これで一人送り終わりです。これでも十分必要な情報があり、もっと必要な情報はどこから引っ張ってくればいいかもちゃんと伝わっていますのです。(勿論、名前と年齢・性別は大抵伝えてますので割愛。)

 この患者さんに最後まで関わるかどうかは、救急の状態によりけりです。私は実際別の患者さんの色々が忙しく、この患者さんが点滴室で点滴をしていて、終了して帰っていくっていう経過を知らないで時間が過ぎていきました。
 
 記憶って不思議なもので、必要な情報は大概引出のようなところに入っていて、申し送られたことも自分が実際関わっていく患者さんの弾きだしは開けっ放しでどんどん書類を詰め込むように記憶を並べていくのですが、申し送られても関わりが無くて(別の看護師が担当になったりしてね)必要のない情報は閉じられたままです。

 丁度点滴室近くで処置カートを整理していたとき、不意に後ろから声をかけられて、振り向くと事務員さんが立っていました。

「看護師さん、申し訳ないんだけど、外で○▽さんとかっていう人がパニクって何か言ってるんだけど。」

「はい?」

 何の事だかさっぱりわからず首をかしげて返事すると、事務員さんも自分が言ってることが酷く相手に伝わりにくいものだと気づいたようで、

「○▽さん???って人が救急にかかったと思うんだけど。」

 事務員さんも名前の記憶があいまいなようで、もしかして違う名前だったかも…・という言い回しで確認してきます。

「○▽さん?」

 ちょうど日勤からの申し送りを聞いたばかり、でもその中には○▽さんなんて名前はなかったはず。この時は、本当に記憶の引出についた見出しを一つ一つ確認するような気分。

「あぁ!!!もしかして、○○さんのこと?」

「んー、かもしれない。そうだったかも。」

「で、どうしたんですか?」

「それが、外でまた吐いたって言ってて。」

「あぁ、はいはい。」

 引出を引っ張り出すと、そこには○○さんに関してもらった情報が入っています。さっき送られた、ケモ中の吐き気で受診された患者さんです。顔も年齢も分からないけど、きっとその人。帰ろうと思って外に出たら、また吐き気を催してしまったんだなと予想できます。
 でも、この状態で帰る指示が出ているのは、点滴が効いて吐き気が収まった証拠。吐く切っ掛け、誘因、帰ってよいという判断の何かがあったはずです。

「待合にいらっしゃるんですよね?見に行きます。」

 事務員さんと待合に出ると、男性だと申し送られたはずなのに、待合でうろうろして私を見つけると駆け寄ってきたのは女性の方。

「どうしました?」

「また吐いてしまったんです。」

 女性が誘導するように私を連れて行った先に、男性が一人座っていました。
 そう、この人こそ○○さん。傍らにティッシュのごみが入った袋が無造作に置いてあります。観察すると胃液のようなものが少量。胃液を吐くときは、意外としんどいものです。(胆汁だったらもっとしんどい)

「胃に何も入っていないので、吐くものは少ないですね。気分はどうですか?まだ吐き気が続いていますか?」

「いえ、吐いたら少し治まりました。」

 口調もはっきりしていて、体調が悪化した様子はありません。めまいやしんどさを訴える様子もなく、かすかに笑みもみられます。
 患者さん本人の落ち着きに反して、ご家族の勢いは物凄いものがありました。心配と不安が度を越しているようで、患者さんとゆっくり話がしたくても横から怒涛のように言葉が流れてきます。

「少し落ち着きましたか?」

 ご家族を落ち着けるためにも、患者さんにそう話しかけると、患者さんの頷きの代わりに家族の方の方が

「いやぁ、もう心配で心配で。こんなんで本当に平気なんですか!? またこんなことになったらって思うと帰れなくて。」

 このパニクりよう、ちょっと尋常じゃない。

「もしかして、化学療法の点滴は初めてですか?」

 患者さんの落ちつきと家族のこの温度差、おそらく患者さん自身は治療の全部をちゃんと理解しているように見えます。

「えぇ、初めてです。」

 穏やかな言葉の横で、ご家族が『初めての事に対する不安』に駆られて多弁になっています。医療現場でたまにぶつかる場面です。

「点滴の治療を始める前に、先生の方からいろいろお話は聞かれてますね。」

「えぇ、聞いてます。」

「おそらく吐き気も注射による副作用だと思うんですが。」

「はい、説明されましたので。」

「始めの方はこうした吐き気が個人差はありますが強く出て来ます。」

「そうなんでしょうね。やっぱり薬の副作用だと思ってました。」

「治療を続けると、しばらくこうした吐き気に悩まされることがあると思います。避けて通れない副作用なんです。」

「えぇ、分かっているつもりです。」

「とてもよくご理解してもらっているのですが、やはり本当に症状が出ると体はしんどいですよね。」

「でも、吐いたらすっきりしました。」

「さっきした点滴は効果が出てますか?」

 点滴で施行した吐き気止めは、化学療法の副作用による吐き気によく効くとされているものを選んでいます。おそらく効果が出たから帰宅の指示が出たのだと思うんですが、無理して家へ帰ろうとする方も中にはいます。

「点滴は効いています。ただ、ここから外へ出て冷たい風に急に当たったから、びっくりしたみたいです。」

「そうですね、そういう刺激がきっかけになることもありますね。」

 隣では、ご家族の方が私たちの話に対して一つずつこぼしたりない不安を上げていきます。それに対して患者さんご本人が特にいら立つ様子もなく穏やかなのがとても印象的。
 おそらく、ご自分では治療のなんたるかをちゃんと理解していて、だからと言って同じレベルですべてを理解出来ない家族に対しての許容量が大きいんだと思います。患者さんが家族まで支える一例。たまにこういう関係のご家族さんがいます。考えれば患者さんに負担が大きいような気もしますが、この関係、患者さんにとっては家族がいるからしゃんと立っていられるという状況の一つなんですよね。ご家族はおろおろしているだけのような感じだけど、それで患者さんの気持ちを「役割分担」という感じで支えているんです。自分だってきっと落ち込んで泣きたいけど、ご家族が自分の分までおろおろしているから逆に気が抜けた・・・という患者さんだっているのです。

 ご家族の形って、不思議です。こういう場面、ご家族で病気に向かわれる場面に出会う度、この方にこの伴侶なんだなという事を強く感じます。この人だからこの人が添い遂げられるのだなと。
 だからこそ、患者さんの穏やかな落ち着きがとても印象的でした。このお喋りで活発なご家族がいるからこそ、患者さんは日常を日常のまま過ごしていけるんだろうなと思うのです。

「どうですか? あまりしんどいようであれば、少し休んで帰られますか?それとももう一度受診されて、入院の事も考慮しますが?」

 医師が状態の説明の折、入院を示唆していたことも知っています。ただそれは何というかお守りのようもの。いつでも入院できるから安心してほしいというようなものです。

「いいえ、家に帰ります。」

 その言葉ははっきりしていました。
 黙ってその言葉を聞いていた奥さんが、

「・・・・入院すると眠れなくなるというんです。でも家でまたこんなことがあると心配で・・・」

 状態を見るに、副作用による吐き気ということですが、点滴の効果で落ち着き、どうしても入院が必要で、動けない緊急事態ではない。まだ体力も十分ある。吐き気をコントロールしながらの入院生活よりは、多少の吐き気はあっても日常生活を送った方が絶対に良いと思われました。
 こちらから入院の話を振ってはいますが、この場合は本当に『いつでも医療現場で受け入れる準備はできています。』というこちらの意思表示のようなものです。

「家がいいんです。」

「勿論、そうですね。おうちでゆっくり眠って頂く方が、体にも良いのは確かです。帰れそうですか?」

「はい。今は落ち着いていますし、明日は仕事も休んで外来受診日ですし。」

「でも・・・」

「もしも家でどうしてもしんどくなったり、吐き気が辛くなったりした場合は、受診に来てください。いつでも大丈夫ですので。」

「えぇ、でも家はここから少し遠いんです。」

「救急車を呼んでもらっても構いませんよ。」

「こちらの病院に来れるとは限らないでしょう?」

「確かにそうですが、どこの病院でもきちんと対処はしてもらえますし、必要であればこちらの情報をすぐに受診先の病院にお送りできるので、安心してください。」

「そうなんですか。」 

「そういう対応はいつでもできるんですよ。」

 患者さんの顔に少し笑みが浮かびました。

「おそらく、副作用のお話を聞かれているので、対処の方法も主治医の先生からお話しされていると思いますね。いきなり食べたりはしないで、吐き気のある時は休んで、ないときに少しずつ水分から取ってみてください。時間がたつにつれて吐き気も慣れていったり治まってきたりしますので、個人差があるのではっきりは言えませんが今が一番しんどい時なのかなとも思います。医療機関にはいつでも受診してもらえる体制があるので、安心してくださいね。」

「分かりました。」

 患者さんは、少し休んでから帰られました。
 私とのやりとりは、患者さんの状態を確認して、セルフケアの能力を少し思い出させるだけっていう簡単なものです。何のアドバイスも何の有効な話もしませんでしたが、患者さんは私が言わんとするところ、私がかんがえんとするところのプラス要因をとても察してくれました。

 『あぁ、そうだ。自分には自分でできる事がたくさんあり、自分に必要なものが何であるか選び取ることができる。そして、いつでも頼るべきところが自分にはあるんだ。』

 そう感じてくれるだけで十分。
 細かなアドバイスができない代わりに、私は良くこうした「患者さんの中にある対処能力」に賭ける話の持っていきかたをすることがよくあります。人に言われるよりも、自分のやり方の方が良いことだっていっぱいあるし、人が言ったからすべてが自分に適応できるものではないし。(これだから保健師には向かないのかも。)
 安心を与えられる話が出来たらいいなぁといつも思います。有耶無耶に流しているだけ、という感じもあったりするけど、話をしているうちに患者さんも家族も、考えがまとまっていくってこともあるし。私のこの対応は、それでもまだ全然未熟で申し訳ないですけど。
 
 家で家族と過ごすことと、入院して管理してもらう事は、人によって重きが全然違います。どんなに『いつもの』環境がいいと思っていても、本人は入院した方がいいと思うことだってあります。外来受診に来る人の中には、『入院希望』で受診に来る人だっているくらいです。

 患者さん自身が自分の病苦に対してどう理解し、どう考え、どう管理しているか、またどうしたいのか、病気に対してどう向き合っているのか・・・そういったことがはっきりしている患者さんは、とてもしなやかです。強くて柔らかく、しっかりしています。勿論肺炎や風といった軽いものに対してもそうですが、「完治」することが無かったり、生涯付き合っていかねばならない病気であればある程、患者さんがいま自分と病気に対してどう思い、どう感じているのか、ジブ下の中の病気と言うものをどうとらえているのかという『哲学』要素が、日常生活や闘病生活の質、医療者との絆、医療効果や病気や治療の知識に対する受容と理解においても大きな役割を担います。

 自分を知る人は、幸い。
 恐れるものを知っている人は、幸い。

 どこか、マザー・テレサが「貧しいもの程幸い。」と言うのに似ています。物事のなんたるかを自分の中で消化できている人は、正しく恐れ、正しく行い、正しく理解し、正しく選ぶことが出来るのかもしれません。もしも選び取った先に自分の思いえ菊物がなかったとしても、それが実は正しくない道だったとしても、それを受容し、方向転換にそそぐエネルギーを無駄にしないのでしょう。

 ただそのままに受け入れる。

 そのどんなに難しく、どんなに大切でどんなに誇り高ものか、分かるような気がします。そしてその高みに希望を抱きつつ、地面にめり込みながら私はもがいてばかりいるのかも。
 思うようにいかない全ての事に対峙する度、『家に帰りたい』と話した患者さんのように、私はきちんとあるがままに受け入れられていないんだなぁと思い、凹みます。

 
 実は、あるがままの「ある」その状態が、まだ見えてこない。
 

 
 患者さんって、凄いなぁと思う毎日。
 病気なのに強くて、病気なのに優しく、病気なのに差し出してくれるものが多い。
 看護師の仕事は、毎日絶えず患者さんからの教えばかり受けています。


 日々勉強。そして日々凹む・・・

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