〜近畿☆瀬戸内☆うまうま交響楽団 ♪

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zoom RSS 10月でしたっけ?

<<   作成日時 : 2011/10/05 18:21   >>

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 ちょと待ちぃ。

 いつの間に十月なんか?

 ・・・・というくらいのご無沙汰です。

 9月末から久々のブルーデイ(月の物とは違います。)を満喫していまして、海よりも深い『やるせなさ』いや違う、『怠惰』?????に恵まれていて、なーんにもする気がしない。

 出るのはため息と文句ばかり。(←扱いづらい―――!!!)

 仕事場ではとりあえずミスなく難なく仕事こなしていますが、この秋のシーズンと言うのは病人が少なくなるのですよね。少し前から、

「稲刈りの時期だから患者さん少ないなー。だから暇だなー。」

 と、リーダー席で頬杖付きながらでっかい声で暴言を吐いていると、

「うまうまさん、近畿で『稲刈り』を理由に病院に来ないってのはないと思いますけど。」

 四方八方から突っ込みが来た。

 さすがお笑いの国、近畿。

 大阪に限らず、京都も奈良も兵庫も突っ込んでくる。

「うちの田舎じゃそうなっとるんよ!秋は稲刈りで頑張る季節なんよ!医療者は暇な季節じゃけぇ、学会が多いんよ!」

 ・・・・・どんな反論ね。

 という訳で、広島薀蓄を披露していた、暇な毎日。稲刈りと学会に関連性はまずないと思うけど、うちの田舎ではこの季節の学会は外来患者さんも入院患者さんも減るので、ある意味有難い。発表する人にとっては過酷な夏に資料作りというのは大変だけど。

 という訳で、最近ゆっくりしている救急外来。
 でも患者さんが減ったわけではなく、重症患者さんがいないという訳です。というか、うちの病院で受け入れられる重症患者さんがいない。
 外来患者さんはそれでも横ばいで、この季節の曖昧な感じで胃腸炎や胃腸風邪でかかる患者さんは多い。

 まぁ、そういう『帰ってもらえる』患者さんはまだいい。

 『帰ってくれない』患者さんもまた、多い。

 都会の事情なのか、特性なのか、まかり通る社会通性なのか、入院希望の患者さんも多く、どんだけ病院好きやねん!?という患者さんも多々いる。

 医師ではよくあるパターンだが、患者さんもそう来たか、都会・・・。

 因みに、医師の「病院love」はいろんな説があるけど。

 ついでに言うと、これは絶対都会だからこそだと思うけど、迎えがいないから帰れないという人も多い。

「未来の私・・・。これはきっと、私の行く末なんだ・・・」

 と、処置室のベッドで布団にくるまり、我儘し放題で聞く耳持たない患者さん(←こぞって軽症、足元気。ただお財布と心が怪しいだけ)を見ていたら、切なくそう思う。

 今は漫画の中だけのような、「デパートのおもちゃ売り場でじたばたしながら泣き叫ぶ子供」の大人・病院バージョン。


 あんた何歳ね?


 という光景が繰り広げられる、連日の病院。
 そして、対処困難ケースとして次の勤務に申し送りされる個人ファイルが増えていく。
 
 その半分に関わる私って…・

 ツイッターで確実二重意味のつぶやきをする晴一くんに負けず劣らず、解釈困難な患者さんが増えているのですよ。ついでに言うと、最近の晴一くん(はっきり言えば結婚後)の、ライブを除く公における言動は、絶対扱いづらい患者と似ている。(まぁ、奥さんも芸能人だから言動には色んなところから目が光ってるんだろうけど)
 このまま爺さんになると、絶対医療者が嫌がる偏屈爺になりそう。

 京子さんにして「純粋」と言わしめた晴一くんって、どこ行ったんだろう?

 いや、そんな話題ではなく、第二子おめでとう♪
 ロマンスポルノの時はもう分かってたって事よね。
 
 

 ・・・・話が違う方向へ・・・・



 とまぁ、色々ありながら、神経をすり減らしているのです。

 神経って、再生しないのよ。
 すり減ったらすり減ったままなのよ。

 いや、解剖学的な話ではあるんだけども。

 IPS細胞で脊髄損傷のマウスが歩けるようになったっていうけど、簡単に言えば壊れたものは治せるけど、性状がおかしいものは治せないのよ。
 壊れたものも直してほしいけど、性状や機能がおかしいものだって治して欲しいのよ。

 うつ病や精神疾患は、神経の構造は壊れてないのよ。ただ、働きがおかしくなってしまうだけで。(遺伝子の傷って説もあるのか。)私としては、こっちも治して欲しいのよね。
 確かに、壊れたものも治して欲しいけど。歩けなくなったのに歩けたり、動かなかったのに動くようになるってすごいことだし、QOL向上だけど、どっちが優先順位って訳でもないけど。

 働く・働かないで現在厚生労働省がめちゃくちゃやり玉に挙がっていて、子育てしながら仕事だとか環境がどーのだとか、揚げ足取りなことばかりしているこの世の中、根本見たら皆が我儘なのがいけんのじゃがって思うのよね。自分が自分が…自分がダメなのは○○のせいってしたいだけよね。
 専業主婦だって、『制度が整っていれば働きたい』とか、『働きたいけど働けない』とか、結局周りに責任転嫁してる所もあるし、逆に働いてる人は『働かないのに恩恵受けてる』とか、『働かないで言う事は言う』とか、『自分は働きながら子育てしている』とか、言いたい放題。広い心で薄目で見てたら、どっちも分かるけどさ。

 これって結局、何かに縋りたいだけなんじゃないかと思う。自分がダメな事を、何かの理由をつけて正当化したいのかも。自分ががんばってることも、何かにつけて表彰してほしいのもあるんだろうし。まぁ、私の見解だけどもね。そのやり玉に挙げられるのが、実際誰も傷つかない『政治』。悪口の矛先を政治に向ければ、誰も身内は傷つかない。首相のせいではなく、『政治』のせいにすればみーんな納得するし、誰も嫌な思いをしない。
 これを政治家自身もするんだから、首相が何人も変わる訳だよね。任期満了制にすりゃいいのに。自分たちで選んでおきながら自分たちのせいにはしない。自分たちで選んでおきながら、人のせいにするってどう? 

 何故そう思うかってーと、今自分がそうだからで。

 政治ではなく、運命だとか宿命だとか。

 結局、頑張って働いて税金払って、大したことない医療保障に使われたり、生活保護に使われたり、子供いないのに子ども手当の税金払ったりしている自分が嫌になったりすることもある訳で。きっと働いている一人暮らしの独身は一瞬でも思う事だろうけど。(←ことばにすんな、私!)
 友達の子供を見ていて、「あぁ、この子が生きていくための生活にかかるお金は家族で必要だけど、社会で生きていくための制度や保障やなんやかや、私が働かなきゃいけないんだなぁ。税金なんだなぁ。学校だって保育所だって、税金かけなきゃできないもんなぁ。」と思ったりするわけで。
 完全黒子の毎日。

 それを思えば、お金はかかるけれどわんこは簡単。保障も生活もすべて家族がかり。狂犬病の登録とか、ペットとしての登録とかはしているけど、それで社会が何かしてくれるわけではないし。(あ、通知葉書は来るか。)ペットには何の社会制度もない。
 だからより可愛がるんだろうけどね。自分しかいない、そういう存在だからかな。

 いや、それで責任転嫁がどうのとか思ってるわけではなくて。

 わがまま言って生きてる人もいれば、好き勝手し放題で生きてる人もいて、苦労して苦労して生活している人もいて、潤いなく荒んでいる人もいて、家族もなく一人ぼっちで死ぬ人もいて、葛藤の末自殺する人もいてって中で、私はすでにそれだけで十分幸せだと思うのにそう思えないのを人のせいにしたりして、あぁ、それでもそう思えない自分の方がダメなんだなぁと思ったり、でも私がこんななのはなんでだろうって自問自答したり・・・スパイラル。

 病院のベットの上で、好き勝手言ってる人たちを見たら、羨ましい半面呆れたり切なくなったり、悲しくなったり。

 誰も好きでそうやって生きているわけではないんだろうし、好きで身寄りがなくなったわけでもないし、好きで家族と疎遠なわけでもないし、疎遠になっていて全然平気で寂しくないって訳でもないだろうし。

 そう思うと、皆が幸せになるっていうのは途方もない理想で、在り得ないことなんだなぁと思ってしまいます。そして、しわ寄せが来るのは絶対に弱い者で。弱い者の救済のために色んな政策が出来たのはいいけど、今度は弱い者が「楽」になったり。んー、言い方が難しいけど。

 という訳で、色んな事に矛盾と憤りと、私も我儘な思い込みだけど「わたしばっかり…」という嫌―なモードに入ってしまっているので、10月になったこともすっかり失念していました・・・・てへっ。

 私は最近、仕事場で実際に患者さんに関わるのではなく、裏方の仕事をすることが多いので(管理ではない)、ちょっとぐずった患者さんとか、絶対注意してみていなきゃいけない患者さんとかを相手にすることが多く、色んな人がいるなぁとつくづく思う毎日です。

 そこで思うのはやっぱり、生活習慣病と言われるものに「精神疾患」が入ったように、人々の心がぎりぎりのところで動いているんだなぁという思いです。
 少し前までは、どんな人も一様に楽しみと憂いと、喜びと憤りと、それぞれを持って考えて感じて生きていたのに、最近では喜びにも心を反応させることができない人も多く、楽しみにも鈍感で、優しさにも曖昧な人が増えてきました。
 多分、悲しみや苦しみに打ちひしがれることが多い、というのではなく、喜びや楽しみや幸せだという感覚に心を震わせることが極端になくなってしまったのではないでしょうかね。

 マザー・テレサも言っていましたっけ。幸せの根本は家庭にある、と。家族を幸せにできて人を幸せにできると。家族の幸せは、ひいては世界の幸せであると。人はどこかの単位で家族ですから、世界中の家族が幸せであれば、皆が幸せという事になるんでしょう。

 苦痛が大きく、苦悩が大きく、辛い事や寂しいことが増えたのではなく、そこに敏感になりすぎて、楽しい事や嬉しい事に気づけないでいる現代。だから神経をぎりぎりと言わせながら闇雲に生きているのかもしれません。

 そういう事を考えている私もまた、ぎりぎりというのではなくへとへとに神経がすり減っていたりして、笑う事が少なくなってきたような気がします。

 心は再生しないと、思います。傷ついたところはずっと、「治る」ことはないのかも。小さな傷が大きな傷に積み重なっても、それがきれいさっぱり治ることはなく、いつまでもかさぶたとして残っていく。だから『トラウマ』という言葉があるんだろうし。
 忘れるっていう事は素敵な事だけども、忘れたつもりになっているだけ。
 心のキャビネットには鍵もされずに引出が残っているまんま。

 正体のわかる恐れを恐怖と言い、正体不明の恐ろしさを不安と言います。

 でも、どちらもこういった表現しにくい恐れではない何ともまいえないもやもや感を表すのは適切ではない気がします。

 あらら、あらら。

画像


 わんこ眺めてお茶しようっと。

 明日も仕事だ――――!!!!!

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