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zoom RSS 生きて、働くという事。

<<   作成日時 : 2011/12/09 09:31   >>

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 おはようございます、うまうまです。お忘れでないでしょうか。

 うまうま、自分は忘れてましたよ、ブログの事

                    

 って意地悪な事ではなくて、ホンマに。

 何せブログを書けなかった日々、仕事に出る為に生きていたようなもので、病みに病んでいたのです。




 心が





 ・・・・ではなくて、身体が。はい、もううまうま自慢の身体(別に脱いでも凄いんです、ではなくて強度の事ね)が病んでいてお陰で気分もダウンして、悲惨極まりない部屋だったのです、ここ何日も、いや、今も? 病は気からではなく、病むと気弱。

 その間に相互リンクのお話までいただいて、ご紹介しなければと思いつつも体力的な無理だったので放置していた痛い私です。
 相互リンクを張らせていただいたのは、「看護資格を取るまでに絶対知っておくこと」というブログさんです。
 ごめんなさい、サイト内を全て見たわけではないので確かな事は言えませんが、看護師資格の事とか、看護師になってからの生活の様子とか、凄く細かくカテゴリーわけして紹介しています。看護資格を取るにあたってのことって、ブログ村でも結構書いてくれている方が居ますが、看護師の休日とか福利厚生とかまで踏み込んで書いてくれているのはなかなかないものです。
 私の場合は、私の日常ブログで押して察すべし、って感じ?←何をだ!!???

 という訳で、私のきれいではないリンク集の中から飛んで行けますので、これから国家資格を取ろうと思う方、これから看護大学・看護学校へ進もうという方、彼・彼女・夫・妻・娘・息子・祖母・祖父が看護師だけど、看護師ってどんなもんなん?っていうのがイメージできない方は、見てみるのもいいかもしれませんね。知ってるようで知らない事、あったりして。

 って書いてようやく気付いたけれども、12月ですね。気付いたら紅葉が散っていて、私の秋は無くなっちゃいました。
 進路を決めるにはもうとっくに過ぎていて、看護師になろうという人はもう志を決めて勉強しているだろうし、看護資格を取ろうと頑張る人は、今頃最後の実習でひーひーいってるころかな。もう、自分の頃とは教育課程が全然違うのでどうのこうのとは言えませんが、その『ひーひー』言ってる間が、社会に出てからすごく大事だなと気づくので、大事な時間を精一杯頑張ってほしいものです。

 私は前から書いているけど、学生時代の勉強は、社会にどんなに関係なくっても、どんなに日常生活に使わなくっても、大事だと思います。それはいつも書いているように、社会に出てから気づくものです。一生懸命木を植えているときには、森の形は分からないです。
 それは『教養』と言う名であったり、『知性』という名であったりするんだろうけども、形のない『品格』と言う部分では、学んだこと、吸収したことがとても大事です。偏ったものや秀でたものであっては『才能』と呼ぶのかもしれませんが、万遍なくどんな話題にもついていける、応用力を育てる、そういったことに学生時代の勉強はとても大事です。
 人間の器をもしも大きさに例えるなら、土をこねて形成している間は学生時代。どんな学びをして吸収をして、材料も多くなると器自体大きくもなるし、ひと手間で素晴らしい形や色合いにもなるものです。焼きが入って形が確立するのは社会人になってから。ココって瞬間で感覚がないけれど。そして、その上に自分の人生をどんどん美しく盛っていく、という感じかな。

 歴史、科学、数学、国語、古典、英語(←英語は実社会でも重要だから、最早勉強という感じではないかも)、全て日常生活には関係ないし、看護師目指すのに物理は必要ないしって思うかもれしません。看護師という職を目指すのではなく、看護師である自分という人間の理想を目指すのであれば、自分と言う人間の厚みのために、勉強は全て必要。学べるものはすべて「楽しく」学ぶべき。

 今の学校ってどうなっているのかわからないけれども、私は地元でも進学校と言われるところに行ったためか、学校の先生が

「塾に負けてたまるか」

 という精神で日々学校の勉強を教えてくれていました。それ程の情熱を持っている先生が今何人いるかは不明だけれども、その精神の中には進学させるためだけの勉強を教える、いわばテストの為だけの勉強をする塾よりも深く面白く教えてくれる、為になる授業と言う感覚が入っていました。

 学校にとって進学率の問題は大変な重要事項ですし、私たちの学年って笑って済ますお馬鹿さん(私もその一人)が多かったので、先生たちも躍起になっていたように思います。

 そういう先生の間隔に気づくと、塾の勉強よりも学校の勉強の方が随分面白くて、私は受験に対して学校8、塾2、くらいで勉強したものです。とにかく学校のテキスト重視でした。
 学校の授業って、面白いんですよ。今はどうかな?先生が必死になって反応のない生徒に教えている姿って、ある意味情熱です。それこそ、白熱教室です。冗談交じりで笑いあり、ちょっとした余談ありの授業は思わぬところで思わ腐ものを覚えているものだし。

 なんか、勉強についていろいろ書いちゃいましたが、今回は朝っぱらからそんな話をしようと思っていたのではないんだけどもね…。

 いやいや、世の受験生様様、決戦はもう少しですけど、クリスマスなりお正月なり、大いに楽しんで大いに勉強うしてくださいね〜〜〜。

 看護師国家試験にはまだあるから、看護のお卵様様、国家資格の勉強は即実践に結びつきます。これが学生の頃の受験勉強とは違うものです。何と言っても、基礎と応用力。現場は教科書だけではまわりません。解剖・生理がきちんとわかっていれば、おのずと弾き出される病態変化もあります。

 そう、看護の基本は「人間のなんたるか」です

 人間のを解明することは、半分科学の世界、半分神の領域。知れば知る程人間はどうしてこのような機能・生理をもって生まれたのか、どうして誰がこのような機序を作られたのか、不思議ワールドにたどり着くはずです。
 それこそ、人間の中に「神」しか成しえない機能がたくさんつまっています。宗教を語るのではなく、人間を人間が作る事が出来ないのなら、一体だれが初めに人間を作られたのか、誰がどのように考えてこの形、機能を成しえたのか・・・。とてつもなく不思議ですね〜〜〜。

 人間の不思議って、腕が動く、指が動く、という事だって不思議の一つです。機序は説明できるけども、なぜそうなったのかはわからない。大体、人間が生きていること事態不思議ですものね。犬だって猫だって、姿かたちの必要性、彼らがそこに生きている不思議、語りだしたらきりがありません。

 臥せっている間の話はまた長くなったので別にするけれど、寝込んでいると熱が出たり吐いたりするわけですよね。「吐く」っていう行為一つとっても、人間と言うのは反応できるようにできていて、口って食べるための所でありながら、出すところでもあるっていう事なんですよ。 (←肛門は出すためのところで、入れるための所・・・・おおっ!!!!・・・・座薬があった!!!!)しゃべるために声を出すところでもあるし、息をするところでもある。

 内臓の胃だって、物を入れて消化するところで在りながら、必要であれば吐くためにもぎゅもぎゅ動いているところであったりするのです。
 自己防衛のために本来の機能を果たさないことが善しとされることだってあるし(下痢とかね)、それを瞬時に内蔵自体で考えて対応している訳だから、身体の中の小宇宙って訳です。

 凄いと思わん?

 

 思わんのん?

 思わんかぁ〜〜〜?

 ほぅか・・・・

 思わんのんか・・・
 

       ・・・・うにゃうにゃうにゃ・・・・



 声帯の少しの違い、骨格の違い、筋肉の違いで人は声質が変わるし、皮膚一枚で顔だって変る。それを人の体の中で作り上げるわけですよ。
 残念ながらそういう楽しいこと(←私だけ?)は、臨床に立っていないと分からないことで、机上の学問では見えてこない医療の醍醐味だったりします。
 別に医療だけでなく、普通に働いている人たちだって、自分と他人が別の人間であること、同じ機能を持ちながら同じようにその機能が働いていないことに気付くことって、ないだろうかね? ・・・・・ないか。
 名刺交換をしているとき、自分が他人で自分が自分であること、自分と相手が存在するという事、自分と相手は違う人間なのに、同じ人間としての機能を持っているのに、『別』の人間であることに不思議を覚えたりしないのだろうね?・・・しないか。

 ここまでくれば面白さと言うより哲学みたいなものであるんたけども、医療現場にいると、そういう事を不思議な面白さとして痛感します。

 表現でいえば、癌になる人、ならない人・・・・これはもう運命としか言いようがないもので、いくらヘビースモーカーだって肺癌になるとは限らないわけです。それは人間である医者であっても科学者であっても分からない。なると限っていれば、たばこなんて繁栄しませんよね。だからがん遺伝子が見つかって、抑制遺伝子が増えても、『癌になる』という事は降ってわく(←表現がちょい違うけど)ことしかない。細胞自身しか知らない。科学上、細胞自身には何年後に異常細胞になる、というプログラミングがある、と言われていることもあるんだけども、それを駆逐する免疫があるかどうかも分かれ道ですね。

 なので、宗教の出番?一番簡単に対応できるのが、宗教?

 癌になった時、癌に限らず病気になった時、それがその人の上に降りた「神の御業」であったりします。私は宗教の話自体結構好きだし、学校がミッション系だったので(正統派だけです)こういう話にもついていけるんだけども、聖書の中には、どんな人もそのように生まれてきたのは、その人の上に「神の御業」が行われるため、という個所があります。(私は聖書を通読していませんけどね。)

 その人に起こることは全て必要があり、その人を選ばれて起きたことだという考え方。同じ考え方では、宗教を超えて『子は親を選んで生まれてきた』と言うものがありますね。健康な親子はまぁそうとして、障害を持つ子はその親の元でしか自分はありえないと選んで生まれてきたという事です。私は子供が居ないので大層な話はできないけれども、救急外来で小児症例に当たっていると、虐待例から重症児まで幅広く見ることになります。
 その中では、心ならずっていう例もあるけれど、ほぼそういう事かと納得できることの方が多いです。これも臨床の醍醐味。

 この親にして、この子あり。

 一般的に悪い意味で使われがちだけれども、これって実はとてもいい言葉にもつかえたりしますね。

 人の世話に頼るしかない状態の子であっても、確かに生きている意味があり、このご両親の元に生まれてきたのは確かな正解であり、ベストだとおもえる瞬間が毎度毎度あります。そこには大概、確かな絆があるものですが、実は親御さんがそれをまだ理解できていないこともあるんですよね。第三者だから見える事。

 逆に虐待例だとしても、この親の元にこの子が生まれたのは、この親の傷を埋めるためなのかもしれない、という思いがあったりもします。虐待と言う悲しい出来事を受ける為に生まれてきたというのは悲しすぎることですが、この子はそういう親を選んで、自分の身に一心に痛手を受けながら両親の心に働きかける為に生まれてきたのだと思うのです。その健気さが、本当に悲しさを呼んで切なくなるのですけどね。虐待を受けている子供は、本当に純粋で健気・・・。
 子供は天使と言うならば、親である「人」を救うために生まれて来るものなのかも知れませんね。

 そして、そんな自分もまた、小さな子供であった訳ですよ。
 あなたもまた、そんな「天使」だったのです。


 クリスマスを向かう街並みの中で、思う事。


 全ての人達の上に、神の祝福がありますように。
 心の平安がありますように。


 物ではなく心が、豊かでありますように。






  そして私は、マフラーを買いに出かけます。
  うまうまさん悶絶日記は後日・・・♪

  勉強の話から、色んな方向へ飛んでしまった…。

 
 
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