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<<   作成日時 : 2011/12/23 11:44   >>

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 クリスマス前の連休。
 街はどこかしら華やいできているけれど、なんだかいつもの賑やかさはないかなぁ…。節電だとかいろいろあるし、震災もあったしね。復興と言うのは、存外人の立場によって見方は違うし、一人一人で考え方も捉え方も違うものだし。

 震災関連で、発売になった月にすでに読んでしまってここには紹介せずじまいで終わっていたけれど、石井光太さんの

「遺体」

 を読みました。と言うか、随分前に読んでいたんだけども、なんというか中々言葉に出来なかったというのもあるんだけども。
 
 今日は天皇誕生日で祝日です。右翼・左翼とかではないけれど、日本にとって皇室の凄さっていうのは、こういう時に凄くよく分かる。どんなことがあっても、日本の中で『皇室』っていうものが意味するところ、存在の意義っていうのは多分どこの国にも分かってもらえないものなんだろうと思います。世界大戦を敗戦した国だからこそ、皇室を持っていた国だからこそという、色んな事象が重なって今の皇室の在り方、日本人にとって当たり前にある皇室の意味っていうのがこの形になったんだろうけれど。
 多分、存在するという以外に『皇室』のやっていること、生産性とか有益性っていうのはないと思う。勿論外交とか、皇室にしかできない公務っていうのは沢山あって、だからこそ『働く』わけだけども、傍から見て、生活のために一生懸命になっている一国民から見て、皇室って生活に本当に何の役にも立たないわけでして。だけれども、その在る処の神聖さとか有難さとか、そういうのって「国難」に於いてはっきりとわかる。
 
 震災時、誰がどうお悔やみを言おうとも、皇室の発表する「悼ましい」を凌ぐ圧倒的な力を持った報道はどこにもなかったわけで。だからこそ、被災地を巡る皇室の面々に元気をもらうわけで。

 何と言うか、日本において皇室の在る意味って、カレンダーが祝日で休日になるほどすごい重要なわけです。戦後、どんな形でも皇室をのこそうとしたアメリカの考えは正しかったという事ですな。それを思うと、アメリカの「他国を知る」市制の凄さっていうのも分かるものですけどね。

 んで、話がそれたけれども、石井光太さんの『遺体』を読んで、震災というのが当たり前だけれども物凄い事だったのだという事が分かるし、青天の霹靂がまさに自分の上に降りかかる、物凄いことがすぐ身近で起きることの痛み、無力、悲しさや切なさ、全てが詰まっているのです。

 相も変わらず石井光太さんの語り口は、物書きのプロなんだけども素人くささがあって、あっという間に実はすごいことをさらりと書いてのける人だったりするわけです。
 表現する言葉を知らない震災の大きさ、それを人が受け止める時の「無」だったり「有」だったり・・・・人はこんな風に生きていくのだなと、それぞれが「今」生きている意味、「今」生かされている使命を毎日のやり取りの中でさらりと表現してのける物語です。

 関係者の後日の証言を紡ぎ合わせた物語という形にはなっているけれども、それが実は壮大な「人が生きる意味」の物語だったりするのです。

 あの震災で、

「何故自分が生き残ったのか」

「何故あの人が死んだのか」

「なぜあの時救えなかったのか」

「何故手を放してしまったのか」

「何故引き返す後ろ姿を止めなかったのか」

「何故、私の上にこんなことが」

「何故、今なのか」

「何故、ここなのか」

「何故、自分は今ここに居るのか」

「すべて失くして、何故これから生きていかなければならないのか」

 さまざまな大小の「何故」を抱えて、それも答えのない、誰にも答えられない「何故」を抱えて苦悩する毎日、それでもその「何故」に答えるかすかな「命の意味」を、『遺体』は紡いでいる気がします。

 死ななければならなかった命、とは言えません。一瞬の判断、一歩の差、それだけで運命は誰かのものとすり替わっていたと思います。けれども、亡くなられた命にも意味があり、助かった命にもまた意味があったのだと思います。
 その意味を確かで神々しいものにするために、私たちがどうとらえるか、なのかもしれません。

 何事にも「意味」があり、必然があり…それを知りたいと思う。漠然と、「意味があるのだ」と語りかける物語は多いけれど、答えに導いてくれる物語は、真実の中にしかないのです。その真実こそ、私たちの毎日であり、降ってわいたような震災という現実であり、今復興へ日本が向かっているこの日常なのでしょう。

 ある意味普通の人たちが、毎日漁をして魚を取り、毎日バーを開き、毎日診療をし、毎日家事をしていた隣のあの人の遺体に出会う。自分の隣で生きていた人のむくろについた泥を、昨日一緒に歩いた道端で払う。

 昨日まで隣で生きていた人が今日はもういない・・・そんな体験は普通にすることです。今日いなかった人が明日は居る、なんてことはないのですから。

 それでも、昨日まで隣で笑いあっていた人を、今日亡骸でがれきの下から見つける、という体験はほぼないはず。

 そういう毎日を、被災していない私たちは考え・感じることができるだろうか?
 考えられないからいけない、のではなく、その体験はその人にしか分からない、その人にしか意味をなさない体験として残る。私たちは今後づくづく出版されるであろうそうした震災関連の本で追体験・疑似体験しながら、そこで起きた様々な「知」を、楽して享受する。

 生きている意味があるなら、生きてその体験をした意味もまた、もっと大きく存在する。死者を見送り、遺体を担ぎ、必死で暮らした日々の体験が、次の世代を養う。きっと東北は、日本の中でも群を抜いた人が育つだろう。痛みを知り、無力を知り、限りと我慢を知り、寄り添うことを当たり前とした、美しい東北が組みあがるだろう。

 苦はやがて楽になり、幸福へと導かれる・・・

 そう思いたい。

                 

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