〜近畿☆瀬戸内☆うまうま交響楽団 ♪

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<<   作成日時 : 2011/12/26 22:41   >>

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 ブログ村に登録してからというもの、ドッグネタとナースネタ以外のものを書くと、ドッグ関連できてくれた人には全くつまんない記事となってしまいまして、申し訳ない・・・・。反対にナースネタで来てくれた方にポルノ話題じゃ、まぁなんというかスケコマシじゃなくて、肩すかし?

 という訳で、言っておきますがうまうまさん、

 ポルノ好き(←そのポルノじゃなくて、あのポルノね。
         んでも、ああいうポルノではなくこういうポルノで、
         犯罪がらみのポルノじゃのぅて、音楽がらみのポルノの事じゃけぇ。)

 馬好き(←よく勘違いされるけど、馬面の人が好きって訳ではないんよ。)

 犬(コーギー)好き(←といっても、うちのわんこが宇宙一。
        例え晴一くんが『僕とわんことどっちが大事じゃ』と言っても、
              『そりゃ〜わんこじゃろ』と答える自信はある。)

 の

 看護師(←鑑別できないほど腐っとるんじゃけど。
       鯛は腐っても鯛だと鑑別出来るはず?)

 なんです。

                  

 さて、われらがポルノグラフィティ、幕張でのクリスマスライブを終了しました。残すところはカウントダウン?

 なので、詳しいライブ参戦記は前回も書いたと思うけどアップできないので、多分もう書かないと思いまふ。だって、書いたとしてもちょっと賞味期限切れ? カウントダウンライブに行った方の記事の方が新鮮だったりするんじゃないかと思ったりする。
 私のうだうだ想像するしかない抽象ライブ参戦記でよければ、も少し書こうかなぁと思って筆を執ります。

 ポルノグラフィティのライブ

 といっても、始まりは何年も前になる訳ではないけれど、私が参戦してきた少ない数の中でも、大きな意味で「大人になったんだなぁ」と顧みる瞬間が最近は多い気がします。

 昔といってもそんなに昔ではないけど、前は楽しく騒いで非日常を兎に角謳歌する、ポルノのライブと言うものを体感して、アミューズメントのように、ジェットコースターのように体で感じる音楽という感じだった気がするけれど、最近・・・と言うか、ロマンスポルノはなんだか違いました。

 楽しい、楽しむ、嬉しい、喜ぶ、聞く、感じる、確かにそんないろんな要素は健在だけれど、とにかく色々考えさせてくれます。本人たちも『自分たちが投げかけることでみんながいろいろ考えて行ってくれればと思う。』というようなこと(というようなことであって、こういう事ではないんだよ、つまりはちょっとしたネタばらしになりそうだから誤魔化して居るだけなんだけどさ。)を言っていたと思うけど、二人はいい年の大人な訳で、今までもきっとライブに関してとか自分たちの立ち位置とか自分たちの音楽とかも深く考えていたと思うんです。考えないでライブする筈もないし。ただ何と言うか、楽しむ為、音楽の為の舞台だったようなもので、それがつまりポルノグラフィティのライブだったわけですよ。勿論勿論、ポルノグラフィティのライブっていう事は今も今までもこれからも変わらないことなんだけど。

 これがなかなか伝えづらい所なんだけども、ファンの中にどれだけそういう人が居るかは分からないし、もしかして皆無かもしれないし、もしかしているかもしれないし、それは私の独断と偏見と思い過ごしと独り善がりなのかもしれないけど、ただポルノの音楽が好き、ただ音楽をしている二人が好き・・・この「ただ」っていうところが一番ポイントなんだけども、「ただ」そう思っている人にはもしかして気付かないかもしれない事が、ポルノの音楽の一番濃い部分になっているような気がするのです、私。 (もしかしてロマンスポルノだけのことかもしれないけど。コンセプトがコンセプトだからさ。)

 メッセージ性という言葉で言えば何とも下世話な感じになるんだけども、彼らが今と言う時代、今この背景に生きている音楽をするものとして、音楽の力と言うものを今までよりもずー―――――っとず―――っと考えて、好きで続けていた音楽と言うものが実は物凄く無力であったり無敵であったりするんだという事に、2011年、やっと気づいたと言うか、私もそんなことしらなかったし考えたこともなかったんだけども、壁にぶつかってじたばたしてようやく、「あぁ、そうなんだ」と実感した、手に握れたのではないかと思ったりするのです。

 もともと確固たる哲学と意識を持って音楽をしていて、音楽に乗せて伝えたいことも沢山伝えていってただろうし、今更って事もないんだろうけど、今年ほどは考えなかっただろうし、感じなかっただろうと思うのです。震災というものが契機になって、ポルノの音楽と言うものは嫌でも転換期を迎えたのではないかと思ったり。音楽の転換期ではなくて、本人たち自分自身のものかもしれないし、受け取る私が変わったのかもしれないけど。      

 読んでいて「違うよー」と思う人もいるだろうし、これは私の表現の難しい感覚的な事だからスルーしてもらっていいんだけどね。変な言い方をすれば、「売れる曲」を頑張って作っていた(晴一くんもたまに売れる曲が作りたいって言ってたこともあるしね)今までから、「伝えたい曲」に変わっていったというか。
 それだけ彼らが考えて悩んで一から構築していった何かが2011年にはあるんだとは思うけど、そのきっかけが震災だというのが何だか複雑な気もしないでもなし。
 
 まぁ、震災を契機にいろんな考え方の転換を余儀なくされた事があるのは確かだし、自分の存在意義をもっともっと考えたし、今ここにこうして起きる意味、本当にさまざまな事にまで「感じ」たことがあるのは確か。

 でも人って、言われて気付くことの方が何て多い事かしらってことです。報道に踊らされたり、キャッチフレーズがついてようやく気付く『当たり前』のことだったり。『当たり前』が凄いことだって誰も気づかない今までの方が、実はずっと病的な状態なのだと、今まで誰もどうして気づかなかったのだろうかね?って感じです。

 素敵な音楽に素敵なメッセージが乗っていれば、それは素敵な『感動』になる。それが、音楽の力。素直に聞けない色んな事も、音楽に乗っていれば心の扉が開かれたりする。

 人間って、アマクジャクなんだなぁ。

 とまぁ、話があっちへ行ってしまいそうだけど、震災だけじゃなく、彼らが家庭を持ち守るべきものを得たうえでの出来事なので余計、自分の命が自分だけのものではなく、自分の命が誰かの命であることにも気づいて、それが実は何よりも凄い奇跡だという事に気づいて・・・・そういう「伝えたいこと、残したいこと」がたくさん溢れた結果なんだろうと感じるのです。
 いい大人だから、余計にいろんなことを考えるし、音楽と言う表現できる力を持っているからこその結果、なのかな。付随して、楽しみが付いてくる訳だ。

 そして私としては、彼らが自らの手の中に持つ「音楽の力」の強さが、考えている以上に強い事を、もっと知って欲しいと思ったりもする。きっとその力は、彼らが本当に考えているよりもずっと強いのは確か。先も形も質量も見えないけれど、第三者の私が見る『ポルノグラフィティの音楽の力』は、多分かなり凄い。それを、きちんと受け取れているかどうか。

 だから、「ただ」ではダメなんだと思う。上手く言えないけれど、「ただ」聞いているだけ、楽しんでいるだけではダメなんだと思う。一杯考えて、一杯想像して、一杯心を寄せて、楽しむだけではなくそこに見える物、そこに感じ取れるものを形に出来るファンで在れたらと思う。・・・・まぁ、書くけど私はそうはなれていないんだけどね。私よりももっと若い子たちの方が柔軟でしなやかで素直だから、先のある若者の方が大事! なんて言い訳をしてみる♪

 音楽の力は、ポルノだけじゃないんよね。だれにでも、音楽をする人には誰にでも平等にある力。それに気づくかどうか、生かせるかどうか、なのかも。



 人も、同じ。



 自分の手の中にある自分の力に気づけるかどうか、幸せに気づけるかどうか・・・・。



 そういう話を、今日は久しぶりに友達と会ってしてました。いつもうだうだと取り留めもなくそういう話をするけれど(もっぱら吹っかけるのは私だけども)、答えなんてきっと自分が気づけるかどうか、自分の気持ちが「そう」と言えるかどうかにかかってる。

 分かっているけど・・・

 世の中にはそういう事がとにかく多い。「けど」、「でも」、そうした言葉を話すことが多い事と言ったらありゃしない。「ありがとう」というよりも、「ごめんなさい」を言う方が多い。「ありがとう」と言われるより、「なんでよ。」言われることの方が多い。

 日常の少しの事、些細な事にいちいち色々考えて澱をためてしまうのは、「歳を取ったから」としか言えないけれど、「考えている自分」が実はとても「哀しい」事にも気づいたりする、年輪。

 昭仁くん、「色々考えろ。」というのは、支えがないととても切なく辛く苦しい事だという事、気づいてますか。

 先に希望のある苦しみを、人は「生きがい」「やりがい」と呼ぶものなのだそうです。

 ポルノの音楽がとてもとても深く重く感じられるようになったのは、私の心のせいだったりしますか? 気の持ちよう、心の在りようで、音楽の響きは変わる。深く深く考える半面、自分に何もない事に気づいて悲しくなったりするのは、考えすぎなんだろうけどね。

 馬鹿になってアホになって弾けていても、繋がらない命を知る切なさを、音楽はどう救ってくれるでしょう?





 人は、自分以外の誰かになることはできなくて、痛みを身に感じることも出来なくて、どこまで行っても自分は自分でしかなくて・・・・・。

 「忘却」を知っているから、幸せな人は痛んだことを忘れてしまう。思い出すこともなく、「どうだったかな」と頭をかしげる。その人が「傷みを思う」、そこに微かな苦みを感じるのは、狭小の私だけだろうか?

 『頑張れ』と言われるよりも、「分かる」と言われることの方が心休まる事もある。




 ま、色々ほんまに考えるわけです、36歳うまうまさん。
 矛盾していることも色々。
 中々まとまらないんだけれども。

 考えていたらだんだん矛盾するんだけどね。

 音楽に力があるのは、「愛されて」いるからなのかもしれません。
 ポルノの音楽に力が宿るのは、ポルノグラフィティが愛されているから。

 何もかも、力があるものは、「愛されて」いるからなのかもしれません。

 

 『まず知り合う事
  知り合えばお互いに愛し合うようになるでしょう
  たがいに愛し合えば、
  支えあうようになるでしょう

  もしも本当に愛したいと願うなら
  ゆるすことを知らなければなりません。』
 
                   マザー・テレサ

 

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2012/01/02 02:00

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