〜近畿☆瀬戸内☆うまうま交響楽団 ♪

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zoom RSS 木に寄りかかる日。

<<   作成日時 : 2012/01/11 22:43   >>

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 看護師さんは仕事もきついけど休みも結構あるのだ。

 ・・・独り者の私には、結構多いと思う。
 これ、売りになる?

                  

 そんな休みの本日、お友達と天王寺に遊びに行ってきました

 久しぶりの街。
 人ごみ〜〜〜!!!


 っていうほど、私引きこもっていた気がします。
 昨日久しぶりに「ご飯を食べた後に何もすることがない…と傷心してしまった自分を顧みて、私って世界が狭いなぁと痛感。

 風邪がなければポカポカといい天気の今日、お洗濯してくればよかった〜〜って程でしたが、15時ごろに雲行きが怪しくなり、ぱらっと来てどんより。その後は風も強くなって余計に寒さが身に染みましたけど、出ている間はいい天気。
 お友達は長男くんと次男くんを連れていたのでいっぱいいっぱい、私一人身軽で申し訳ない・・・。だって持つ者と持たざる者だから仕方ないべ(←こういうときだけ…)
 
 本当は少し聞いて欲しい色々もあったんだけど、会ってご飯食べて、元気に動き回る子供見て、ぐずる子供見て、他愛ない事で話して笑って買い物してたら、そういうのも結局愚痴でしかなく、自分の気の持ちよう一つだろうし、何というか許容量として押し込めてしまえばどうにでもなるようなこと(決してつまらない些細な事、とは思えないんだけど)何だろうと感じて、「まぁ、どうでもいいか〜。」てな気分になりました。

 本を読んでいても色んな情報を得ていても、引きこもってばかりいてはだめだとか外出するのがいいのだとか、運気がいいと言われているときにこそ動き回るべきだとか、運気を上げる為に出歩くべきだとかそういう事がたくさん説かれている昨今、引きこもってばかりいて仕事でも悶々と悩みを抱えていて、悩みじゃないけど考えることが多くて考えれば考える程がんじがらめになってしまう事の方が沢山っていう私の場合、運気なんて在ったとしても自分から流れ出ているんじゃないかと常々思う訳です。

 子供を見ていると、無垢なところもありーの、計算高い所もありーの、守られていることに対する何の疑いもない確信ありーの、それをちゃんと無意識に分かっているところありーの、とにかく元気で無邪気だし、これじゃ運気がなくても周りからどんどん吸い込んでくれるだろうなぁという感じです。
 普段仕事場でぐったりしたり泣いたりしている子供ばかり見ているし、制服とマスクのせいで泣かれることも100回以上体験してるし、毎日がそういう環境だからこそ元気にしている子供が目の前でワイワイ騒いでいると、何だか不思議に感覚になったりすることもあります。

 元気な子供ってこういう事なんだなぁ、これが普通に元気って事なんだよなぁ・・・・と、何故か元気な事が不思議な事のように思えてしまったり。子供が居ないせいもあるんだけど、『普通の子供の反応』っていうのが分からないままの私です。

 あ、『普通』っていう感覚・表現自体もおかしいんだけどね。人はそれぞれが個性なんだから、普通とか普通じゃないって、ありえない事。それは大人でも同じで、障害も病気もその人の全てでその人自身で、それを否定することはその人自身を否定することになる訳です。この感覚、分かっていただけるかな…。

 逆に言えば、障害なり病気なりは、付き合い方や使い方によってはその人の『強烈な個性』となりうるのですよね。「五体不満足」の乙武さんとかがそうなのかな。確かに、本人とっては『個性』にしてほしくない障害や病気もあるものです。どうしても受け入れられないものだってあるし、そうである自分を認めたくないこともあるし、自分でなくても相手のそれを認めたくないことだってある。
 それもまた、人の気持ちの問題なので、デリケートで価値観・考え方の違う事柄なので、私の考えを押し付けるわけにはいかないけれど。

 前にも書いたかもしれませんが、中学・高校時代「人にとってどうすることも出来ない部分を指して悪く言ったり否定したりするのは、いけない。」と教えて頂いた先生が居ます。実は申し訳ない事に、どの授業だったか個人的な話だったか忘れましたが、凄く印象的に残っていて、それ以来相手にとって「どうすることも出来ない部分」は愛すべきポイントなのだと考えるようになりました。
 たとえば、容姿の問題だったり、形の問題だったり。背の高い低いもそうだし、肩幅の在るなしもそうだし。過去もそうだし。そう思ったら、障害だって病気だって、怪我による後遺症だって歩んできた道のりだって結局どうしようもない部分に含まれるのであって、年とともに増えていくものや変わっていくものだって『その人』であって、むしろその人の生きてきた証のようなものであるわけですよね。身についたマナーなり品格なり、教養なり、笑顔も涙も、結局すべてその人自身。

 まぁ、私も愚痴は言うよ。腹が立つこともあるし、愚痴って愚痴って「刺してやりたい。」という事もあるし、怒る事もあるし無視することもあるし、嫌いな人も苦手な人も嫌われている人もいるけど、結局はそれもその人なわけだし。私をどう見られているかも、私自身なんだろうしね・・・。

                      

 なんだか話が変な方向へ行きました

 『普通』という表現、前述では『いつもと違う』という事ととらえてくださいね、という事です。(←なのかな?) 
 二人の人を『普通』『そうでない』と分けるのではなく、という意味ですっていう事を言いたかっただけなんです。(←なのかな?)
 メジャーであることが大衆的な「普通」になっていて、マイナーであると「普通じゃない」と考えることの多い日本人。本当は普通じゃないことが普通なのだ、なんてことは、言われなくても分かっているんだろうけどね。

 その感覚がよく分かるのが、以前にも書いたかもしれませんが、

 漫画 「わが指のオーケストラ」 です。

 正月明けで実家に帰った時、懐かしさで読み返しましたが、凄く感動的な物語なのです。こういう考え方が出来る教育者が必要だし、こういう教育者だからこそ、生徒も付いてくるし伸びてくるのだと思うのです。

 因みにこの物語、ご存じない人のために簡単に説明させて貰えれば、手話教育の話です。現在使われている指文字も開発されていなかった昔、音楽に人生をかけることをあきらめた青年が、聴覚障害者教育激動の転換期おける手話、聴覚障害者の言葉である手話を守り切った物語です。

 音を知らない子供たちの心に音楽を響かせる、それが彼の教育です。

 手話を見て子供たちが喜び、笑い、引き込まれ、感情を膨らませる、それこそが音楽なのだと表現され、聴覚障害があるから聞こえて喋る社会へ適応するのではなく、「障害を理解する」つまり「全ての人が手話を解する世界」こそが本当の世界なのだと説く教育者です。
 よければ一度読んでみてくださいね。手話の世界がとても興味深くなること間違いなしです。

 

 という、休日の一日でした。

 我が家にカレンダーが足りなかったので、半額になっていたちびギャラリー買いました。
 このシリーズ、大好きです。
 
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