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zoom RSS What do you see in the far future?

<<   作成日時 : 2008/11/27 00:22   >>

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 医療者の『別れの季節』は、意外に色々まちまちです。学生の頃は大概3月と相場は決まっていたけれど。
 その『別れ』云々につきましては、色々ありますので、全て恙無く終わったときに報告するとして・・・ それに絡んでメッチャ忙しく、胃に穴が開きそうなうまうまです。12月は世の中師走と言う事もありますが、毎年分っていてもばたばたしています。今年は特に・・・
 2008年は、色んな時代の幕が下りたり上がったり、本当に忙しなく生きた気がします。何度も言いますが、まだあと一ヶ月あるんですけど  私にとっては本当に、

 いろんな事があった2008年です。

 こんなに泣いたのは人生で初めて、こんなに笑ったのも、こんなに心が温かくなったのも。

 正にドリカムの「もしも雪なら」の世界で、こんな気持ちが私の中に在ったなんて

 今まで何処へ隠れていたんだろう・・・そんな気持ちです

 いえ、まだ今年はあと一ヶ月残っていて、あと2ヶ月後厄は残っています。

 泣いて笑って笑って泣いて
 きっと涙の量の方がどどーんと多いけれど、毎日それでも生きて行かねばなりません。

 大好きですというだけで、大好きだと思うだけで、

 何で涙が零れちゃうんだろう・・・

                       

 涙つながりで、ちょっと読んだ本をご紹介です。発売当初から気になっていて、最近ようやく手に入れた本です。まだ半分位しか読んでないのですが、ある部分でとっても目からウロコだったのです。

 まずは本の紹介ですね

「いのちの砂時計   終末期医療は今」
              共同通信社 社会部     日本評論社

 著者を見てもわかるとおり、マスコミの取材本です。テレビドキュメント「さよならのプリズム」として放送されたものの書籍化と言う事らしいですが、実は私このテレビ番組を見ていなかったので、この本が発売されてから興味を持ったのです。
 
 日本の終末期医療・・・まだまだ遅れていると私は思います。緩和ケア、ホスピスケアが大きな流れを作り出しつつある昨今ですが、数が足りない。ニーズと供給があっていないという感じ。未だに過剰医療を施され、変わり果てた姿で最後を迎えることも珍しくない病院での死。また、最後の医療という意味では「延命治療」の是非まで、この本は幅広く「終末期」というくくりで取材・構成されています。

 終末期医療、ホスピスケア

 私には前から興味のある分野です。急性期対象の総合病院で働いていますが、私の興味のあるところは変わらずこの最後の看取りの部分です。だからこそ、この本に惹かれたのかもしれませんが
 実在した人々のエピソードを元にまとめた本です。だから日本の医療は・・・という哲学的、シュプレヒコール的な本ではなく、淡々と現実が語られていく感じです。けれど矢張りそこはマスコミの人。伝え方が柔らかく、丁寧です。そこに人間味を感じます。

 終末期、人工呼吸器を自らの手で外さざるを得なかった親子の姿、医師の姿、見守る関係者の姿、私にはそのどの人にも共通するやり切れなさと同時に、切なさと安堵感にも似た感情もまた感じられたりします。

 愛する人なら尚更、苦しんで欲しくない。

 けれど、そうして選択する「延命治療の拒否」に、残されたものが最後まで苦悩するのも事実です。あれでよかったのか、あれで本当に本人のためだったのだろうか・・・・。それが、今の日本の終末期医療なんです。
 その苦悩を少しでも軽く出来る医療者が、実はいないのだと感じます。どれ程話し合っても、医者は全ての最終判断を家族に託して来ます。

 『どうしますか?』『それで良いんですね?』

 それは、とても過酷な判断です。けれど、そうするしかない。家族という身内も去ることながら、医師という他人では、自ら率先して「人工呼吸器は外します」と言えないのです。家族はこれ以上苦しませたくないからという理由で延命を望まない事もあります。そんな時、医師が確固たる判断の元そう決断してくれたなら、どれほど安堵する事でしょう?
 けれどこれが今、殺人罪として告発されるのが日本です。

 人工呼吸器は、一度つけたら外す事はできません。

 外す事は、殺人です。


 けれど、人工呼吸器に繋がれた家族を見て、「それでも生きていてくれる」と感じる家族もあれば、「こんなになってまで・・・」と感じる家族もいるのです。

 私ならどう思うだろう?家族が突然の急変で人工呼吸器を繋がざるを得ない状況になったとき、そしてそうしたとしても意識が戻ることもないと判断された時。
 それでも生きていて欲しいと思うのか、苦しませたくないと思うのか・・・ 

 けれど、これだけは確実に思う。もしも人工呼吸器をつける選択をしたとき、家族の姿が次第に変わっていくのを見て、「もう辞めて欲しい」と思うだろう。

 苦しませたくないと思うだろう。

 そして分っていながら、「人工呼吸器を外して欲しい」と訴えるだろう。医師が決してそう判断できない事を知っていながら、言うに違いない。そして自分の決断を責めるだろう。

 何故あの時、人工呼吸器をつけてしまったのか・・・

 どんな判断をしても、結局は悩む。どんな判断をしても、本人の意思が何なのか確かめる術がないから。
 本の中には、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者さんを取り上げた章で書いてあります。

「一度つけても外す事が出来るなら、付けて生きてみようと思う患者もいる。」

 それが出来ない医療の頑固さに、医療者ながらジレンマを感じます。
 患者さんのQOLの為の人工呼吸器、QOLの為の延命治療であってほしい。

 生命は、長さではないのだと、今更ながらに思います。

 どう生きるか・・・・



 同じ様に、2章で子供のケースを扱っています。小さな子供が治る見込みのない病魔に冒されたとき、両親の様々な葛藤とともに、子供の終末期、子供の看取りを取材しています。

 その中で、悪性脳腫瘍を患ったわが子に対して、積極的治療を拒み緩和ケアに子供のQOLを託したご家族が出ていました。その子らしく一日でも長く生きる事、そして苦しみを与えない事・・・・その家族の希望に添えるのが、緩和ケアだったのです。この決断をする事で、どれ程の苦悩があったか知れません。本の中でも、治療放棄とみなされ、病院での居場所がなく感じられたこと、非難の視線を浴びた事が書かれています。

 子供の緩和ケア・・・

 考えた事もありませんでしたが、確かにそういう選択があってもいいはずです。子供だから頑張って治療しないといけない、そう言う事ではないのだと感じます。積極的治療を選択するのが当たり前だと思い勝ちなだけで、必ずしもそれが全ての子供に当てはまるとは言えないのです。
 どんなに治療をしても、延命が期待できない、完治は期待できない、治療には苦しみが待っていると知ったとき、緩和ケアに子供の残りの人生の輝きを託すことだってありなのです。

 緩和ケアは、何も大人だけのものではないのです。

 考えてみれば当たり前の事ですが、目からうろこでした。実際に紹介されたご家族も、地元の緩和ケア病棟で、 「子供を受け入れた事はない」と言われたことも言っています。担当した医師も「気が変わったらいつでも治療が出来る」という道も用意したままの緩和ケアだったようです。

 子供は治療するのが当たり前。
 
 ご家族が医療従事者から言われた言葉です。けれど、本当にそうでしょうか?頭でっかちな医療者の偏見だったりするのではないのでしょうか?確かに、治療するのは当たり前です。効果が出れば嬉しいです。その少しの効果すら放棄するのは勿体無いとは思います。
 けれど、どちらもの良いところだけをとる事が出来ないのなら、何かを犠牲にして選び取っていくしかないのです。そういう選択をさせるのが今の医療現場。治療効果を犠牲にしても、このご家族は「その子らしく生きる」ことを選んだということなのです。
 選択にどれが正解かはありません。『納得』するかどうかなのです。そしてその判断を迷いなく出来る情報を得られる医師と巡り合っているかどうかです。

 子供の章を読んでいて、不意に過ぎりました。

 いつもお世話になっている小児科の先生と以前話をしていたときの事です。

 何で小児科を選んだの?

 という話をしていたとき。

 何で医者になったの?

 という話をしていたとき。

 以前勤めていた大学病院はとっても忙しく、病状も重い子供が多かったと聞きました。先生の専門領域は、命と直結する領域なのは私も知っていて、兎に角兎に角、気が抜けない状況だった様子。


「子供は生きる、生き続けるのが当たり前だと思うものだからね・・・。」


 先生は忙しかった以前の事を微笑みながら話つつ、ふと笑顔に苦しい笑みを混ぜて一瞬視線を伏せ、私に対して言葉を選ぶように言いました。何と言ったら紛いなく伝わるのかな、そう考えた様子がよく分る口調でした。

 いつも笑顔で前向きな事を話す先生が、ふと落とした見たこともない表情での言葉。明らかに、言葉が間違った響きで伝わらないように、考えながらの事でした。

 その言葉が、私の心にすとーーーんと落ちてきたのを、今でも鮮明に覚えています。

 心の一番奥に、静かな水面に小石が落ちてきたようにぽとりと落ちて水底まで行き、ざわざわと水紋を広げていく感じでした。

 衝撃というより、自分の一番真っ白な部分に響いた言葉でした。
 今まで自分が一番無垢に信じていた事が、先生にとってどれ程重みのあることだったのか・・・穏かな言葉の裏の深い深い響きが、印象的でした。
 この言葉に、先生の今までの小児科医としての葛藤が見え隠れしています。守りきれなかった生命に対する先生の想いが込められているんだと感じました。先生はそのあと、いつもの微笑みを浮かべて、

「そういう子供が亡くなるんだから、親御さんはね・・・」

 と言葉を繋ぎました。繋がれた言葉は、ありきたりの優しさに包まれていて、きっと誰しも小児科医ならこういうだろうという響きに、口調は戻っていました。
 小児科医は子供も親も診るんだと誰かが言っていましたが、この先生が心底向き合っていたのは子供の命なんだなと感じます。親御さんの気持ち以上に、子供の命に心を砕いていたはず。
 だからこそ、一番にあの言葉が響いてきたのかもしれません。

 なんともない言葉の一つかもしれません。けれど、凄くすごく、私には意味のある言葉でした。子供だって死ぬんだと、漠然と生命の平等を感じたのです。生きていれば当たり前に大きくなっていくと思っていました。時に大きな病気をする事もあるかもしれないけれど、子供は普通大きくなっていくものだと。
 以前、うちの病院で先生が助けられなかった命に対して、自分を『まだまだ未熟だ』と私に吐露したメールの事も甦ってきます。
 
 生き続けると思われている、生きる輝きに溢れた生命が亡くなってゆく小児科。

 それは、成人の死となんら変わる事のない終末期。

 長さではない、「死」というエネルギー。

 先生の言葉は、感情を呼び覚ます前に心の奥へ落ちてきた言葉でした。私は医療者として、本当に「生命」と向き合う事が本当に出来ていたのかな・・・・そう思わせる言葉でした。恥ずかしさや衝撃、自らの未熟、そんな感情よりも、不意に突きつけられた真実に目を見張るしかなかった、そして夢中で掴んだ後に、湧き上がってくる不思議な感情・・・。

 この本を読んで、緩和ケアをわが子に選んだ御家族を知って、先生の言葉を思い出していました。この言葉が、そのままこの本に載っています。この言葉の真意を知っているご家族が、ここに居たのだと感じました。

 先生は何を思ってそう言ったのか、何も知らない私に小児科の現状を説明する為、言葉を選んでそう言っただけなのかも知れません。けれど、それは深い響きを持ったものでした。何気なくそうした言葉を選ぶ先生の、歩んできた道々の凄さを感ぜずには要れません。

 医者を辞めようと思った。

 そう、言葉が続くのは、仕方ない事なのかもしれません。けれど、踏ん張ってまだ小児科医をしている先生が、やっぱり凄いなと思う私なのであります。
 
 子供が生きて死んでいくと言う事、それはご家族にとって計り知れない出来事。闘病の間は、何が良かったとは誰にも言えない。その家族の葛藤を支えてあげられる医療であり、そして子供の終末期医療に寄り添える医療者でもありたいと思います。
 
 緩和ケア、ホスピスケア、本当に考えさせられる本です。

 そしてその都度、先生の言葉が思い出されるのです。

 子供に限らず。

 命は続くものだと、在るものだと、在って当たり前だと、知らず知らずに考えてしまう。

 それは、実は、とてつもない奇跡に満ちている。

 目の前で今子供がはしゃいでいる事も、

 隣でご年配の方がうつらうつらしている事も、

 計り知れない毎日の「奇跡」が降り積もった結果。

 死までの時間、そうして「奇跡」を積み上げて輝かせながら、私達は生きているんですね。

 長さではなく、輝きなんですね。

                     

 その小児科の先生に聞いた事があります。とってもとっても辛い事が多かった領域、命に直結して、死と向かい合う領域、なのにどうしてその専門領域を選んだの?と。

 先生は言いました。

「素晴らしい先輩がいっぱい居たからね。」

 即答でした。ん〜〜〜、と悩む事もなく、まるでその時私がそう質問するのが分かっていたかのように。

「専門を選ぶ時点で、すぐに決まったなぁ・・・。同期の他の人よりずーっと早かった。」

 現場で働く先輩方の姿を見、迷うことなくその領域を選んだといいます。今考えたらどうしてあんなに早く決まったのか分からないと言いたげでした。先生らしい・・・

「そんなに凄かったんですか?」

 と聞き返したら、そりゃ生き生きと返事が返ってきました。

「うん、何でも出来たし。救急みたいなものでしょ?そんな場面で迷わず動いていく先輩達が凄くてね。」

 そうなりたいと、思ったらしいです。

 素敵な、素晴らしい先輩達 今もその方々の事を「凄い人達」と言う辺り、やっぱりまだまだその領域から沢山のやりがいを感じているんでしょうね。この先生が誰かを凄いと思う位なら、本気で凄い先輩なんだろうな
 自分はまだまだだし、後輩は凄いやつばかりだし・・・なんて言いながら、少し淋しそうに笑う先生。本当だったらもっともっと、自分の思うままに飛び回って生きていく年頃なのに、何故か暗中模索。
 愚痴になると必ず

「自分が何がしたいか分からない。」

 なんて言う先生。そう言う反面、どこか答えを持っているような雰囲気で話すのを、私はいつも不思議に思いながら聞き、相槌を打っています。 「ゆっくり探し出したら?」と言葉を返しながらね。
 けど先生、実は自分の中に答えをちゃんと持ってる気がする。ただ踏み込めないだけなのかも。 (似てるかも、私と・・)

 その歩みを阻むものは、何?

 きっとね・・・・・自分自身・・・・って、分っているんだよね、先生も。

 このままじゃ駄目だって・・・。



 けれど今は、小休止、なんだよね



 自分で自分を支えられなくなるまで頑張っちゃうかもしれない自分に、気づいているから。その為に誰かを傷つけることを、恐れているのかもしれない。いつもいつも、何かを内に抱え込んでるような人だからなぁ、先生は。

 同じO型とは思えませんね・・・・

 私が曖昧すぎ?

 

  もうすぐ、先は見えてくるのかもしれません。



  神さま、

   先生の未来に、どんなに沢山の患者さんの看取りがあったとしても、

   どんなに沢山の苦悩や葛藤があったとしても、


   先生が医師で居る事を悔やむような事は起こさないでください。

   

    私が看護師で居る事を悔やむ事がないのと、同じように・・・


      

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