〜近畿☆瀬戸内☆うまうま交響楽団 ♪

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zoom RSS 在るという喜び。

<<   作成日時 : 2009/06/28 22:43   >>

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 忙しくしています。寝る時間を削っているつもりはないんですが、何だか何時も眠たい顔をしている最近の私。お陰で、アイシャドーの色がどの色もなんだか野暮ったく映えて、「生活に疲れた女」そのもの!!!!????
 私の目下の悩みである、

「独居老人孤独死、一ヵ月後に隣人が発見。」

 と、地方新聞の片隅に小さく載るんじゃないかと言う将来を、容易に想像できてしまう今の私だったりします。
 因みに、状況は簡単

 背景は四畳一間の築30年越えのアパートの、生活雑貨に溢れた炬燵の中。既にミイラのようにからからに乾燥した状態で見つかる訳です。
 部屋にあるのは小さな電気ストーブか、灯油のなくなった小さな灯油ストーブ。寒い寒い冬の事、死亡しても夏のように臭わないので、発見が遅れたというのが隣人の談。新聞も取っていなかったので、ポストに新聞が溜まる事がなく、郵便も来ない。独り身の天涯孤独で、もちろん尋ねてくる人もおらず、その頃には介護保険も民生委員も破綻。もともと心臓に持病を持っていて外出することもなく、最近では関節痛を併発して動く事もまま成らないようだった・・・。

 ・・・・さ・・・・淋しいけど、ありありと思い浮かぶんですが????

 行く先は無縁仏?まぁこんな風に、自分の老後の事はとてもとても心配ではあります。幾ばくか歳を重ねていることもあって、これからずーっと独り者なんかなぁ  と思ったりすると、余計 両親は大抵自分より早くに死にますし。あ、なんか心配に成ったらどんどんどん底へ行きそうだ

 随分昔という程ではないかもしれませんが、世論として社会的に独居老人が増えているというドキュメンタリー番組を放映していたのを、実はとてもよく覚えています。何年前だったかははっきりしませんが、ここ数年の話ではなかったはずです。幼心で見ていた気がしますし、まだ祖母が生きていて、一緒に住むって凄い事なんだなぁと思った覚えがありますから。

 その中で描かれていた老人は、一部屋にすべての生活用品が詰まっていて、台所と居間の炬燵を行き来するだけの生活。ご飯もしっかり作ることもなく、朝昼晩、一杯のお茶とパン一つ。そのパンも、6.7本のスティックパンが一袋に入った、ごくごく小さなもの。買い物に出るのはそのパンがなくなったときと、病院にいくときだけ。
 小さな身体をますます縮めるようにして炬燵に入り、たった一杯のお茶をすする映像を、私は子供ながら真剣に見ていた気がします。

 そんな将来が、現実のものとなる日が近づいているんですね・・・・

 別に自分がブルーだからという事ではなく、時々考えます。世の中たった一人で生活している老人の多いことも、分るからこそ余計・・・。前ほど言われなくなっただけで、一人暮らしのご老人は増えているんだと感じます。頼るところがない訳でもない人もいるでしょう。自分から若い人の世話になるのは気が引けるという方もいたりしますし。

 でも、誰かと話したり誰かと顔を合わせたりすることの大事さを、最近はよく感じます。こんな仕事だからこそというのもあるんですが、人は人と関わる事で人たりえるというところが、多少なりともあるんです。誰とも言葉を交わさず、誰とも笑い合うことのない一日ほど、淋しく悲しい事はないはず。誰かの格言で、「この世で最も悲しい一日は、一回も笑わなかった日の事だ」という風に言っていたのを思い出します。(詳しい言い回しは違ったかもしれないけど) 

 メールだったとしても、読んでホンの少しでも思いを馳せたり笑顔になれたりすることが出来ます。そこに感情の揺れを起こさせる事が出来る。けれど、たった一人ではそれも出来ない。テレビは一方的だし、メールだって送る人がいてこそ。 (そういって自分の行為を正当化することもあるメール魔ですけど・・・)

 そういう体験をしたとかではなく、今日は特にそんなことを考えます。

 日曜日の今日、用事があって道後温泉まででかけていたんです。その近くにあるお店にしかない品物に必要があって、買い物に出かけていました。日曜日ともなれば、相変わらず道後温泉は観光客が一杯 若い人達やカップルに混じって、お年を召した方も沢山います。
 若い人達と一緒に来ている人や、リタイアされたご夫婦の様な方、老人会でのお仲間さんのような人達、そんな中に混じって、地元のご老人の方たちの姿もちらほら

 皆、楽しそうです。若い人達に気を使われながらのお年寄りの方々も、それはそれで楽しそう。笑顔でいるし、お店に並んだ一つ一つに興味深げに見入っていたり、お孫さんに品物を選んであげていたり、本館に手を繋いで入っていったり・・・

 って、凄いなと思ったんです。それが血縁で結ばれた絆であったとしても、「好き」という愛情で結ばれた絆であっても、「友情」で結ばれたものであったとしても、手を取り合って笑い合えるって、凄くすごく大事で大切なんだなって。
 きっとね、私が今日一日誰とも関わらずに一人で自分のやるべきことをこなしていた、それだけの日だったからだと思うんです。昨日とか一昨日とか、誰かと一緒のときはこんな風に考えないものですから
 
 誰かと自分が絶えず繋がっているって、いつも感じるものではないけれど、そこに生まれる安心感って凄く大きなものだと感じます。メールをして返事が返ってきたら安心するのと同じ。気付いてくれて、読んでくれて、それに対する反応があったというわけですから、それが「つながり」。頑張らなくても、繋がってる縁があるってことが、こんなにも大きな安心感をくれるんだなと痛感することしきりです。

 道後温泉でそんなことを考えていたら、当然のように、この松山のどこかにいる彼の人を思い出しました

 あの人が私の近くで仕事をしていた2008年、そこにあの人が居ると感じられていた日々のあの安心感を、今更ながらに凄く大切なものだったんだと感じます。この手に取りこぼして、安心しきっていたのが勿体無いくらいです。
 今、どこにいるかも分からず、元気でいるかも分からず、引いては生きているのかも分らない毎日を過ごしながら、不安定な気持ちのどこにも、あの安心感がないことに気付いています。

 何がなくとも、ただそこに居ると感じられる事の素晴らしさ。

 きっと、そば居る人には感じないことでしょう。帰ってくるのが当たり前の「我が家」に集う人たちは、ただ居る事に安心すると心が感じる事は少ないかもしれません。それは醸し出される安心感に慣れてしまっているからなんでしょうね。心地よい、気持ちのよい慣れ。「お帰り」というのが当たり前で、「ただいま」というのが当たり前。

 その「当たり前」の素晴らしさ

 こんなことを考えるのは、私の気持ちがただ辛くて揺れているからなんでしょうけど。
 帰っていく家に明かりが灯されていることもまた、帰っていく人の安心。

 君がいる ただそれだけの 幸いや

      季語なし

 道後温泉公園正面に立つ、正岡子規の記念館には、毎月それぞれ季節にあった俳句が掲げられています。それを信号待ちに詠みながら考える、私の素人季語なし5.7.5。思いつくまま

 君のまま 向日葵の如 前を向き

 福山から愛媛への道すがら、暫く前まで美しく燐と咲き誇っていた葵に変わり、向日葵が咲いています。大きな葉に太陽の光を浴びて、黄色い花びらを一斉に、自分が信じたものの方へ恥じることなく向けて咲いています。

 正義感が強くて、駄目な事には駄目だと歯に衣着せぬ言い方でいったり、理不尽な事に面と向かって文句を言ったりすることもある熱血漢の彼の人の事が、真っ直ぐ前を向いて咲く向日葵に重なります。
 きっとそうした自分の性格で、彼が苦労している事もあると思います。それを理解してあげられる人が、側にいるといいですね。彼を否定しないで、全てを受け止めてあげている人が、いるといいな。

 私がそうであるように、彼の全てにYESと言ってくれる人が、側にいるといいな。
 私にはできなかったけれど、彼の全てにYESと伝えられる人が、居るといいな。

 大丈夫だと言って励まし、抱きしめて暖めてあげられる人が・・・
 真っ直ぐ前を向く彼の中で、膝を抱えて蹲っている彼がいることに、気づいてくれる人が・・・・

 誰でもそうであるように、人は何時も強い訳じゃない。いつもいつも頑張れる訳じゃない。毎日毎日元気なわけじゃないし、いつもいい人であれる訳じゃない。けれど、向かい合う人は決め付けてしまいがち。

「この人はこうなんだ」

 と、決め付けてその色眼鏡でいつもいつも人を見てしまう。自分の気持ちには考慮があるけど、その決め付けのレッテルが気持ち一つで剥がれたりすることはない。
 何も言わないけれど分かってほしいこと、強がりいってるけど気付いてほしいこと、私にも一杯あるように、誰にだってあるはず。

 その言葉の裏に、何が隠れてるんだろう?
 何を思うんだろう?

 なにを、伝えたがっているんだろう?
 何に、気付いて欲しがっているんだろう?
 なんと、言って欲しいんだろう?

 何に気付いてあげたら、心の枷が取れるんだろう?


 考えすぎて、何も出来なくなるけれど
 
 一人暮らしのお年よりも、決して一人がいい訳じゃない。気付いてほしい色んな事、きっと一杯ある。強がり言って頑固にしてても、その裏に必死に隠している寂しさがあったりするんです。

 自分が強がり言う時、自分が無理に笑うとき、不意に感じる色んな想いです。



 正直言えば、我侭のように本当を言えば、何も考えずに醜いくらいに素直になれば、

 とてもとても、

 すごくすごく、

 哀しいほどに、

 淋しいほどに、

 馬鹿馬鹿しいほどに、

 まだ彼が大好きで、

 まだまだ、何よりも何よりも、私にとって、

 彼は、大切で大切で大事な人なんです。


 今伝えられるなら、「愛してます」といえるかな・・・・
 「好き」ではなく、そこに生きているだけで喜びとなる程の想いが「愛」ならば。


 叶う事のない、憂鬱です

                          

 人とのつながり、人との縁・・・

 賑やかな松山で、どこかにいるはずのあの人を思って泣けるのは、今私の気持ちがどん底だからではないんです。穏かな気持ちで不意に涙が零れるのは、こんな全ての素晴らしい「今」を置いて、私の未来がこの先別の所へ続いているかもしれない選択肢を与えられたから。それは、嬉しいはずの出来事。

 海外青年協力隊、一次選考に合格しました

 こんな私でも、良いと言ってくれたんです。まだ二次選考があるので、そこで篩いにかけられることの方が容易に想像できますが(英語、からっきしだし!!!)、送られてきた書類を読みながら、この「合格」の言葉の先が、ここではないどこかへ続いている事を感ぜずにはいられません。

 ここではないどこか。

 松山でもなく、福山でもなく、岡山でもなく、東京でも、大阪でもなく・・・

 まだ知らない、未知の場所。

 痛みも悲しみも、今と同じ位存在する、人の息づく場初へ。
 

 応募の際に覚悟していたけど、急に目の前に突きつけられた気がして、今日は見知らぬ人達の人込みを見つめる気持ちが変わっていくのを感じました。笑い合い、手を取り合い、知らぬもの同士なのに背を向けて通り過ぎながらもそこに何故か漂う一体感や、オーラの重なり。不機嫌でなく、棘もない、柔らかな賑わい。穏かな時間の流れ。この連帯感と、かわらず続いていくだろう「悠久」の感じ。それは、日本が持つ「縁」や「つながり」の感性。


 私、松山が好きだな。

 どこかに彼がいる、松山が好きだな。

 友達や同僚の居る福山が好きなんだな。

 大阪や東京や、北海道や、私に繋がる全ての人が居るそれぞれの街が好きだな。


 私、日本が大好きなんだな・・・


 君がいる ただそれだけの 幸いを
           朝の匂いに 夜の響きに

                by うまうま

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伊予鉄道後温泉駅より・・歩いて3・4分!道後グランドホテル / 愛媛県
[:嬉しい:]何してるの? ...続きを見る
人気旅館&ホテルに宿泊しちゃうよ
2009/06/30 14:27

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