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zoom RSS 歴史は続いていく。

<<   作成日時 : 2010/08/15 23:06   >>

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 ブログを始めて考えてることをいろいろ書く機会ができるようになって、広島にいるんだから絶対8月6日はちゃんと戦争について書こう、と思っていたけれど、今年はそんな余裕もなく現在、8月15日。日本の終戦記念日です。

 今年は戦争終結65年目。

 キリがいいというだけなのかわからないけれど、今年はよく特番が組まれています。NHKなどでは大概毎年独自の視点でドキュメンタリーや特番をしていたりするのですが、今年私がよく目にするのが、池上彰さんの解説もの。それも、「戦争」という形でとらえたものであり、決してhiroshimaだけじゃなく、原爆だけじゃなく・・・。つまりは、全世界的な視野での『戦争』なわけです。

 広島で育って、子供のころから8月6日が何の日であるかを知ってきた私としては、「戦争」が簡単なことでないことは知っています。おそらく、そういう教育姿勢があったからこそ、戦争がどんなものであるか、たぶん同世代の人たちよりも広島で育った人は視点が違うと思うんです。それがどういうことか言葉にはできないけれど、広島で育ってきた人は『戦争』に対して敏感なものです。

 確かに始めの頃は『悲劇』一辺倒だったかもしれないけれど、大人になり視野が広がるにつれ、世界における日本の立場や位置づけの歴史を知るようになり、原爆に必要不可欠な部分もあったのではないかという見方もできるようになり、被害者であり加害者であり当事者である日本の『太平洋戦争』を、色んな視点で総合的に考えることも可能になりました。

 池上さんの解説の良いところは、わかりやすく噛み砕き、事情や状況が横軸にも縦軸にも理解できる所。それだけ池上さんが多面的な見方をし、考え方をし、とらえ方をしているという証です。つまり、とてもとてもグローバルな視野の持ち主で、きっとそれは頭の良さだけじゃなく、感性や平衡感覚も優れているんだろうと思うところ。彼にかかると全てが『なるほど!』と思い、すべてがつながっていることがよくわかるんです。歴史に切れ目はないものです。

 『戦争』と聞けば、第二次世界大戦、太平洋戦争と私たちはとらえがちですが、この世界にはたくさんの戦争があり、起こり続け、終わらないでいる。

 スペシャル番組の中で、「戦争は終わらない。」と言っていたけれど、本当。始まってしまった戦争はどう終わらせるのかではなく、もともと終わらないんです。終わりまでのカウントダウンをするものではなく、時間を積み上げるだけのもの。

 それは、hiroshimaが身をもって知っていることです。終戦記念日が何度訪れようが、何度夏が廻ろうが、何度となく終戦宣言が繰り返されようが、終わらない。決して終わることがないのが戦争。

 命のつながりのように、始まってしまったら終わることがない。(絶滅ってことはあるか・・・) だとしたら、第一次世界大戦だろうが、日清戦争だろうが、日露戦争だろうが、今だ終わってはいない。どんな戦争も、勝とうが負けようが、人々の歴史に残り続け、そのまま国と国とのしがらみとして残り続け、いさかいを生んでいく。

 今年の特番でそれが痛いほどわかります。
 
 むしろ負けてしまった方が・・・・・なぜかそう思います。戦争に勝った負けたもないのかもしれないけれど、負けてしまった方がよくわかる痛みというものもあります。勝ったからと言って喜べるものでもないのです。

 終わらない。

 終わったと思うのは、自分の気持ちだけなのです。個人個人の『忘却』の中に終わりがあって、思い出されるとき、「終わっていない」ことを実感するのです。

 あの原爆投下から、たった65年です。私たちの平均寿命よりも随分短い時間です。戦後30年で私は生まれ、たった30年の時間で私は『戦争を知らない世代』と言われるようになりました。

 昭和25年。

 父も母も生まれています。体験や記憶こそ少ないものの、戦時中を生きているのです。

 戦後65年は、長いでしょうか? たった65年です。
 その中で『忘れられる』ことが、『終わる』ことがあるのでしょうか?

 繁栄と成長の中で、風化し、出来るならと『忘却』に持っていこうとした戦争の記憶は、何度でも顔を出します。

 以前、『知らない』ことへの恐れを書いた気がします。けれどこうして巡る8月の暑い日をむかえていると、知識として知らなくとも、伝える知識として持っていなくとも、私という人間を取り巻く環境や遺伝子、人類の歴史の中で、私は戦争を知っている気がします。
 テレビの中から何度でも繰り替えし流れる映像で見た湾岸戦争も、私が生まれたとき、実際に続いていたベトナム戦争も、将来の希望に胸躍らせていた時代に起きていた特番で取り扱っていたボスニア・ヘルツェゴビナの内戦も・・・。

 人類は、戦争を知っている。けれども誰も終わらせることができない。

 風化、忘却の恐ろしさ。

 この身一つでしか感じられない戦争。
 私は確かにそれがなんであるかを知っているのに、たぶん誰しもそれが何があるか知っているのに、誰にも伝えられない。体験として言葉にできないから、そして実際に知らないというハンデがあるから、知っていても伝えられない・・・。何を伝えていいのかわからない。だからおざなりの言葉になって、説得力がなくなる。「知らない」って言葉の中に、単純な意味とは別に、そんな意味も含まれています。

 そして、知っているのに止められない。止める術を持たない・・・。

 そんなもどかしさを感じながら、特番を見ていました。


 
 番組の中での、ボスニア紛争を扱ったドキュメンタリーでは、長谷川京子さんがレポートを担当していましたが、彼女も同じもどかしさを持っているのかどうかはわからないけれど、言葉が安易でどことなく伝わりにくいところが正直。かと言って私が行ってどうこうできたわけではないけれど、もっと大きな視点で伝えてほしかったな・・・と思うところ。

 たった65年です。
 ボスニアは、たった15年です。

 15年で何が変わりますか?

 15歳の子に何ができるかと考えれば、希望を持つことです。
 目標を持ち、努力する楽しさを知るときです。
 けれども、何かをなす為にある力ではないのです。
 何かを忘れるために、終わらせるためにある希望ではないのです。

 65年で確かに広島は変わりました。
 戦争を知らない世代が育ち、流行を追い、音楽にふけり、芸術を愛する街になりました。
 
 けれど、広島が戦争を忘れたわけではなく、広島の戦争が終わったわけではないのです。慰霊者名簿に名前が書き続けられる限り、平和の灯が燃え続ける限り、おそらく原爆ドームが崩れ、風化し、跡地に草花が生い茂ったとしても、その広島の戦争は終わらない。
 なまなましくそこにある廃墟や銃弾の跡だけに『悲しみ』が残っているわけではないんです。そういうものを見なくとも、私たちは根本にそれがなんであるかと感じ、知ることはできる。そういうことを、きっとずっと感じたはず。それを伝えてほしかった・・・そう思うのは、私だけかもしれません。ただ、言葉にはできないものなんでしょうけれど・・・。

 私と彼女は数年しか離れていないはず。ふと思うのは、広島で育つということは、こう言う事なのかなと・・・・東京で育つって、こう言う事なのかなと・・・なんてことまで思うわけです。多分、番組としても母としての視点を大きく取り上げたかったのかもしれませんね。そういう取り上げ方になっていましたし。
 「幸せである」ということは、実はとても残酷な一面を持っているものです。海外ドキュメンタリーって、日本人の『幸せ』は、世界にどれほどの残酷さで笑顔を振りまいているのかと、不意に思ってしまったりするものです。




 大切なものを失う・・・その悲しみがあるのに戦争をするのか?

 長谷川京子さんが言った、とても印象的な一言。
 あぁ、そう問うのか・・・・そう思う一言。
 誰にも、答えが見いだせない一言。
 晴一くんなら、なんと答えるのだろう?
 なんと答えて、彼女を納得させるのだろう?
 最愛の人のあの涙を、拭ってあげられるのだろう?

 そして、あなたの最愛の人は、なんと答えるでしょうか?


 戦う者たちは、その大切なものを守るために前線に向かうのではないでしょうか。
 これは、戦争の大きなジレンマ。
 答えにはなっていない、私の考えです。

 自分が怖いからと言って引っ込んでいては、自分の守りたい大切な人たちを守れないから、戦地に赴くしかないのです。それは、家族であったり恋人であったり、そして大きくは国家であったり、世界であったりするのです。

 大切なものがあるからこそ、戦える。
 大切なものがあるからこそ、戦いは悲しい。

 優先させるべきものは、どちらでしょう?

 大切なものがあるからこそ頑張れるのだという現代の人々のそれとは少し違う、それが『戦争』における『大切』という言葉の意味。

 その人のために命をかける。
 かけるのではなく、捧る。
 その人のために、命はあるのだと言える。

 そんな「信奉」が、勇気の源。
 親のため、子供のため、愛する人のため・・・。


 だからこそ、『悲しい』。




 だからこそ、たった65年では終われない。
 その思いを、65年で終わらせられない。
 未来永劫続いていくその思いが、戦後の力。

 きっとずっと、命が続いていく限り、8月は語り継がれる。
 それがどんな形になるかは、選べないけれど・・・。

 

 そしていつか誰かが、また繰り返そうとする。
 きっとまた、繰り返す。



 その時世間がどう動くか、それは、今どう伝えるかにかかっているのかも知れない。
 


 憲法9条が書き換えられる日。
 
 その日、出来るなら私は、この生命の星を遠くから眺める、魂でありたい。
 生きているうちにその日が無いよう・・・。


 それが例え、形だけだと言われようとも・・・。

 8月15日。
 
 太平洋戦争の象徴的な一日。
 もう8月6日では語れない、『戦争』の事。

 

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