〜近畿☆瀬戸内☆うまうま交響楽団 ♪

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zoom RSS 感性の違い?感覚の違い?

<<   作成日時 : 2011/10/12 03:55   >>

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 行き倒れ生活から抜け出せない毎日のうまうまです。
 こんばんわ、というよりおはようございます?

 市場の人ならもう起きてるわ。
 競馬の人なら起きてるわ。
 牧場の人なら起きてるわ。

 で、今から寝ます、うまうまさん。おやすみなさい。

                  ♪

 寝る前に一言かいてねろや、こら!

 というお叱りの元(心の親分)、最近の行き倒れ生活を文にしたところで、「そりゃ怠惰」と言われかねないのでありまして、何を書こうかなぁという毎日です。(毎日ブログ書いてねーし。)

 今日、久しぶりに一日椅子に座った生活をしていて(簡単に言えば研修)、

「おケツが平たくなっちゃった〜」

 と同僚と笑いあっていた昼間。お陰で帰って行き倒れた次第。

 看護師と言えば、どっちかってーと体力仕事。炭鉱のおじちゃんと同じ。
 国家資格だし、看護は科学だし、観察だし、頭必要だし!と言ったところで、現場は体力仕事なのです。身体あってなんぼの世界。身体が資本の体力仕事。農業とか漁業とかとは違う体力仕事だけど、林業とか鉱業とかには似通っているなぁというのが私の感覚。

 いえ、看護を語るのではなく・・・。

 うまうまちゃんって、結構なお年頃だし、現場じゃお局だし、小言うるさいし、そんなうまうまちゃんが大人しく研修受けるってどんな研修何?って、大層な事を考えるまでもなく、私ってばどんなに年取ってても身体のみ(横に?)成長してても、転職っチューものをしてるので、キャリアラダーTに帰り咲いているのですよ。咲いてないけど。枯れてるけど。いや、萎れてるけど。

 キャリアラダーという考え方は、私さっぱりちんぷんかんぷんなので、上に上がりゃいいのね、ってな感覚。この考え方は看護師だけではなく、現場の教員過程でよく使われることだから、ビジネスマンの人とかでも知っているのではないかな、と思います。
 最近、看護管理って経営学みたいなところが大きく、医療もサービスって事なんですよね。

 ラダーTと言えば、うちの病院ではほぼ新人レベル。

 まぁ、私ってば新人さんなのね!

 と目をキラキラしたところで実はそんなに嬉しいわけでもなく・・・。そりゃそうです。この間まで看護学生で、仕事して数か月の人と、十何年前に看護大学卒業して、酸いも甘いも経験し、いじめいじめられも経験し、いびり・いびられも経験したお局うまうまと、同じラインっての、微妙に喜べない。

 私の持論として、自分のレベルを上げたいなら、自分よりレベルの上の人と接する、話する、議論する、経験する、というのが大事だと思っているのです。

 研修と言うからには、自分の糧にしたいもの。

 けれど、周りを見渡せばはるかかなたまで





 つやつやお肌のキラキラお目目。
 すっぴん上等。





 の新人さん。または2年目さん。
 こりゃもう、悟りました。

 もう、自分が成長するっていうのに誰かの助言をもらおうなんてことはできない年になったのだなぁと・・・・。下のこの経験や、考えや、接して感じたことから、この子たちを成長させるために自分がどう動くかってことが大事になって規定、そのために必要なことは自分で見出し、考えていかなければならないという事なんだなぁと。


 年取るって、経験つむって、損だなぁと思う。
 自分の目線を下げて、考え方を変えて、この子たちに同調して成長させていくために、自分が変わらなければならないと、自分が流動していかなければならないなんて。
 そうして自分も大きくなってきたような気がするけど、いつも先輩って何ぼも前にいて、ここまで来ないと知らない、見たいな感じだったから、「はい、がんばります!!」って必死だった様な気がするけど、時代って代わるんですよね。今の子たちは先輩や上司の方から階段を下りて行って、ついてきてるか振り返りながら、自分が昇ってきた階段を手をつないで引っ張って登らせなければならない。
 しかも、その会談が途中で止まってしまわないように、自分の階段をどんどん上へ積み上げていなねばならない。

 自分の成長の為と、教育のため、登ったり下りたり、積んだり伸ばしたり・・・だから教育って難しいし、私は苦手だよ・・・。




 ラダー的には同じレベルだけれど、仕事の立場も内容も全然違う人たちと一緒に話をしていて議論の内容っていうのがまた

「・・・・・・私にどうしろと?」

 という内容。周りの可愛いばかりの看護師さんは一生懸命うねうねしながら考えているのに、擦れた私は

「そりゃ意識の問題じゃね?」

 と思う始末。
 
 私がグループワークで組んだ人達は、大概2年目ナースさん。新人さんが4月に入って、一つお姉さんになった立場の看護師さんで、12月までにはリーダー業務が始まろうかという人たち。

 しかし・・・

 話を聞いていたら、まだ「自分」で精いっぱいの様子。周りの教育係の人たちは、「一年目の時よりも、技術ばかりでなくまわりも見れるようになったね。」などと言う親身な美しいアドバイスをくれていたけど、実際話をしていると、まだ精一杯で・・・というし、聞いてみると担当患者さんには出来るけど他の人には無理、とかもあるし。

 でも、2年目。もうすぐ三年目。

 リーダー業務をしている私としては、10年目選手の私としては、成長がのんびり過ぎるような気がしないでもない。これって昔の考え方なんだろうけど、もうこの頃って、自分以外の人たちに目を向けたりするのはできていて欲しいもの。
 凄く引っかかったことなんだけれども、自分の担当患者さんを持っている位なんだから、自分がどんな看護をしてあげたいかって気持ちはちゃんと患者さんに対して持っているはず。それを簡単に

「看護計画。」

 と表すことが、何となく「ん?」って思ったりする、古い私。

 だから暗に少し高度に、こうなって欲しいなぁという事を

「私は、メンバーみんなそれぞれの、担当患者さんに持つ『こうしてあげたい』という看護観を尊重した継続看護が出来るようになりたいし、そうしてほしいと思う。」

 と言ったら、

「それって、その人の看護計画をちゃんと知るってことですか。」

 と言われた。

 ・・・・・なんとなく、意味が違う。
 
 けれど、こういう事って、中々今の新人レベルの子には通じない事だったりします。
 2年目って言ったら、もう新人さんって言ってられない。一年目にも教えてあげなきゃいけないんだし、もう一年(正確には10月だからもう追加半年以上。)働いているんだし、今更そんなこと言ってたんじゃ、少し遅くないでしょうか?という気分だったりする。

 その人の看護観。

 たとえば技術だったり、ルールだったり、そういったものを覚えたり勉強するのは、得意だったりするのです。書いてあることを覚えて、実施して、出来た出来ないって一喜一憂する、それが経験になる訳だから。けれど、看護で一番大事なのは、看護哲学だったり、看護観だったりっていう事を、最近はあまり教えてくれる上司が少なくなってきたのです。
 何をしたいか・・・どうしたいか・・・それがないと、結局技術屋さんでしかない。点滴して、検温して、報告して、観察する場面でしかない。

 けれど、そういったものは言葉で教えられるものではなく、一人一人の考え方だったり、育ってきた環境だったり、価値観だったりと言ったもので決定づけられるもの。こういったことを勉強したり、培ったりするのが、最近の新人さんは苦手の様子。自分の言葉で語る事はできるけれど、お仕着せのような教科書の言葉、丁寧なきれいごとでしかないような気がしたりする。確かにそれを実践する凄い子もいるわけだけれど。

 最近の…といえば凄く変な言い方だけど、そういう教育なのか、そういう躾なのか、体裁ばかりで土臭くない。丁寧な事を、綺麗な事を言っていたら受けがいい、面倒くさくない、という点もあるんだけど、そればかり考えているわけじゃ無いんだろうけど、本当にあなたの言葉なのかなって思う事もいっぱいある。

 経験がある分、

「あなたの言ってるそのことって、実はものすごい事なんだけど、分かってる?そんな凄いことを簡単に言って、出来るの?」

 と、嫌味のように言いたくなることもある。
 というくらい、凄く難しくて大変な事をさらっと言って、実はそれが蔓延したりしている。

 ・・・・話が飛んだ気がするけど。


 看護観、看護哲学を持て。


 とは、私が大学時代から叩き込まれていたこと。自分の信・芯を持っていないから、いろんな場面でグラつくんだろうと思う。まぁ、私の年になると看護観で悩むより、看護観と現実のギャップに悩んで存在意義が分からなくなるという事の方が多いんだけど。

 もったいないなぁ・・・・と、毎回新人さんと話すと思う。まだ凄く柔軟で、吸収できる時期に、看護計画だの技術だの、カンファレンスだの、職場の人間関係だの、そんなことばかりに気を取られて。
 患者さんの意識もまた変わってきているから、同じような対応はできないんだろうけれど。

 私の時代は、良かったんだなぁと、いい時期に育ててもらっていたんだなぁと、今更ながらに思います。この短気で面倒くさがりな性格なので、中々それを後輩にフィードバックできていないのがいけないんだろうけど。

 何かが違うなぁと思っていた時、ふと思い出した患者さんが居ました。

 もうきっと、申し訳ないけれどこの世にいらっしゃらないかもしれない、末期がんの患者さん。
 私の、担当患者さんでした。

 看護師になって4年めくらいかな・・・。その時にであった患者さんで、部署のローテーションして何人目かに受け持った患者さんでした。当時は結構適当に受け持ち患者さんが割り振られていて、休日から出てきたら入院していた患者さんが割り振られていた、という感じの患者さんだったと思います。これと言って特別な事は何もない患者さんでしたが、一つだけ、個別の事情を持っていました。

 それは、癌告知をしていない、ということです。

 今でこそ告知の方向へ皆が向いていますが、当時告知するかしないかはご家族の判断によるところが大きかったと思います。本人がどんなに希望しても、ご家族がうんと言わなければ告知されなかったことも多くあり、逆に石の現場では「告知するという事は医師の負担減らしだ。」と言われたこともありました。その後、インフォームド・コンセントが進み、患者さんの意識の変容もあり、また告知して病気を受け入れた状態でないと耐えられない抗がん剤治療などの影響もあり、ほぼ全てのケースで告知が知られるようになりました。
 医療者にとって、以前は癌告知するという事は今ほどサポートがなく、医師一人で患者さんのすべてを支えなくてはならないと言った感覚が大きく、告知しない方が楽、というイメージもあったほどです。

 けれど、患者さんのそばでケアする看護師にとっては告知した方がずーっとやりやすくなるのに、というケースも多くて(結構、ベッドサイドで誘導尋問を受けたりしました)、私的には告知されていない患者さんの方が本当にケアに気を使いました。

 という訳で、その時持っていた患者さんは、告知されていない患者さん。

 瞬間、「あぁ、大変だな。」とおもったと思います。

 数日間は、普通に接していたと思います。患者さんのペインコントロールも上手くいっていたし、自分で何でもできる人だったし。退院してからの生活の話を少し突き詰めて話したくらい。告知されていないにもかかわらず、大きな手術を数回受けていたので、その時どんな話がされていたのか、どこかに記録があればやりやすかったのですが。

 転換期は、ふとしたことで起きました。

 もともとの癌治療をしていた前医に、経過フォローのため受診した時の事です。もともと定期的な放射線治療をしていた患者さん。そこまでしていて告知していなければ、患者さんは自分の病気をなんだと思って理解しているのだろうって、凄く不思議に思いましたが、当時の私にはそういった詳しいことを聞く勇気も心配りもないままでした。

 入院中の病院から、別の病院に、明日受診に行きます、というときの事です。
 前の勤務からの申し送りで、

「少し、気分が落ち込んでいるよう。」
「何となく変な感じで、あまりベッドから動かないし、意欲がない感じ。」

 と言われ、どうしたんだろうとベッドサイドに行くと、

「明日病院に行く。」

 という話に。
 ひとしきり、受診する予定の病院の事を話されたのですが、矢張り少し心ここに非ずと言う感じです。

「もしかして、向こうで少し入院が必要かもしれない。」

 患者さんはそう言います。

「そんな風に言われたの?」

 と聞くと、身体の調子が少し悪いことを、主治医に報告して、その旨の紹介状があるとのことです。現在こちらの病院に入院中だったので、どうなるかは受診先の病院の判断待ちです。

 ふと、患者さんがベッドに横たわったままごろりと体の向きを変えて私に向き直り、言いました。

「家のもんが、心配なんよ。」

 家の者・・・・と言えば、ご主人さんの事。
 頻繁に病院にも面会に通われ、身の回りの事もてきぱきとしてくれ、そして、告知しないでくれと医師に頼んだご主人さんです。

「あの人ね、何にもできん人じゃったんよ・・・。」

「そうなん?今は凄く親身になってくれて、えぇよね。」

「うちがこんなになってから、色々やってくれるようになったんじゃけどね。」

 ・・・・こんなになってから・・・
 いままでは何もしなかった旦那さんが、病気をきっかけにかいがいしく世話をしてくれる・・・それは凄く素敵な事のように思えますが、どうでしょう?

 この患者さんには、申し訳なさでいっぱいだったようです。
 旦那さんに『させてしまっている。』感が、罪悪感となり、そして・・・



「・・・・うちがおらんようになったらと思うと・・・・」 



 あ…!

 私、思いました。

 この患者さんは、ご自分の事をちゃんと知っているのだと。そして、ちゃんと向き合っているのだと。




「うちな、もうすぐかもしれんじゃろ・・・・。じゃけぇ、何でもできるようになるのはえぇんじゃけど、うちがおらんようになったら、どうするんかなぁって。今も何にもできんけど、一人になるけぇ…」




 ここで私、否定するべき?
 肯定するべき?
 どこで言葉を返すべき?




 どう、かえすべき?




 ・・・・実は、あまり、悩みませんでした。


 この人は、知っているのだ。それがどこか、不思議と理解できました。
 その事実とこの患者さんに対して、「告知がない」ということがどうして重要な事だろう?

 「人は、告知しなくてもおのずから自分の病気を知るものだ」、とは、妻をがんで亡くした医師の書いた手記の内にありました。だから、告知などしなくてもいいのだと。自分の態度、家族の態度、医師の態度、周りの空気、そういったもので自然とゆっくり知っていけばいいのだと、その人は言います。

 おそらくその患者さんは、癌ではないのにずいぶん辛く難しい治療であることや、突然の旦那さんの献身的な介護、辛くなる痛みや体調など、そういったもろもろの事で自分の命の事を感じたのかもしれません。
 そして、旦那さんが頑なに告知を拒んでいることも、気づいているのかもしれません。

 どこでどんな風に知ったのか、それは聞く余裕のない事ですし、聞く必要のない事です。



 否定も、肯定もしない。



 それが、患者さんの安寧だと思いました。今、病気の事や症状、痛みに寄り添うのではなく、「自分が居なくなった後の心配」に寄り添う必要があるのですから。

「身体の痛みと同じくらい、痛い心配だねぇ…」

 もしかしたら、患者さんは自分の病気の事について、命の期限の事について私にこっそり聞いていたのかもしれません。
 
「○○さんが旦那さんを心配しているように、きっと旦那さんも○○さんを心配しているから、いつもより頑張ってるんだよね。お互い様だねぇ。素敵だねぇ。」

 そんな感じで返したかと思います。
 でも、その時患者さんが泣いていたのは覚えていますが、二人で旦那さんの話をして、泣きながら笑ったのを覚えています。

 とにかく、受診する病院で何を言われるのかが、どう診断されるのかがとても不安で不安で仕方なかったようです。自分の命が今よりもっと短くなるようなことがあったら…それが心配なのです。

 私は、この患者さんが病気の事を知っていること、実はスタッフには最後まで話しませんでした。「告知未」のまま、別のスタッフがこの患者さんにどう対応していったのかは知る由もないですが、カンファレンスにかけたとしても、問題の少ない患者さんだったので、スタッフも『手のかからない』という形容詞で表現していた患者さんでした。

 凄く普通に、ごく普通に、自分の病気を知っていること、命の期限が迫っていることを知り、穏やかに私にそのことを伝えてきた患者さん。そして、それは公言してほしくない二人の秘密のようなものに育っていたのを覚えています。

「向こうの病院でしっかり診察受けて、帰ってきてね。待ってるからね〜。」

 と、帰り際に手を振りあいました。何といわれようと、同診断されようと、ここはあなたを受け入れるのだと、その不安ごと、「告知未」の演技をつづけながらのあなたを支えるのだと、そう伝えたかった。
 そして不意に弱音を言いたくなった時、担当看護師としていつでも傍に行くからと、あなたの思いはちゃんと知っているからと、伝えたかったし、伝わったかな…・。

 その時の対応が良かったのか悪かったのかはわかりませんが、今の新人さんと話をしていると、こういう経験をすることが少なくなっているのかなぁと思ったりします。
 そういう面では、患者さんにたくさん勉強させてもらっていました。

 看護観は、こういう場面で自分がどう動くか、どう感じてどう看護するかにかかってきます。そう思います。

 他の人の看護観では、カンファレンスに上げて「実は知っています。」っていう事が討議されたりするかもしれませんし、退院後の夫婦の為に何かしらの調整をしたかもしれません。

 でも私の看護観では、この夫婦に対して、何をする必要もないと思いました。
 お互いがお互いを心配し合って支えあっているのですから、患者さん自体の罪悪感を取り除いてあげれば、全く心配する必要のない事です。お互いが重すぎる荷を負ったのではなく、自分が好んで負った荷物を、愛おしむように抱きかかえているのです。それをわざわざ支えましょうと言う必要があるのでしょうか。

 その後、受診から帰ってきた患者さんを迎えると、すっきりした顔でした。

「おかえりなさい、疲れたでしょう?」

 と声をかけると、 

「疲れた〜。早々に主人には帰ってもらったわ。」

「どうでした?」

「うん、まだ大丈夫って。」

 ・・・・・色んな意味での、『大丈夫』でした。

「ホッとした?」

 思わずそう聞くと、

「そうじゃねぇ…。でも主人にはまだ色々教えとかんといけんわ。」

 と笑います。

 看護観・哲学・・・・そんなことを思うとき、取り立てて共通点をはっきり言えるわけではないけれど思い出す、この患者さん。たった一言を受け止めただけの看護だけど、確かに受け止めて、確かに受け止めましたと返せた症例。本当に秘密のように、其れからは何事もなく過ごしたけれど、告知するかしないかと言う議論がとても馬鹿らしく思えたのもこの方の存在ありきでした。

 その人を大事にするという事と共にその人の背負う荷物も大事にする、そういう看護でありたいと思いました。
 

                  ♪

 じゃあ、私の看護観を言葉にしろ、と言われれば、しどろもどろになるかもしれません。伝えたいけれど言葉に出来ない思いです。
 看護を楽しむというよりは、味わう・・・・。そんな看護でありたいなと思うのです。

 そしてそんな経験を、たくさんたくさん新人さんにはしてほしいし、その一つ一つが、まだ2年の経験を持て余している一人一人に、肥やしになればいいなと思うのです。

 自分で精いっぱい・・・・2年の経験でそれですか? と思ってしまった研修で、私ってば実は患者さんにも恵まれていたんだなぁと思ったわけです。
 最近の若い子の成長って、本当にゆっくり。水も土も日当たりも、全部全部考慮してあげないといけないし、そのために階段を下りて行かなきゃいけないし。
 目の前の事で精いっぱいになるは仕方ないけれど、もう一つ大きな視点で目標を持ってほしいし、もう一段階大きな世界を見て欲しいと思うのでありました。
 
 木を見て森を見ず、という事なんだろうな。目の前の木しか見えてなくて、その向こうの出口にももっと大きな景色にも目が行ってなくて、しんどいしんどい、周りが変えてくれればいいのにって思ってる。

 看護って事じゃなければ私も同じなんだろうけど・・・。
 人生も同じか。

 大きな目標を持てって事だなぁ。

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2011/10/15 20:30

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