〜近畿☆瀬戸内☆うまうま交響楽団 ♪

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zoom RSS また日曜日です。

<<   作成日時 : 2011/12/18 13:20   >>

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 週刊ブログになりつつありますが、覚えておられるでしょうか、わたくし、うまうまさんです。

 当方、年末に向かって頑張って仕事しておりまして、結構キツイ・キタナイ・キケン、+、キュウリョウヤスイついでにボーナスヤスイ・ケショウガノラナイ・コンキガオソイ・・・・・・・・・余計なお世話・・・・・等々の実感をしているところです。
 兎に角、忙しいっちゅうことです。

 看護師が忙しいってことは、医療が忙しいってことで。救急外来が忙しいってことは、救急車も相当動いているってことで、今年は過去最高の出動率だとかで話題になっております。

 ま、いつもの事なのでそんなこと(?)は横に置いといて、今日はナースのお仕事ではなく、うちのわんこさんのお話です。

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 人間もそうだけれど動物もさることながら、病気と言うものには治るものと治らないもの、の二つに大別されます。怪我にしろ病気にしろ、このどちらか、というのが正しい分け方。ある意味非情な分け方ともいえるんだろうけど、治るか治らないか、それに尽きることと思います。治れば治ったで完全に治るもの、後遺症を残すもの、その中では色々な話かけ方もあるけれど、根本の病気は治ったというのは「治るもの」の範疇に入るし、薬を飲み続けて維持するもの、寛解を得るものなどなどは「治らないもの」の大まかに範疇になる訳ですよね。この二つを行ったり来たりするものもあるんだろうけど、それは結局「治らないもの」に入るのかもしれないし。

 治る、治らない、という感覚なり理解なり、病気に対する知識と経験に基づく考え方をするのが医療者で、ここに患者と医療者の間に温度差が出るわけだなぁと最近感じるのです。この温度差が少なければ少ないほど、理解しあえる間柄という事になるのかもしれないけど。

 だからといって、医療者が病者となった時、それはそれはとても良い理解者でよい患者であり得るという事はまずないのが現実です。先を知っているから好き勝手する、さっさと見切りをつけて諦める、逆に「まだ何かできるんじゃないか」と考えるのも、医療者。その反面、自分の「先」についての受け入れは、知っているからこそ早いというのもあるんだろうけど、受け入れる時にかかる負担もまた、『知っているからこそ』思い、というのもしかり。

 そういう精神的な事を言いたいのではなく、そういう考えをしたら、治る病気と言うのは途轍もなく少ないものなんだなぁと思うのであります。医療者は「治す」のではなく、「付き合っていく」治療なのだなと。治るっていうのはもちろん医療の介入も必要だろうけれども、大半、半分以上、もしくは99パーセントは患者さんの「治癒力」で治っていくというのが本当。治るべくして治るものであり、それが風邪であろうが癌であろうが同じこと。
 だからこそ、医療者が介入する1パーセントでへまをすると、重大な事になったりもするんだけども。

 でもって、治らない病気の方が多い世の中、人なり動物なり、生きとし生けるものは持っている力と『病気』と生活を天秤にかけながら、病気を持った『自分』として生きていく人生になる訳ですよね。
 人間であれば、病気に対して悪いものにはセーブをし、より良いものを得ようと努力することができるし、逆に変な話題に絡め取られてしまう事もあるし、自ら死を選ぶ権利だってある訳です。

 では、動物は?野生動物は?ペットは?という話です。

 野生動物であれば、病気・怪我は即命とり、という事になるだろうし、それを運命として受け入れることが当たり前のようになっている訳です。動物は死に対する考えがとてもスマート。だからこそ、限りある生を懸命に生きようとするし、子会(するかどうかは分からないけど)なく毎日必死で全力で生きていくわけです。反対に考えれば、そうした毎日があるからこそ、死がスマートで高尚なものになり、命の凄さっていうものを人間に自らの死をもっと伝えることができる訳です。

 ペットもまたそうなんでしょうね。動物であるという事は同じだし、人間によってかなりの我慢と限りを強いられているにしろ、その中で懸命に、全てを肯定的に受け入れ、生きていくわけですから。人間のようにより豊かで、何かを犠牲にしてまで何かを得ようとしたり、我儘になったり傲慢になったりすることもない。無差別に無意識に誰かを傷つけることもない。
 そうして、全てを受け入れて生きていくわけです。それこそ、マザー・テレサが言っていた「受け入れる」事そのものなのかね。
 ただ、ペットであれば飼い主である「人間の自分」が、その先を左右する訳です。右に行くか左に行くか、ペットの道を決めているのは飼い主。良かれと思っていることが飼い主の自己満足だったり、有難迷惑だったり、それでも動物たちはそれを『受け入れて』行くわけです。飼い主の為、自分の愛する人のため、自分に何があろうと『受け入れる』ことを知っている。だからこそ、気高い愛・忠誠な訳です。

 だから飼い主は、ペットに対して『より良い』ものを選ぼうとする。お金を出して、時間を割いて、出来るだけ良いものを与え、良いものを得ようとする。

 そして、治るものも治らなくしたり、治らないものを治るものと信じたりする。

 今自分がこういう感じなんだなぁと、良く思います。「うちの子は大丈夫」、そういった思いがやっぱり自分の中にもあることを、自分とこの子が離れることはないのだと、いるのが当たり前だと、今日という日が明日もまた続くのだという事を、無意識に当たり前のように当然のように感じている自分。

 簡単に言えます。

 今日と同じ明日は必ず来るとは限らない。今目の前の存在が、明日もまた存在するとは限らない。動物はこんな単純な諸行無常を当たり前のように知っているからこそ、毎日与えられるだけのような日々の中でも、必死で懸命に生きている。なのに人間と言う存在は、何とまぁ傲慢で我儘で勝手なものなのかなぁと・・・・。


 12月16日。

 運命の日でした。


「もう、生活習慣でコントロールできない状態になっているんだと思います。」 

 無情の宣告。
 11月末、これまで出ていたわんこの尿たんぱくが再び検出され、アルブミンの値が下降線へ。順調に食事療法で増加していたアルブミンが、生活習慣を大幅に変えていないのに減り始めた。
 尿たんぱくが原因のアルブミン低下であれば腎臓にも問題を抱えていることになり、蛋白漏出に拍車がかかります。3週間、腎臓に対する尿たんぱくの漏出の為の薬を続け、意を決して受診した16日。

 尿たんぱくの検出は減っているものの、血中アルブミン濃度のさらなる低下。
 2.0を切り、1.6へ。病気の発覚以来、最低値です。

 事前に体重測定をすると、

「14.5キロ。痩せましたね?もしかして、意図的に痩せさせてます?」

 と。
 受診の旅に減っていく体重、先生も気になっていたようです。

「おやつをやらなくなったので、そのせいなんでしょうか。」

「そういうことならいいんだけど・・・・」

 そこに来て、アルブミンの低下が著名となり、

「もしかして体重が減っているのは、このせいかも。」

 栄養が、足りない・・・・。
 食欲は異常なほどあるのに、もしかしてグリニーズがいけないのかと思って、3週間前の受診からグリニーズすら与えていない。その分おやつにもご褒美にも、いつも食べるカリカリフードを上げていた毎日。

「このアルブミン値では、危険です。」

「・・・・・ですね・・・」

「勿論、このまま下がり続けるのは一番ダメですし、現状維持だとしても、いけません。もっと高い値で維持しないと、腹水がたまってきたらもっと危ないことになります。」
 
 何故アルブミンが下がっていくのか。
 生活習慣がほとんど変わらず、脂肪の制限がしっかりできている食生活(うちはホンマに療法食以外、脂肪と名のつくものは与えていません)を考えても、

「わんこちゃんほど食事制限がちゃんとできているのに値が下がっていくというのは、矢張り病気が進んで、もう食事ではコントロールできない状態なのだと考えざるを得ない。」

 との結論に。
 尿からの蛋白漏出だけが問題ではなく、それ以上に腸からの吸収率の低さが目立ってきたという訳です。

「もしかして今お腹を開けたら、前以上にリンパがパンパンな状態で流れが悪くなっているのかも。」

 足元をぐるぐる元気に動いているわんこからは想像がつかず、

「すごく元気なんですよ。ホント、有難いくらい元気なのに、ダメなんですね…。」

 何か他に手があるのかないのか、先生は思案気に首をひねります。
 ここが、難病の難しい所なのかも。外からの制限では、追いつかないことがあるという事・・・。

「とにかく、今の状態を続けているのは危険なので、ステロイドを使わせてください。この状態を兎に角何とか脱却しないと、このままではいけません。」
 



 ステロイド。




 リンパ管拡張症と診断されたときに説明を受けていたお薬。もしかしてすぐにでも必要になるかと思ってびくびくしていたけど、いつかはお世話になると覚悟はしていたけれど、食事療法で何とかなっていた時期、本当に「このまま何とかなるかも。」「この子は大丈夫かも。」と安易に考えていた自分にとっては、もう「終末期」の宣告のような気持ちです。




「・・・・もしステロイドを使ったとしたら、今後経過が良くなって離脱できることはありますか?」

 あ、私って「治る」と思ってる患者だな。
 あがいてる患者だな。
 分かっているのに、どこかで「うちの子は…」っていう気持ちが抜けない。
 それが飼い主の情なんていうには我儘で、単なる悪あがき。

 こんな気持ちが、『ベスト』を見失うんだろうな。

「始めのうちは、必ず効くだろうという多めの量を使いますが、その後量を減らしたり飲む間隔をあけたり、という事はできます。けど、全く必要なくなる、という事はまずないかと思います。」

「飲み始めたら、ずっと・・・・という事ですね?」

「残念ながら、この病気は最終的にどの子もステロイドを使うしかなくなります。」

 『うちの子』も『どの子』の一人。
 決して特別ではなく、病気を持ったわんこの一人。
 
「ほかに、何かすることはないんですか?運動をするとか、蛋白を取るとか。」

「食事療法がきちんと出来ていないときには、食事をまず改善することから始めますが、わんこちゃんの場合物凄くちゃんと守ってもらってるので、食事に関してはもう手を加えることが出来ないんです。もしも口からタンパク質がどんどん入ったとしても、吸収されないのなら同じことです。リンパの拡張を減らして、いかに吸収させるかという事だから。食べても吸収されずに下痢になっちゃいます。」

「そうですか。」

 そうですよね・・・・。少し考えれば分かる筈なのにね。

「ステロイドと、腎臓に対するお薬とを使ってみて、ステロイドがどれくらい効いているか、一週間後に確認させてほしいんです。」

「あの・・・・こんなに一気に突然進むものなんですか?3週間でどんどんって・・・・」

「そういう、病気です。進むときには進みますし、根本、戻るのではなく進んでいく病気です。」

「そうですよね・・・・・」

 分かっちゃいるけど、分かっちゃいるけど、分かっているからこそ・・・・
 病態がどんなだから分かってても、知識があっても、手を加えるすべがないなら、知識が何の役に立つ!? あれもダメ、これもダメ、あぁ、こうなった、ああなっちゃった、そうして一喜一憂するのも、知識があるから余計に堪える。けれど、世の飼い主さんはそこから勉強していくわけだから、もっとつらいんだろうけど、やっぱり自分に降りかかるとまず自分がしんどい。
 ほんとに頑張ってるのはわんこなんだけど・・・・我慢して我慢して・・・。

 わんこにとって、どっちが大事なのかな。
 食事をセーブして病気を管理して、ダメダメっていう事も多くて長く生きるのと、大好きなもの一杯食べて一杯好きなことして短く生きるのと。
 聞いたとしても、きっと「ねぇねはどう思うの?」って聞かれるんだろうな。「ねぇねが良い方でいいよ。」って。

 会計を待って薬を貰う間も、わんこは周りの飼い主さんがびっくりするほど賑やかでわんわん騒いで、こっちが恥ずかしくなるほど病院で元気。だけども、そこにいた全部の犬・猫よりずーっと重病。誰より元気なのに、誰よりも病人。
 
「わんこちゃーん。」

 呼ばれて出された薬は、

「一日3錠、夕食後です。」

「3錠!? 15mg!?」

 人間の関節リウマチでもステロイドは使われることがありますし、喘息のときだって使うし、色んなところでステロイド、ブレドニンは使われるけれど、体重60キロの人間に対しても、15mgを一回に飲むのは急性期。リウマチでは5mgだったり、その半分だったりします。
 それを、体重14キロのわんこが一回に15mg。

 必ず効く量をガツンと入れる、というのが初めの治療。聞いていたけれど、びっくり。
 その夜、難なく3錠をぺろりと食べた(飲んだじゃないのか?)わんこ。

 無知の知・・・・なのか?

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 わんこのリンパ管拡張症闘病記は、これからが本番なのかもしれません。
 ブレドニン使用による弊害が、何とか少なくなりますように。

 12月16日、とうとうわんこの病気が次のステージに進んだ日。

 「宣告」って、こんなにつらいものなのか。どんなに言葉を選んでも、言葉を貰うこちらが「治る」「治らない」を勘違いしていたら、何と言われても衝撃は同じ。脳内で変換される言葉は同じ響き。


 それでも、生きていくのです。
 生きていることが、大事なのです。



 次のステージに進んでも、まだやれることはある、まだ薬がある・・・。



 そう思う事が、「受け入れること」であり、「懸命に生きる」ことであればいいなと思う毎日であります。

 そして人間の中には、その「まだやれること」すらあきらめる人が居ないように、まだやれることがあると勘違いすることがないように・・・・。それぞれの生き方が大事にされる医療であればいいなと思うのであります。

 諦めることと開き直ることは、似てるようで少し違う。勘違いと思い込みも、似ているようで少し違う。少しずつへんで、少しずつ正しく、少しずつ可笑しくて少しずつ正論。

 答えはただ、「自分らしく生きる」だけ。

 医療者は、匙を投げない。
 それが、誇りとなりますように・・・。

 人間だけでなく、動物もまた同じで。


 賽は振っても、匙は投げない!!! 


 わんこに私は何にもできないけど、投げ出すもんか

 

 これからも頑張るわんこに、ポチのエールを頂けたら幸いです♪
      ↓
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