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<<   作成日時 : 2012/01/25 00:39   >>

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 小難しい話。

 物事には二面があって、ある角度から見たら物事は良い方へ考えられて、また別の角度から見たら悪いように捉えられる。いつも同じ面ばかり見せている訳ではなくて、物事は同じように見えても常に地球のように自転していて、くるくると色を変えて見えてくる。

 よくよく考えたら、物事の捉え方をくるくると回しているのは、実は自分自身や相手の心の動力だったりする。気分がいいときには悪い事もよく見えたりするもので、よく言うあばたもえくぼ。
 その逆もしかりで、勿論「余計なお世話」もその範疇だったりする。

 その動力である『心』を動かしているのは、けれども哀しいかな、物事に反応する自分自身なわけだから、結局は環境だったり、周りの『物事』に支配されている部分が大きい。決して譲れないもの、決して変わる事のない気持ちだといっても、俗に「百年の恋も冷める」と言うように、変わることはある訳で、変わらないものなんて実はこの世のどこにもないわけだ。

 変わらないもの・・・

 私はホンマに数少ない恋愛経験の中で、「変わらないもの」が欲しかった。恋愛だけにとどまらず、現在も「変わらないもの」が一番信用できると感じているけれど、実は変わらないものなんてどこにもないのだと気づいていたりする。だからこそないものねだり。天邪鬼?

 変わらないものは確かにどこにもなく、ただ一つあるとすれば「自分自身」という事だけ。この性格が嫌いだからと言って変わってみたり、ダイエットして理想の体を手に入れて明るくなったと言われたり、そうしたプチ変化はあるにしろ、「自分」であることは物事がくるくるととってかわるように変わる訳ではない。

 言葉にできる程分かっているのに、「変わらないもの」を求めてしまうのは、余りにも変化が大きすぎる毎日に生きているからなのかと思う。

 医療従事者である以上、昨日生きていた人が今日いない、昨日歩いていた人が今日は寝たきり、昨日いた人が今日は退院、なんてことはいくらでもあって、そのたびごとに病院の中の環境はコロコロ変わる。退院した後には新しい入院患者さんが来てって風に、病院が「儲け」を出さなきゃいけない以上、ベッドは回転していく。

 そうした毎日の変化は、結構当たり前で、自分自身も当然として生きているので、ストレスになるものではないのだけれど、ふと考えたら本当に変化の大きい職場だと思う。その変化についていく医療従事者、それをあたりまえだ当然だと、日常だとすんなり受け止める医療従事者の適応力って、凄いと思う。
 勿論、看護師って職業は、一見ホワイトカラーのようであってどっぷりブルーカラーであり、聖職のようでいて実は底辺の仕事だったりするわけだから、こんなに意識と歴史でギャップのある仕事もあるまい。だから看護師って仕事をしている人はタフだと思うのでありますよ。最近は心を病む看護師さんも増えてきているけれど、それは生きてきた環境が違うので、打たれ弱いだけで、慣れて鍛えられれば強くなっていくのだと思う。
 
 だからというのではないけれど、看護師の職場には、恥ずかしいけれどいじめのような厳しい指導がまかり通る。それを過酷だとか詰めたいとか厳しいとか、理不尽だとか言っていては、勤まらないというのも一つの意見で、だからといって我慢するべきではないという意見もしかりで。

 いや、何だか話が変な方向へ行ってしまってけれども・・・・

 勤務をしていると、いやがおうにも『慣れ』てスムーズに仕事ができるようになり、ステップアップしていく機会が出てくる。ステップアップと言っても、キャリアアップの事ではなくて、平の看護師からリーダー業務や夜勤のリーダーを任されたり、教育を任されたりっていうステップアップの事だけどもね。

 平でいた頃よりは、ずっとずっと考えることも目を配る範囲も心を配る範囲も大きくなって深くなって広くなるわけだけれども、その広い視野で自分の平の頃を振り返ると、途轍もなく『平』甚だしかったなぁと思う事もあれば、今まで凄く先輩だと思っていた『リーダー業務をする人』が、実はたいしたことないなぁという事にも気づいたりする。

 物事の両面、という事にもつながるし、変わっていくもの、という事にもつながるんだけど。

 自分が平でバタバタ仕事をしていた時、リーダーとして現場を仕切っていた人を凄いと思っていたけれど、自分が現場を仕切ることになった時、またその仕事に慣れて、それ以上の視野を持てる様になってきたとき、すごいと思っていた人のやり方が妙に目に付いたり、「そりゃいけんじゃろ」という気持ちになったりする。
 じゃあ自分がどんだけ凄いん?という事になると私なんてぺーぺーのへろへろなんだけども・・・。

 でもそれは突き詰めると『その人の価値観』であるわけで、仕事をどうするか、どう現場を仕切るかはその人次第になってくる。

 つまり、上に立つ人で職場は変わる。

 師長さんだけでなく、先輩方と言うか、現場を仕切っているのが誰かと言う簡単な事で、仕事のやりやすさと効率はがらりと変わる。自分がどちらに入っているかは神のみぞ知る処だけども・・・。

 最近上に立つようになったスタッフをフォローしていると、価値観の違いなのか、「何で?」と思う事がよくある。患者さんに対する思い、看護に対する思い、仕事に対する思い…。全く同じ人はいないけれども、全てがずれまくっている人はいるもので、引いたり押したりでフォローしていると、こちらが倍疲れる。

 自分もそうしてフォローしてもらいながら育ててもらい、何とか仕事ができるようにしてもらっているので、初めての所から人を育てていくという事に対して『価値観が違うから無理』とは思わないけれども、ホンマに疲れる事だ。どんなことに於いても、物を作るより人を育てることのほうがホンマにホンマに疲れる仕事だという事。こうしてみて、自分が育ててもらった時の先輩の辛さもしんどさも気づく訳だけど。

 看護師の新人さんを入職から一人前に育てることと、中途の看護師さんを別の仕事場で教育する、というのは考え方が違う。それは別の職種から別の職種へ転職した事がある人なら分かるだろうけれど、看護の仕事と言うのは病院が違えば基本という土台の上にある全てのものが違うもの。同じ処置をするにしても、やり方が同じであっても物が違うだけで大混乱。(←これは経験しているからほんま、大変。)

 パソコンならどれも操作は同じ、携帯ならどれに替えても問題ない、という世界ではない。勿論相手が患者さんと言う人間だからというのもあるんだけども。

 この間仕事場で、フレッシュなリーダーさんと仕事をしていた研修医、

「今日は本当に疲れました。」

 と、仕事終わりに私と立ち話をしながら言いました。
 私は病棟の仕事をしていたので、その研修医と仕事の接点がなく、同じ職場で仕事をしているらにもかかわらず、数時間勤務でようやく顔を合わせて話が出来た感じです。

「・・・・そうですね、患者さんもひっきりなしで忙しかったですね。ところで、ご飯食べれましたか?」

 夜22時を過ぎて、ようやく夕ご飯の注文をしていた別の研修医を思い出して、ふときくと

「飲まず食わずです。ついで言えば、トイレにも行ってません。ってか、行けてません。」

「トイレも!?」

「あ!!!! そーだった、言ってて思い出した、私トイレに行きたかったんだ!!!!・・・・でも、尿意がどこかへ行っちゃった。」

「・・・・あるある、そういうこと・・・」

「ホンマに忙しかったですね、今日。」

「そうですね。」

「しかも、リーダーさんがフレッシュさんで・・・。」

 研修医、苦笑い。

「あはは・・・・・あはははは・・・・その点でも、お疲れ様です。」

 どうやら、何となくのリズムの合わなさ加減があったようで、ちょっとお疲れの様子でした。

「初めの辺はこんなもんですね。長い目で見守っててください。」

「そうですね、初めてって大変ですからね。」

「私も今だから言えるもんです。」

 この研修医の先生とは、結構こうした難しい話なんかも出来たりします。凄く落ち着いたまっすぐな先生で、頑張り屋さん。尋ねたことに対して理由をきちんと話して説明してくれるのが凄い所。話に無駄がなく、一緒に仕事をしていて頑張れる先生です。

 自分が忙しいとき、相手も忙しいのだと気づく視野の広さは、私も始めの頃にはなかったものです。自分が頑張るのと同じように、相手にも頑張ってほしいと願っていたけれど、それは自分の価値観の押しつけでしかない。医師が忙しいのと、看護師が忙しいのは、少し意味合いが違ったりするものなので。

 この研修医の感じた所は、業務が滞ってしまうビギナーのサガによる疲れと共に、こうした少しの気遣いの在る無にも在るのだと思います。私たち看護師が「この人なら仕事がしやすい」と感じると同時に、医師もまた「この人となら…・」と思っているという事。物事に表があるなら裏があるのです。そして、自分が感じているのと同様に、相手にも感じることがたくさんあるという事。それはスタッフ同志だけではなく、患者さんとのやり取りにも、コメディカルとのやり取りにも。

 忙しいとき、ご飯を食べる休憩時間を作ってあげたり、気遣いをしてあげたり、患者さんのケアの間を調整したり、リーダーとして必要なのは、本当にいろんな視点。リーダーは上になるのではなく、現場の要。スムーズに職場が回っていくように、その中でスムーズに人が動けるように調整するのは大切な仕事。

 平の時に自分がそうしてもらっていたこと、平の時に統べてもらっていたこと、自分が上に立った時にそれを忘れてしまう人が多いのにはビックリです。事務仕事はいつか覚えていきますし、誰がやっても同じ仕事です。その合間合間に自分が自分である変わらないものを発揮するため、人を大切に思い人と人とのやり取りを大切に思い、物を大事にする、その精神が必要なのかもしれません。

 だからこそ、その人が何を大事にする人なのか、どういった価値観を持って仕事をしている人なのか、そうしたところがその人の指揮下で働く私たちの動きを左右するのだと思います。価値観が似た人とは仕事がしやすいし、自分の仕事を認めてもらえる。勿論、自分より素晴らしい価値観や哲学を持っている人の元で働くのは、素晴らしい魅力です。
 そうした先輩に出会う事もまた、仕事では必要。この人のようになりたいと思える先輩との出会いは、看護師にとってよい励みになったりします。
 能力があっても魅力がない人も、中にはたくさん。哀しいけれど・・・。その見極めは、自分の心次第なのかな。

 仕事をするっていう事は、単に出来る・できないの問題だけではなく、心を動かしていく事も必要。能力だけでなく、自分自身が問われるのが、看護師の仕事なのかなと思ったりする毎日。
 誰でも始めは初心者です。だけれども、初心者であることを当然のように思うのではなく、そうであるからこそ理想と信念を持つべきではないかと思うのです。仕事のフォローはできるけれど、その人の価値観や心の動きはフォローしたくても出来ない部分の方が大きいものです。
 物事には角度次第で色んな色がある事、それは結局自分が物事の捉え方を一つに決めてしまわない柔軟な気持ちが必要だったりする。その柔軟さは、初心者が故の視野の狭さや段取りの悪さと言ったもので左右されるのではなく、自分が何を思って仕事をしているかにかかっているのではないかなと思うのであります。

 仕事だけじゃなく、生活全般、そうなのかな。

                     

 自分もこんなだったんだろうなぁと、フォローをしながら内省する私。
 始まりは誰でも慣れないし、出来ない事も沢山ある。そりゃそうだ。私だってそうだったし。

 こうした思いをしながら人を育て、育っていく喜びと共に、自分自身が育てられる側にいた時、伸びている自分に気づくのもまた、凄く凄い体験な訳です。


 国家試験は一か月後だけども、これから看護師になる皆様には、新人だからこその思いと共に、新人であることの『恐縮』もまた、覚えていて欲しいものだと思います。その心苦しさで得た喜びが、また次の人を育てていくのだと思ううまうまさんであります。



 ・・・・何だか、上手く伝えられないけど・・・。

 分かったような分からないような、もやもやした今日のうまうまさんに、ポチのエールを下さいな

    
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